しょぼんだま 的 こころ(日記)

ニックネームはテラ。チームしょぼんだま9号です。

命さえあれば~

2011-03-14 | Weblog
今日は朝から仙台市のお客様の状況の確認がとれた。全員無事との事。
私的にはとても嬉しいニュースであったが、出来るだけ多くの皆さんが無事であることを心からお祈り申し上げます。

命さえあれば~

僕には何が出来るのか?

2011-03-12 | Weblog
仙台の若林区と宮城野区に仕事を通じて知り合った知人が多くいらっしゃる。
また福島原発の周囲数キロに知人がいる。安否が心配だ。

僕には何が出来るのか?

義援金。
お客さんのバックアップや応援。

休みが明けて詳細がわかって来ると、どの様にお話をすればいいのか?

宮城野区の夢メッセ宮城周辺のTVを観て愕然とした。。。

日本が揺れている。僕には何が出来るのか?




南海トラフによる過去の地震  

2011-03-12 | Weblog
○南海トラフの大地震の過去の発生状況と被害  [上に戻る]

発生年月日 地震の規模 被害等
1498年9月20日
(明応7)
(明応東海地震) M8.2~8.4 津波が紀伊半島から房総半島(千葉県)の沿岸を襲い、志摩半島や浜名湖周辺で高かった。津波の高さの分布は尾鷲から渥美半島までの範囲では昭和東南海地震と同程度のものであったと推定される。震度分布は、潮岬から浜名湖までの範囲では概ね昭和東南海地震と同様。
伊勢大湊で家屋流失1千戸、溺死5千、伊勢・志摩で溺死1万、静岡県志太郡で流死2万6千など。
1605年2月3日
(慶長9)
(慶長地震) M7.9 津波は四国から東海の太平洋沿岸を襲い、室戸岬周辺や浜名湖周辺で高かった。津波の高さの分布は潮岬以西では安政南海地震と概ね同様であり、潮岬から渥美半島(愛知県)までの範囲ではデータは少ないものの、志摩半島周辺では昭和東南海地震と概ね同様であると推定される。室戸岬周辺では、津波の高さは10mに達するところもあったとされている。また、九州南部にも津波が来た可能性もあるとされている。しかし、震害の記録は見当たらないとされている。南海地震と東南海地震が同時に発生した地震と思われる。
八丈島で死者57、浜名湖近くの橋本で100戸中80戸流され、死者多数。紀伊西岸広村で1700戸中700戸流失、阿波宍喰で波高2丈、死者1500余、土佐甲ノ浦で死者350余、崎浜で死者50余、室戸岬付近で死者400余など。
1707年10月28日
(宝永4)
(宝永地震) M8.6 足摺岬沖から駿河湾周辺にかけての広い範囲を震源域とすると考えられているプレート間地震で、これまでに発生したわが国最大級の地震の一つ。津波の襲来状況及び震度分布、津波の記録から、南海地震と東南海地震が同時に発生した地震であると推定されているが、南海地震が発生した1~2時間後に東南海地震が発生したという見方もある。震度6強から6弱相当になったと推定されている範囲は九州東部から駿河湾沿岸域までで、場所によっては震度7相当になった可能性もあるとされている。また、津波は伊豆半島から九州に至る太平洋沿岸及び大阪湾・播磨・伊予・防長、さらに八丈島を襲った。四国から伊豆半島では津波の高さは5m以上に達し、紀伊半島の尾鷲市(三重県)の周辺では8~10mに達するところもあったと推定されている。
被害は、全体で少なくとも死者2万、潰家6万、流出家2万。震害は東海道・伊勢湾・紀伊半島で最もひどかった。
1854年12月23日
(安政元)
(安政東海地震) M8.4 紀伊半島東部の沖(熊野灘)から駿河湾にかけての領域を震源域としたプレート間地震。津波が四国東部から房総半島までの太平洋沿岸を襲ったが、潮岬から渥美半島(愛知県)までの範囲では、その高さの分布は昭和東南海地震と概ね同様。三重県の一部では津波の高さは10mに達した。震度5弱相当以上になったと推定されている範囲は、紀伊半島、近畿地方、中部地方の大部分、及び関東地方の一部であり、震度6強または6弱相当になったと推定されている範囲は、志摩半島(三重県)、中部地方の内陸の一部、及び駿河湾沿岸。また、遠州灘沿岸では、震度7相当になった可能性もあるとされている。
被害は関東から近畿に及び、特に沼津から伊勢湾にかけての海岸がひどかった。この地震による居宅の潰・焼失は約3万軒、死者は2千~3千人と思われる。
1854年12月24日
(安政元)
(安政南海地震) M8.4 四国の沖から紀伊半島沖にかけての沿岸部を含んだ南海トラフ沿いの地域を震源域として発生したプレート間地震。高知県や徳島県の沿岸地域で震度6相当、紀伊半島西部沿岸地域や大阪周辺でも震度5~6相当の揺れであったと推定される。さらに、遠く出雲地方でも震度5~6相当の揺れがあったと推定される。被害は中部地方から九州地方にかけての広い範囲に及んだが、前日の安政東海地震による被害と区別できないものも多くある。
1944年12月7日
(昭和19)
((昭和)東南海地震) M7.9 紀伊半島東部の沖(熊野灘)から遠州灘にかけての領域を震源域としたプレート間地震。津波は、紀伊半島西部から伊豆半島の太平洋沿岸を襲った。紀伊半島東部沿岸では、津波の高さは6~9mに達した。震度5弱相当以上となった範囲は、近畿地方の一部、紀伊半島東部から静岡県御前崎までの沿岸域であり、震度6弱相当以上となった範囲は、三重県から静岡県御前崎町までの沿岸域の一部。
全体の被害は、死者、行方不明者1,223名、負傷者2,864名、家屋全壊17,599など。ただし、太平洋戦争中に発生したこともあり、被害数は調査により大きく異なる。軟弱な地盤の地域に被害が大きく、名古屋市では家屋全壊1,024、同半壊5,820などに達した。
1946年12月21日
(昭和21)
((昭和)南海地震) M7.9 安政南海地震と同じく四国の沖から紀伊半島沖にかけての沿岸部を含んだ南海トラフ沿いの地域を震源域として発生したプレート間地震。和歌山市、串本町、徳島市、高知市、津市、彦根市などで震度5が観測された。
被害は、中部地方から九州地方にまで及び、全体で死者・行方不明者1,443名、負傷者3,842名、住家全壊約9千などであり、その他多数の流失や焼失した家屋があった。
(「南海トラフの地震の長期評価」、「日本の地震活動」、および理科年表(平成19年版)をもとに作成)

道場やぶり・・・

2011-03-07 | Weblog
今日は富田林校と大蓮校から道場やぶりの強者が参加した。
僕にとっては久宝寺校はホーム・コートなんだけど、彼らに圧倒されたか?アウェーの気分になってしまった。

圧巻は大蓮校の青年でバックハンドのジャックナイフ・ショットの本物を、さりげなく打ちよった。。。

もちろん!富田林校の兄さんも185センチの身長で元アルバイトコーチ君。

彼らのボールのスピードには何とか喰らい付いては行けるのだが・・・
僕のボールのスピードでは相手をねじ伏せれないので、ここは緩急をつけてのショットで相手の錯覚を利用して戦うが・・・やはりこれしかないな。。。

しかし~彼のジャックナイフはインパクト大大大やった。。。

南風が恋しい~♪

2011-03-07 | Weblog
どうも風邪なのか?鼻炎なのか?とにかく悪寒も感じるし調子が悪い。
鼻炎で鼻腔内が荒れて、そこからウイルスによって風邪をひくパターンになれば扁桃線が持病の私にはとても辛い季節だ。しかし~寒い冬にはいい加減に飽きてきた。

南国からの南風が待ち遠しい!・・・そんな空気を感じれる歌。
それはイーグルスとしてカバーした彼らの歌声を聴きたかったのだが~
日本名は”渚の誓い”イーグルスのベーシスト。ティモシーB・シュミット -さんが カバーした曲でパイオニアのコマーシャルにも使われていた。
 So Much In Love


この曲は彼がソロで発売した歌で、リードボーカルもバックコーラスもすべて自分一人で録音されたらしい。
先日のコンサートではカリフォルニアのサクラメントからの参加とグレン・フライから紹介されていたが昨日がコンサートの最終日だったので今日は暖かいカリフォルニアに帰国されたかな?またお会いいたしたいものだ。。。




先日TVに彼女のご子息がタレント?で出演していた・・・?
でも、どうしても~TV画面でいいから~息子じゃなくてお母さんにお会いしたかったな・・・。

彼女にI was so in love with him~♪なんて囁かれたら・・・






僕もいっぱい  写真を撮ってしまいそう~...


PS

山下達郎バージョン