しょぼんだま 的 こころ(日記)

ニックネームはテラ。チームしょぼんだま9号です。

伝えなければ~

2010-08-03 | Weblog
お山の杉の子  戦時中

お山の杉の子  戦後編

長男の中学でおじいちゃんや曾おじいちゃんの戦争についてのお話をお父さんから教えてもらって それについてのレポートが社会の宿題になった。
こんなおもい切った題材を宿題にさせるなんてやはり私学なのか!
とにかく父親として責任重大です。このような事を考えていると、人間は子供を育てる為に親らしく体裁を保てるようになって行くのかと考えさせられる。

しかし今思い出しているが母方のおじいちゃんは海軍の職業軍人で江田島の兵学校出身であった。
少尉や中尉時代にはインドシナにて戦ったらしく足には二発の弾痕の後があったのを覚えている。戦争の最来には戦艦日向の艦長をしていたらしく陸軍のような生々しい戦いではなく艦対戦の自慢話を聞かされたた記憶しかない。
父方のおじいちゃんは戦後すぐに亡くなった。軍属ととして今の北朝鮮で料亭を営んでいたらしい。父は終戦前後までは熊本県で産まれたが、育ったのは今の北朝鮮で殆ど戦争の体験はなく、引き上げの時に財産を没収されて着のみ着のままで熊本県に帰省をして来た。その時から苦労したらしい。
戦争当時は父も母も小学生で母は泉州から九州の大分県に疎開していて空襲の経験はない。
その様な父と母の出会いで僕の出身地は大分県の別府市であるのだが~関係ないか。

最近NHKの半藤一利さんの”日本で一番長い夏”の座々会で田原総一郎さんが語られていた内容が、父や母の戦争体験とオーバーラップしていたので耳を傾けて聞き入ってしまった。
終戦前の夏休みまでは君達は20歳までの命でいい。皆はお国の為に(死に)尽くしましょう!だったらしい。
夏休みの後は戦争は良くない。民主主義の平和な国家を作りましょう~この言葉が同じ先生のお言葉だったらしく、その後に朝鮮戦争が勃発すると~その平和を語ると・・・赤(共産主義者)と罵声を浴びせられたので、彼は偉い人の話は偉そうな人の話はみんな嘘だとの認識が子供時代から芽生えていたらしい。
僕の両親もこの様な話を笑い話でよくしていた事を思い出した。ギブミーチョコレート!
歯磨きのチューブに入ったチョコを父はアメリカの兵隊さんに貰ったと嬉しそうに語っていたな~。
予断だが女房と新婚時代に三菱パジェロに乗っていたが~女房のオバサンが僕に怒鳴ってきたのを思い出す!パジェロのフロントの三菱のマークを指して進駐軍の車(たぶんアメリカ軍のジープ)なんかに乗るのは止めなさい!っておばさんが。。。
オバサン~三菱の赤い星を誤解するならそれってソ連やろ!!!
それより時代錯誤なら土佐の山内家の家紋やぞ!!!僕は心の中で叫んだがそれは新婚時代の強烈な思い出でだった。
ちょと前の先人にはこの前の戦争は実体験であり~僕らは歴史として戦争を見るのは間違いではないか!今回の長男の宿題で深く感じ入る事が出来たな・・・。

僕は息子に~先人の子供として見た戦争感を話してみたいと思う。

お山の杉の子も聞かそう~

そんな事を悩んでいると・・・次女がキリストさんは何で十字架に縛られているの?
そんな質問が飛び込んできた。。。
何とも~次女に回答の時間を後日に延ばしている。悩みます。