野焼きボランティア講習に参加してきた。
阿蘇の牧野を守ってきた方々から学びたいのもあったが、我々の暮らす日田の前津江の里山も、これからまた野焼きできるようにしていきたい思いも強かった。
まっすぐでなりのいい茅が育ってくれるようになるとのこと。
火消棒を竹とかづらで作った。
竹の先を6分割して、その半分の3本にかづらを通し、ずらして、6本足の熊手状態に潰しながら、手前向こうと一本づつなみ縫いのように交互にかづらを通していく、端っこになるとくるりと踵を返してまた編んでいく作業を繰り返し、最後は、縦に三つか四つのなみ縫い状のものをキュッと止めるように2回ずつ巻きつけていく。
そうして、今度、一斉に、阿蘇の野焼きがあるときに、実際に野焼きをするときに、皆でバッサバサ叩いて火消をするのである。
それにしても、壮大な阿蘇の草千里を走る野焼きの火を見るのが、本当に楽しみである。
野焼きをすることで、牧野は保たれてきた。
その後に生えてくる牧草を食む牧牛をよく見かけるが、彼ら、彼女らは子孫を残すために放牧されているのだという。彼ら彼女ら自身は、食べられるのではなく、生み育てられるのだという。
牧野に放たれた自由を食む牛たちの上を、悠々と飛ぶ熊鷲も減ってきたというが、まだ、谷などの狩りやすいところでは見かけると、地元の牧牛を育てている方が、おっしゃっていた。
子供の頃から見ている生きとし生けるものの姿を、幼馴染の友人を見かけたように話されていた。
阿蘇の牧野を守ってきた方々から学びたいのもあったが、我々の暮らす日田の前津江の里山も、これからまた野焼きできるようにしていきたい思いも強かった。
まっすぐでなりのいい茅が育ってくれるようになるとのこと。
火消棒を竹とかづらで作った。
竹の先を6分割して、その半分の3本にかづらを通し、ずらして、6本足の熊手状態に潰しながら、手前向こうと一本づつなみ縫いのように交互にかづらを通していく、端っこになるとくるりと踵を返してまた編んでいく作業を繰り返し、最後は、縦に三つか四つのなみ縫い状のものをキュッと止めるように2回ずつ巻きつけていく。
そうして、今度、一斉に、阿蘇の野焼きがあるときに、実際に野焼きをするときに、皆でバッサバサ叩いて火消をするのである。
それにしても、壮大な阿蘇の草千里を走る野焼きの火を見るのが、本当に楽しみである。
野焼きをすることで、牧野は保たれてきた。
その後に生えてくる牧草を食む牧牛をよく見かけるが、彼ら、彼女らは子孫を残すために放牧されているのだという。彼ら彼女ら自身は、食べられるのではなく、生み育てられるのだという。
牧野に放たれた自由を食む牛たちの上を、悠々と飛ぶ熊鷲も減ってきたというが、まだ、谷などの狩りやすいところでは見かけると、地元の牧牛を育てている方が、おっしゃっていた。
子供の頃から見ている生きとし生けるものの姿を、幼馴染の友人を見かけたように話されていた。