明鏡   

鏡のごとく

コロナの事実

2021-09-14 14:40:05 | 記憶
http://ochakai-akasaka.com/counseling/219429-sars-cov-2/?fbclid=IwAR1jDU4t4BYfcebiE9G23TZW9GOiiJtCbegYp1B0WQ1_xqrXu6v76I_zvOs

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民進党の本性が現れた

2016-10-01 12:15:24 | 記憶
民進党の本性が現れたということであろうか。おぞましい。
復興には何も関心がないとは、本当に、日本の政党と言えるのだろうか。
日本人の税金を食い物にしているだけなら、さっさと全員辞めてもらいたい。

https://twitter.com/wadamasamune?lang=ja より以下転載〜〜〜〜〜〜

和田 政宗 ‏@wadamasamune 9月29日
参議院代表質問二日目。
自民をはじめとする各党は東北・熊本の復興について取り上げたが、民進党は二人が登壇も復興について全く質問せず。
東日本大震災は民主党政権時代に発生したのに、もう関係ないということなのだろうか。
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粥川風土記

2011-10-30 17:08:10 | 記憶
民族文化映像研究所制作の『新編 粥川風土記 清流・長良川の源流域に暮らす』を拝見した。

空、そして山。
水は、この空々たる世界から生まれ、
人、万物をうるおす。
その恩恵を知り、感謝して暮らす。
生活者の郷。
日本は、まだそれを失ってはいない。

と記す民族文化映像研究所の心意気を感じさせる生活に根ざした民俗学的映像。


まず、詩や小説や短歌を書くものとして最初に惹き付けられたのが生活する方々が使う「言葉」であった。
ものや行動としっとりと息づきぴたりと同じところにある「言葉」。

「だわ」(山偏+礼の傍(つくり)だけを使った文字)という言葉と文字を初めて見て聞いた気がしたが、自然と出来上がったようなくぼんだ道のことで、熊の通り道はだいたいそこにあるという。
その土地の人には、慣れ親しんだ言葉を知り、それが息づく場所も又あり、出会えることをうれしく思った。

「土が生む」と言う言葉も、ある意味、詩的であるが、作為的ではなく、本当に土が雨を含み、みずをうむようなほっこらとした木を生い茂らす山の湿り気のある土を思わせる言葉をさらっと話される地元の方の話に引き込まれていった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/星宮神社_(郡上市)
http://www.sukima.com/08_hida00_02/01hoshino_.html

粥川近くに「星宮神社」と言う藤原高光の鬼退治伝説がある神社があり、その際に、うなぎは正しい道を教えたため(虚空蔵菩薩の眷族でもあるため?)食べてはいけないと言う言い伝えがあると言う。

以下、ウィキより抜粋~~~~~

粥川地区の氏子は、粥川谷の鰻を捕まえたり食したりすることを禁忌としている。これは粥川谷の鰻が藤原高光に正しい道を教えたことにより、さるとらへびを退治できたことから、鰻が星宮(明星天子)の使いとされていたからである。やがて明星天子と虚空蔵菩薩が同一とされ、鰻は虚空蔵菩薩の使いとなり、この地域独自の民間信仰となっている。他に牛返し岩より上では牛を飼わないということも、虚空蔵菩薩信仰の影響という(虚空蔵菩薩は丑年の干支守であることから)
粥川地区の氏子の多くは、粥川谷の鰻以外の鰻も食べないという。「土用丑の日に鰻を食べない地域」として話題になることもある。
左鎌の奉納が行なわれている。これは双生児の場合は一方が左遣いとされており、双生児の大碓命と小碓命のうち大碓命が左遣いであったことに由来する(大碓命は美濃国を開拓したと伝えられている)。所願の成就を祈る時に左鎌を奉納していた。かつては鎌を板壁に突き刺していたが、現在は左鎌が描かれた絵馬になっている。
~~~~~~~~~~~~~~~~


この神社は、出雲系の神社であるらしく、出雲に向かって小舟に人形(神?)を乗せ、清流に流す神事もあるというのも、面白く拝見した。



この辺りは、林業も昔からあったというが、大坂の陣の後、ここに棲みついた武家一族の方々の先祖が植えたような木を切り、又、その後植え育てていくと言う、何百年単位の「木の時間」を思い、後の後まで考えていくというその姿勢を見るにつけ、あまりに無謀なTPP推進論者の方々にも是非、この映像を見ていただき、足下を見てもらいたい等と思った。

車や鉄道等なかった時代に木を切り倒し、木を運ぶ手段として編み出された、木の走る道のような「きんば(木馬)」作りをされている親子の方や、川を使って木を組み筏にして下流に持っていく技もまた洗練されており、藤の蔓を上手に結び創り、その場にあるものを無駄もなく使い、理にかなった技となり、引き継がれていくことの意味を、日本は決して忘れてはいけないと思われた。


芸術ではなく、生活であるもののたくましさを忘れてはいけない。
というよりも、わすれてはいられないところにいる気がした。


他にも多数のその土地の方々に根ざした生活、根を張ったものが納められている貴重な映像もあり、そちらも是非拝見したいと思われた。
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おじさん

2011-07-10 21:29:48 | 記憶
おじさんがなくなった
お元気だったのを見たのが最後で
なくなるまでのじかんをよくしらなかった
ひとはそうしていなくなってしまうのかもしれないが
かみなりがぴかりとなったような
そのようなしにかたのようなきもしている

やすらかに ただやすらかにおねむりください

あしたあいにいきます
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きぐるいぴえろ

2011-06-23 11:17:34 | 記憶
「きぐるいぴえろ」をひさしぶりに見る。

これで三度目である。

が、劇場で見たのは初めてであった。


その前に、福岡在住の野蛮人のようにの川島透監督、気分はもう戦争?!の矢作俊彦氏、詩のボクシングがNHKで放映される時に必ず味のあるトークを炸裂される高橋源一郎氏がゴダール愛を語るというので、拝聴させていただく。

この日しかないことなので、ありがたいことに、地域の仕事を代わってもらいつつ、せがれも映画が見たい、話が聞きたいというので、一緒に連れて行く。

そういえば、4、5年前に、漱石先生にちなんでの松山の坊ちゃん文学賞なるものに応募したことがあり、そこで審査をされていたのも高橋氏であった。

青春を感じさせる内容なら何でもいいという条件だったと思うが、まるっきり正反対のうすぐらいきぐるおしい男の物語を送りつけたので、読んだ方々には、かなりしんどい後味であったと思う。

ある男が、きぐるいとみなされていく過程を描いた物語であったので、きぐるいぴえろを無意識のうちに敷衍していたかもしれないな等とも思う。

フェルディナンがピエロとマリアンヌに言われるような、男の物語。

あんまりだったかなと思いつつ、誰かに読んでもらうことをしてみたかったので応募したのであったが。

もしあの小説が記憶に残っているならば、どうおもったか、高橋氏にお聞きしてみたかったのだが、いつか東京の方に詩のボクシングで朗読させていただく機会に恵まれたら、その時はお話も聞けるかなと密かに楽しみにしていたところであった。

いまだ聞けずじまいのことである。


それはさておき。

過去においても印象に残っていたのは、何気なく屍体が転がっている場面。

ありえないところを大げさに表現せず、さらっと流すシュールさ、べたつかないかろやかな風が吹いてとおりすぎるような気分は戦争的?方法論。

あとは最後のだいなまいとであっけなく自爆する場面。

すこしの記憶のねつ造?があった。

顏をペンキでブルーマンのように青く塗るのでなく、黄色に塗りたくっていたのではなかったかということ。黄色だったのはダイナマイトと直前のまりあんぬの顏だった。

色を見て。という川島監督のように、自分も色で見ていたことに気付く。
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