明鏡   

鏡のごとく

二重国籍禁止法案

2016-09-26 21:01:51 | 日記


 日本維新の会は26日、国政選挙で二重国籍の人の被選挙権を認めないとする公職選挙法改正案を、27日に参院に提出すると発表した。民進党の蓮舫代表が、台湾籍を有していたことを踏まえた対応。「身を切る改革関連11法案」として、企業団体献金を禁止する政治資金規正法改正案や議員歳費を削減する歳費法改正案などと併せて提出する。 (2016/09/26-20:01)

70年前の9月の出来事、新潟日報社襲撃事件(にいがたにっぽうしゃしゅうげきじけん)

2016-09-26 00:20:03 | 日記


日本には語られてこなかった暗い闇のような歴史がある。

ひとつひとつ、拾い集めたところに、何があるのかはわからないが、戦後の事実を知りたい。
その一つとして。
戦後間もなくのことであり、70年前の9月の出来事である、
新潟日報社襲撃事件(にいがたにっぽうしゃしゅうげきじけん)、
1946年(昭和21年)9月29日に新潟県新潟市で発生した暴力事件がある。

報道の姿勢が問われると同時に、事実を暴力でねじ曲げられていたことに、憤慨する。

その前の引き金はいわゆる闇米であったという暗い闇の中の暴力。

そういう、暗い闇を見た後に、人の本性が見えてくる。

己のこととして、逃げるのか、向き合うのか。

問われている。




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坂町事件
坂町事件(さかまちじけん)とは、1946年(昭和21年)9月22日に、
新潟県岩船郡保内村(現・村上市)で発生した事件。

事件の発端
終戦直後より在日朝鮮人や在日中国人は、取締権限の不明確さに乗じて公然と日本の法律を無視し、
食糧管理法に反するヤミ米の流通・販売などの経済統制違反を繰り返していた。

新潟県北部では、在日本朝鮮人連盟が新発田市に事務所を置き、羽越本線坂町駅を中継基地として、
ヤミ米を関西方面に出荷していた。当時、1日あたり50俵が坂町駅を経由したといわれている。

1946年9月24日付朝日新聞(大阪版)c7f00f5a73744a026e791821e7aaf2cf

買出部隊また暴れる
【新潟発】十二日午前零時四分羽越線大阪行列車が坂町駅につくや集団買出部隊
約五十名が米十五俵をもつて乗り込まうとしたので村上署員が出動、取締りに
当つたところ彼らは駐在所などを□□、電話線を切断、乱闘となり警官二十名が
負傷したが首謀者十四名を検挙した
http://ameblo.jp/xiaoke/entry-11456641616.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/坂町事件
事件の概要

1946年9月22日午前0時50分頃、
村上警察署の署員8人が坂町駅に赴き、ヤミ米の取締に当たった。
署員が現れるや、約50人の朝鮮人・中国人は一斉に姿をかくした。

警察官がホーム上に置き去りにされたヤミ米を押収しようとすると、
「殴れ!」「叩け!」の叫び声を合図に襲いかかって来た。

警察官が応戦している最中に列車が到着し、列車内から朝鮮人20人が下車し加勢、
警察官に暴行を加えた後、発車間際の列車に乗り込み逃走した。

この日の午後になり、「また、ヤミ米を運搬しようとしている」との情報が入った。

警察官 10人が現場に向かい取り締まろうとしたところ、約50人の朝鮮人・中国人が襲い掛かり、殴る蹴るの暴行を加えた。

金屋村警防団は警察官の応援に駆けつけたが、逆に鳶口や木刀を取り上げられて、
彼等の武器にされる始末であった。

その後、撤退命令が出たので、警察官等は一旦引き上げた。

その後、進駐軍の新潟軍政部の係官が現地に到着し、朝鮮人・中国人に対して
「日本に在住している限り、日本の法律に服さなければならないこと」、
「警察官のヤミ米取締を拒むことは、連合国の指令に反するものであること」を言い渡した。

軍政部のお墨付きが出たことで、警察は断固とした取締りが可能になり、
12人が検挙された。

その後の顛末

検挙された12人は新潟軍政部に移され、取り調べを受けたが、
新潟県外への追放とヤミ米の買出しをしない旨の誓約書提出だけで全員釈放された。

またこの事件を報じた報道機関が、
朝鮮人に破壊活動を受ける新潟日報社襲撃事件へと発展した。

・新潟日報社襲撃事件
新潟日報社襲撃事件(にいがたにっぽうしゃしゅうげきじけん)とは、
1946年(昭和21年)9月29日に新潟県新潟市で発生した暴力事件。

事件の発端

1946年9月23日付の新潟日報夕刊は、
「MPも出動、坂町で深夜の乱闘」と題して、在日朝鮮人や在日中国人が
新潟県岩船郡保内村(現・村上市)内で起こした坂町事件の記事を掲載した。
読売新聞も事件を報じた。

事件の概要

1946年9月26日、在日本朝鮮人連盟などの朝鮮人16人が新潟日報社を訪れ、
新潟日報社と読売新聞社の両社に対して、「坂町事件の報道に誤りがあると認め、
ラジオ放送を通じて新潟県民に誤報であったという声明を出せ」と要求した。

両社は「即答はできない」として、29日まで猶予してもらうことになった。

その後読売新聞社は、9月28日になって譲歩し、誤報を認め謝罪記事を
掲載することで話がついた。

9月29日、朝鮮人16人が再度新潟日報社を訪れ、新潟日報社側の返答をせまった。
新潟日報社は「警察の調査結果をまって善処する」と答え、彼等の要求を拒んだため、
朝鮮人側は憤慨し、茶碗を投げつけたのを合図に一斉に暴れだし、社内の備品を破壊した。

新潟警察署は、朝鮮人らを暴力行為等処罰ニ関スル法律違反で逮捕した。


その後の顛末

最終的に9人が起訴され、裁判の結果、
暴力行為等処罰ニ関スル法律違反と業務妨害罪で有罪の判決が下った。
http://ja.wikipedia.org/wiki/新潟日報社襲撃事件


参考文献

在日朝鮮人運動 (1955年) (実務教養選書) [-]
篠崎 平治
令文社
1955

新潟県警察史 (1959年) [-]
新潟県警察本部
新潟県警察史編さん委員会
1959-02


【祖防隊】在日朝鮮人の非合法地下組織。1950年1月より密入国者等の強制送還が行われることになり、それに対抗するために結成された。1955年に朝鮮総連が結成され祖防隊は発展的に解散