明鏡   

鏡のごとく

きぐるいぴえろ

2011-06-23 11:17:34 | 記憶
「きぐるいぴえろ」をひさしぶりに見る。

これで三度目である。

が、劇場で見たのは初めてであった。


その前に、福岡在住の野蛮人のようにの川島透監督、気分はもう戦争?!の矢作俊彦氏、詩のボクシングがNHKで放映される時に必ず味のあるトークを炸裂される高橋源一郎氏がゴダール愛を語るというので、拝聴させていただく。

この日しかないことなので、ありがたいことに、地域の仕事を代わってもらいつつ、せがれも映画が見たい、話が聞きたいというので、一緒に連れて行く。

そういえば、4、5年前に、漱石先生にちなんでの松山の坊ちゃん文学賞なるものに応募したことがあり、そこで審査をされていたのも高橋氏であった。

青春を感じさせる内容なら何でもいいという条件だったと思うが、まるっきり正反対のうすぐらいきぐるおしい男の物語を送りつけたので、読んだ方々には、かなりしんどい後味であったと思う。

ある男が、きぐるいとみなされていく過程を描いた物語であったので、きぐるいぴえろを無意識のうちに敷衍していたかもしれないな等とも思う。

フェルディナンがピエロとマリアンヌに言われるような、男の物語。

あんまりだったかなと思いつつ、誰かに読んでもらうことをしてみたかったので応募したのであったが。

もしあの小説が記憶に残っているならば、どうおもったか、高橋氏にお聞きしてみたかったのだが、いつか東京の方に詩のボクシングで朗読させていただく機会に恵まれたら、その時はお話も聞けるかなと密かに楽しみにしていたところであった。

いまだ聞けずじまいのことである。


それはさておき。

過去においても印象に残っていたのは、何気なく屍体が転がっている場面。

ありえないところを大げさに表現せず、さらっと流すシュールさ、べたつかないかろやかな風が吹いてとおりすぎるような気分は戦争的?方法論。

あとは最後のだいなまいとであっけなく自爆する場面。

すこしの記憶のねつ造?があった。

顏をペンキでブルーマンのように青く塗るのでなく、黄色に塗りたくっていたのではなかったかということ。黄色だったのはダイナマイトと直前のまりあんぬの顏だった。

色を見て。という川島監督のように、自分も色で見ていたことに気付く。
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