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明鏡   

鏡のごとく

はこぼれ

2019-06-13 00:52:06 | 茅葺
五時間もとがないと元には戻らない 

刃こぼれができた 

私の中にも あなたの中にも きっと

落としてしまったものはどうしようもないが

集中していたからしょうがないが

人のもの 自分のものではないものだから

すみません 

が そこの人

ばちがいなばかりがっがりな

かしこまりましたというもの言いはやめて

人のものでも 自分のものでもないものだから

その言の葉こぼれ

茅葺の未来

2019-06-02 11:51:18 | 茅葺
朝の現場への移動はバスで、その車中でのこと。
親方がせがれに、

絵を描くことが好きなら、僕に描いて見せて。

とおっしゃった。

親方の、親心というより、祖父心でせがれのあらゆるところを育ててくださろうというお心が、誠にありがたく、本当にここいられる喜びを心から感じていた。

京都から、今の現場の亀井の別荘まで、中野親方が来てくださり、ご挨拶もできて、中野親方の息子さんもいずれ茅葺職人さんになってくれるということで、将来の希望がまた一つ増えて、一緒に育っていけたら、これほど嬉しいことはないと思われた。
古民家はもちろんのこと、神社仏閣、あの桂離宮の中の茅葺の屋根も手がけておられるという親方のお話は面白く、勉強になる一方で、お話の節々で、これからの茅葺の建物がなくなってしまうことに、危機感を持たれておられたのを思うと、全国の茅葺職人が一丸となって、大切に大切に守っていけたら、これほど、嬉しいことはないと思われた。

伝統を残すという意味でも、そこに住み続けて楽しんでいる方々の古民家はもちろんのこと、亀の井別荘などのおもてなしの場所や食の舞台の久山の茅の屋さん、歴史の舞台ともなったせごどんのいた家や古今伝授の間、太宰府の宮司さんの家、人吉の国の宝の神社の屋根など、吉野ケ里や逆葺屋根だった弥生の村、板付遺跡の竪穴住居なども想像をかきたてる意味において面白く、神社仏閣関係の落ち着きと趣のある茅葺の姿は美しく、皇室などの関係の建物などもその歴史を背負って生き続けているという意味においては、やはり普通の民家と変わりなく平等に、大切な生き続けて欲しい屋根なのであり、茅葺屋根の補修なども、できることならなくさないでほしいと思われた。

茅葺の希望

2019-05-27 23:00:59 | 茅葺
子供と一緒に現場で働ける幸せをかみしめていた。
そもそも、茅葺の屋根の家に住みたいという素朴な願いから、そのためにも茅葺が作りたいと思い始めて、作る仕事をやり始めて、その先にある希望がまた増えた気がして、心から嬉しい。
その願いをおっきな親心で受け止めてくださった親方に心から感謝いたします。
見守ってくださる多くの方々、本当にありがとうございます。

「滝のような」

2019-05-19 17:03:17 | 茅葺
雨が止んだ。
今日は休みである。
なぜだか、志ん朝の落語「宗珉の滝」を聴いている。
今の現場の設計士の先生が落語をお薦めしておられたのをやっと聞くことができたのである。

昨日は、我々の今、手がけている杉皮葺の屋根が、滝のような、雨にさらされていたので、気が気でなかったのだが。
大雨も止んで、少し気持ちも安らいできたような気がした。

昨日は養生の補強に明け暮れていた。

梅雨入りをしたところもあるという季節柄、杉皮葺の屋根の上に、さらに「すやね」を張っているので、多少の雨風はしのげるものの、大雨となると、かなり厳しい状況となるのだ。

大雨の中、ズブ濡れのまま、「すやね」の竹や木の上に乗り、ビニール製の布を補強していった。
やっと軒つけに入った杉皮の屋根はもちろん、その下で働く、大工さんたちの仕事場も雨風をしのげるように。
これも、また、屋根仕事の一つで、雨風に寄り添いながら、屋根ができて屋根に守られるまで、我々が竹と棒と紐の骨組みで柔肌の薄皮一つで、守るのだ。我々の作る屋根を。

屋久島で、山から降りれないほどの雨が降っているという。
五十年に一度の大雨。
私が生まれて初めて縄文杉に会いに行ったのも同じようなものであったが、大雨が身体中に降り注いだような、内側から全てが現れたような10時間もの間の道々であった。
山から降りれないで滝のように雨が降っていて、文字どおり滝になっている山道もあったようで、雨が降るといたるところに滝ができるという島の素の姿を見た気がした。
雨が降れば、滝ができる。
水があれば、水が流れる。
ただそれだけのことであるような気もするが。
命の危険を感じながらの山登りというものをまだ体験したことがないので、山の別の姿をまだ知らないだけかもしれないが。
雨は雨、屋根は屋根、我々は我々。
できることをする。
ただそれだけのことであるような。
そうして、一枚ずつ杉皮を重ねて山のような、気の遠くなるような、千枚以上の杉皮を積み重ねていく我々の杉皮葺の屋根のように、千年もの間、年輪を重ねながら、命を重ね、生きながらえてきたのだ。縄文杉も、いってみれば、我々人類も、あらゆる生命も。

千年王国。
という言葉を思い出していた。
昔、千年王国というヤバイ?Tシャツを着ている人がいる夢を見たことがあった。
どこかの島で、いろいろな国の人が集まって、生きているような夢を見たのである。
千年王国とは、どこかの宗教の言葉のようであったが、何か、違う意味があるような気がした。
ピアノが水辺の近くに数台置いてあり、キャンプをしている人、着飾った人、生活をしている人、ボランティアをしている人、志のある人、空母、客船、車、軍隊までいる、しかし、何か、祭りのような祝祭を生きるような、何かにいかされたような場所として夢に現れてきたような気がしていた。

もしかして、屋久島の夢を見ていたのかもしれないと、思ったのは、屋久杉の中でも、縄文杉が千年もの月日を生きていたという話を聞いていたからであった。
夢で見た千年王国というのは、縄文杉のある、この場所のことだったのかもしれないと。

実のところ、屋久島に行く直前に、弥生時代か縄文時代かの格好をした人が出てくる夢を見ていたので、屋久島に行ったら、何かわかるかもしれないと思っていたのだが、縄文杉に会いに行く道すがら、弥生杉というものが途中にあったのも、何か不可思議な、夢のお告げのような、不可思議な夢と現の交わった世界に迷い込んだような気になっていたのだ。

弥生か、縄文かわからないと思っていたのだが、原始の姿をした、草を着ている人の夢。
その人を見つける夢を見たのだ。
私は、その千年の時を思わせる、姿に会うためにここまできたのかもしれない。
千年王国とは、実のところ、自分の中の王国であったような、夢と現の境目のない島のような。国のような。気もしていた。

心も体も滝のように流れていく、生命の偶然がそこにあったのだ。

などと思いながら、志ん朝の落語が、耳元で水が流れるように、ゆうるりと酒を酌み交わすように、とうとうと体の中を流れていた。

腰元彫り師の宋三郎が死んだ虎を彫ったばかりに師匠の宗珉に破門されたところ、流れ着いた宿の主人に宿代が払えないので何の仕事をしているかと聞かれ、腰元彫りという。
死んだ虎をなぜ彫ったと言われ弟子にしてくれとまでという。
とりあえず、生きた命を作れるようになるよう、宿で彫っていいことになり、ある時、殿様から小柄を那智山の滝を彫るようにというお達しが来た。

水彫りをして、殿様に持って行った。
酒を飲んで彫ってダメ出しをされ、もう一度、精進して、彫るという。
二十一日、滝に打たれ、断食をしながら、滝壺から帰ってきて、ろくにご飯を食べずに、仕事を初めて七日七晩彫るのに明け暮れた。
宿の主人も断食して、願掛けをした後、
今までより悪い滝を彫った。と思った小柄を殿様に持って行った。
殿様は名作として手に取る。
二人のものの命がかかっていた小柄というところで、お抱えの腰元彫り師になったという話。
なぜできの悪い小柄を気に入ったのかと思ったところ、小柄から滝が流れて、水が流れたという、不思議な小柄を作ったという、名人の話であった。



父のお見舞いと茅葺の屋根と早月松原と

2019-05-12 23:33:25 | 茅葺
屋久島でお世話になったカツくん真澄ちゃん宅に伺い、預かってもらっていた荷物を持ち帰る。
同じ屋久島を登った仲間とまた会える喜びは幼馴染に会える喜びのようで、なんといういい時間を過ごせたのかと、思わずにはおれなかった。
それから、キャンプ道具をなおせるかもしれないと先輩の友人のキャンプ道具を取り扱っているお店に伺い見てもらい、アドバイスしてもらう。これからも大切に使っていきたい。

帰り道、父のお見舞いに行ってきた。
転んでは起き上がってきた父だが、今回は少し入院までの期間が早まったようで気になっていたが、見舞うと以外と元気なので、やはり会うとホッとできるので、会いに行ってよかった。
母の日というわけでもないが、花とフクロウの器を手渡した。
父にもいつ会えるかわからないので、七転び八起きのだるまさんの器を手渡してきた。
復活したら、使ってくだされ。と。願いを込めて。

入院先の近くのふれあいの里にある茅葺屋根を拝見してきた。
先輩方が五、六年前にさし補修したものであるが、しっかりとしていたので、しばらくは手入れ不要のようであった。
茅葺は、最初の黄金いろから色を変えて、歳を経るごとに、貫禄ができてくるようで、その年月も愛おしいものなのである。

早月松原に久しぶりに立ち寄った。
夜中にバイト帰りに友達と車で通りかかった時、女の人が立っていて、ちょっとさまよいいでたる魂かと、ぎょっとしたことがあったが、夕日が美しく、屋久島と同じ海の美しさと少し冷たい風の心地よさと体ごと味わった。

それから、博多に届け物をして、せがれとハグをして別れた。

寂しいが、自分や彼らがそれぞれ選んだ道だから、それをお互い噛み締めて、いずれ同じ目的を持って、楽しんで力を合わせて生きていけるように、準備をしてくれることを願ってやまない。