明鏡   

鏡のごとく

コロナの事実

2021-09-14 14:40:05 | 記憶
http://ochakai-akasaka.com/counseling/219429-sars-cov-2/?fbclid=IwAR1jDU4t4BYfcebiE9G23TZW9GOiiJtCbegYp1B0WQ1_xqrXu6v76I_zvOs


ワクチン接種反対

2021-09-09 07:11:19 | 詩小説
ワクチン接種反対 強制反対 規制反対

という旗印のもと、人々が立ち上がった。

酒をやめろ、人と接するのをやめろ、移動をやめろ、話すのをやめろ、一緒に食べるのをやめろ。
やめろやめろやめろということの根拠は、死であったとしても。
いずれ死が訪れる者たちにとっては、生きることをやめろということと等しい、やめろという横暴に、嫌気がさしていたのだ。

もう、バカらしい、やめろは必要ない。

拡声器でやめろと偉そうに言おうが、どうでもいいという人々で、道は溢れかえっていた。

きせいちゅう

2021-08-22 18:04:33 | 詩小説
    きせいちゅう    

 夏休みの帰省中のことであった。川の水をのもうとしていた。湧き出でてくるような透明な美しい流れの中に、とっぷりと浸かりながら、その水を口に含んで水が体の中をとうとうと流れるような川と自分が一体になったような気持ちがしていた。
 世の中が、コロナに感染しているような、どこもかしこもコロナで規制中のようで、店に入るにもマスク、消毒、体温検査と、透明な壁越しに会話する、簡易的なプラスチックの檻の中にいつも入れられ続けているという、どうしようもない中、見えない空気中よりも、少しは抵抗力のある水の中で、その騒動から、遠ざかることができるような、聞いてもどうしようもない、拡声器からの今日のコロナの感染者の数を聞かなくて済むような気がして、そのような淀んだ空気を洗い流しているような心持ちがしていたのだ。
 滝の音が聞こえた。水は岩を流れながら、飛沫をあげていた。右側の滝の懐に入った。水々しい力が、頭の天中に降り注ぐ。水が頭上から体の中までずずずと水圧のまま入ってくるようなそれは水の水々しい力そのもののようでもあり、もともと水の流れが体を経巡っている生暖かいものを押し出して滝の流れと繋がっていくような感覚。その感覚に身を委ねながらもっと強く流れる左側の滝に体ごと突っ込む。もう、水との一体感のようなものを通り越して、水の流れに流されまいと逆流している川の中の山女魚のような心持ちになる。進もうとしても水圧におしながされて、その場から動くことができないままの同じところにいながらにして全身全霊の力でそこにいるような心持ちなのだった。
 湧き出ているきれいな水だと思って、その水をたらふく飲んだ。その水の中に漂う針金を見つけた。こんなところに針金が流れているなんて。と思い漂う針金を見続けていると、それは、針金虫だった。針金虫まで飲んだかもしれない。とっさに水を吐き出そうとしていた。針金虫は、自分の体より大きなカマキリを殺すことができる。水底に引きずり込むように。針金虫を体内に取り込んでしまったカマキリは、水の中に入るように誘導されて、水に溺れてしまうのだ。それから、針金虫はカマキリから這い出して、また、針金虫として水の中に帰っていくのだろうか。などと思う。そうして、寄生虫として宿主をまた探し続けるのだろうか。カマキリではなく、人間であろうが、針金虫が一匹ではなく、何万もの針金虫が束になっきたとしたら、もしかして、人間でさえ、ハーメルンの笛吹き男について水に溺れていくわけでもなく、針金虫に脳内操作されて、水に溺れていくことも、現実に起こり得ると言えなくもない。
 現代の針金虫とも言えるナノチップを仕込んだ、コロナワクチンを人類の大半のものの体内に打つ注射を、滝に打たれるように、あるいは知らずに飲み込んだばかりに、体内に流し込まれてしまったものが、筋ジストロフィのように動きが制御されて、ロボットか、ゾンビのような生きているのに死んだような動きをしながら、何かに襲いかかるようなこともあるが、ただひたすら、目的を達成したら自死するように操作することも可能というわけである。一度では制御しにくいと思われるので、二度、三度と繰り返し人体実験を行っているのであるとしたら、それは、いったいどこで制御していこうとしていると思われるか。
 身近な電子機器である。スマートな制御。遠くからでも、指示通り動く、動物牧場ではなく、放し飼い人形ロボット計画。未来からやってきて、家をぶち壊す算段であると、面白おかしく人の犬化計画をアピールしているものがいるのではないか。抵抗を歌う作家も、少しおかしい。最近、一度目のワクチンを打ってからというもの、人が変わった様に、抵抗しなくなったばかりか、ジャンクフードで満たされ、罵詈雑言を吐くこともなく、無抵抗で確実に飼い慣らされていくようであった。まるで歌を歌わなくなった歌うたいのように。これから、ますます老人の動きがおかしくなっていく。老化のせいではなく、ワクチンのせいで、自死に至る病に犯される。それが、じわじわと低年齢化されていくのだ。
 コロナのワクチンには、コロナだけでなく、いろいろなものが混じっているのだから。人口の半分はワクチンを打っているという。狂犬病予防。これから起こる騒動に狂犬のように嚙みつくものがいなくなるように。犬でさえ、狂犬病予防でむやみに吠えなくなったというのだから、人間にもまた、今回の騒動で人体実験を繰り返し、奴隷として役にたたず、いらなくなったら、ジ・エンドになるだけの算段なのだ。
 神様は、次の世界でいいようにしてくれるのだという。遠くから指図するだけで、汗水垂らして生きているものを奴隷としか思わない神様などいらない。お互いに、神様であろうがなかろうが、寄生虫のような王様、女王様であろうがなかろうが、生身の人間であろうがなかろうが、生臭い生き物であるということだけで、死に至るまでは十分であった。
 夏休みの帰省中の、コロナ禍で一年延期された五輪の、生々しい汗と涙の中、掲げられた五輪の旗が、なんとはなしに、丸くなった針金虫ののさばった世界のように見えてきた。
 なんとも言えない、狂騒の果てにたどり着いたコロナの、狂った寄生虫のような裸の王様、女王様の冠を無理強いさせている、規制中の騒ぎの顛末なのであった。

『ギュンター・グラスの40年 仕事場からの報告』 

2021-08-16 11:25:31 | 詩小説
『ギュンター・グラスの40年 仕事場からの報告』 フリッツェ・マルグル編 高本研一/斎藤寛訳を小倉の古本屋で手に入れた。

『ブリキの太鼓』を映画で見て、それからギュンター・グラスが原作であると知り、彼の書いたものをできうる限り読んでからというもの、ギュンター・グラスは、私の戦争小説の中で、同じ眼差しのようなものを持った、近しい体験を通しての言葉を拾い集めることのできる、ガラスを切り裂く叫び声を持つ少年オスカルの見た戦争の時代のような設定は奇抜ではあるが、それこそが、彼の中の真実であるようなものを感じていたのだが、その背景も垣間見られる本が、グンターグラスの40年 仕事場からの報告であった。

仕事場で、石を彫ったり(もともと彫刻家でもあった!)、言葉を掘り下げたり、絵を描いたり、と、彼は手を使って、言葉を使って、目を使って、世界を描き続けていたのも、知ることができた。

私自身も、ちょうど、小さな屋根に乗せるつもりの石の置物でしっくりいくものがなかったので、自分で作っていたので、その共時性、シンクロニシティを感じつつ、ギュンター・グラスの仕事場からの報告を、囲炉裏のそばで石工の傍らに、読んでいた。

言葉の上では、より正確な表現であるような、どこを読んでも、どこかずれている人間の正義だとか、善悪だとかを通り越して、本当にあった心の中の動きと外とのギャップをなんとか埋めようとして、書かずにはおれないような言葉の海辺を行ったり来たりすることで、生き抜いたような、戦争のただ中にいたものの姿を淡々と描いていた。想像ではなく、生身の体験からじゅるりと絞り出された言葉の波なのである。

血なまぐさいのである。生臭いのである。どこかしょっぱいのである。

腐り続けている海辺打ち上げられた死体を、ただただ眺めているような、瞬きもせず、目の前のことを目を見開いたまま、じいっと見ているしかできなかった、不気味な少年のような、死に損なった老人のような眼差しなのである。

グンターグラスが、インドのカルカッタを愛していたのが、また、同じところを彷徨っていたのだと思わずにはおれず、あの死の匂いも漂うような、労働の過酷さと、格差を嗅ぎつけて、そこにズッポリと居合わせる何か。

長編小説『女ねずみ』の初稿は、素描を交えて、いわゆる実物見本の中に書き込まれたと言うことも書いてあったが、メモと素描がアイデアが生まれた瞬間をとどめながら、そこからまた、次のアイデアをつなぎ始めている、思考の波を描き続けているのが、よくわかる。自分にとっては、この日記のようなものであると思いながら、より、生身のものを残してくれたことに感謝していた。

絵も、美しいものというよりは、生々しく、生きているということはグロテスクな事なのだとでもいうような事、戦争というものは、その最たるものなのだという事に、たどり着いたような気がしていた。

大江健三郎とも、交流があったと書かれていた。
大江は、グロテスクリアリズムを追求していたともいえるが、「生」の戦いの当事者であるか、傍観者であるかのはざまで、生のグロテスクさを際立たせているところは、彼らのような物書きの行き着くところであるようで、興味深かった。

ギュンターは、戦争の当事者であり傍観者であり、グロテスクな、その生きることを、感じたままに、メモの断片をコラージュのように切り貼りしながら、いろんな登場人物に語らせながら、より具体的に、生きた時の流れを凝縮しながら物語り続けた。

大江はどちらかというと傍観者であり、年少の時に体験したであろう戦争の外にいたが、「生」の戦いにおいては、戦争中であろうが、平和と思われている時期であろうが同じような、グロテスクな何かがあるというようなものを描き続けているように思う。

ゆふいん文化記録映画祭

2021-08-14 10:38:48 | 詩小説
先日、ゆふいん文化記録映画祭で中谷健太郎さんの記録映像と戦中戦後を生きていた一人の人の、すずさんの生活を通しての昭和史を記録したフィルムを拝見した。

すずさんの娘さんである小泉和子さんが残した、当時の戦後復興の中、金融公庫第一号的な時期に建てられた建築としても貴重であるモデルハウス的な日本家屋に、焼け出された一家が移り住み、そこから、また今まで生きてきた軌跡が、垣間見られた。

建物というものは、そこに住む人がいて、魂が入れられるということを、生活は身体中に経巡る血や酸素や熱のように巡り巡ってこそ、ともに生きていると言える。

建物も人がそこで生きているからこそ、生きながらえているような、少しでも、手が加わらなくなると、朽ち果てていくだけとなるという、建物にとって、人こそが魂であるような、そんな気がしながら、拝見していた。

すずさんが丁寧に作るおはぎを拝見しながら、母が作ってくれた、おはぎを思い出していた。あの家にも魂は確かに宿っていたのだと思える何か。

戦後、GHQが自分達が使うために日本の人たちに作らせた家具を作っていた小泉さんのお父様が監修した文化住宅的建物は、玄関入ってすぐに、仕事場のような西洋風な書斎がまず飛び込んできた。

それが、日本の家の戦後の形であり、その家に住むものの形までも少しづつ変えてきたのだと思うと、家から見た民族の生活の形のようなものを思わずにはおれなかった。

そこに住むものの生活の形、魂の形の、象徴的なものが建築であるということ。

西洋風なものが玄関から入ってすぐにあるという、顔のようなものになっていることの時代精神のようなものを、建築から読み取ることができるようで、興味深かった。

今、茅葺屋根を作るようになった自分の中で、昔の日本人の形というようなものが、なんとはなしにしっくりと行くのは、家の中にある土間が、おくどさんがあるお台所的な機能と、農作業を含めて、家や仕事でいるものを作る作業の場としての機能性もある、優れた、外と内を併せ持った空間をなくしてしまったことは、生活の様式をも変えてしまったことが惜しまれた。

縁側もそうである。ウッドデッキよりも、椅子としても、機能する、内と外を緩くつなげる装置であったこと。
日本人の内と外を自然に繋げる、自然とくっきりと分け隔てない生活を育む場として機能していたということ。

今、その場を取り戻しているようで、自然と緩く繋がれることに喜びを感じている。

健太郎さんの亀の井別荘の庄屋サロンさんも、その外と内との緩やかなつながりを大切にされているような、心地よい、文化的とも言える場で、そのお屋根を葺かせていただいたことに、ご縁を感じており、これからも、ここで生まれた文化を末長く見守ってくださる場として、残っていけるように、我々も心を尽くしていきたいと思った。

健太郎さんが、出演されていたテレビ番組を上映されていたフイルムもまた、湯布院の形を作っていった歴史を垣間見させていただいた。

文化的空間として、日本人の、世界中の人たちの心の、遺伝子に刻み込まれた田舎の原風景のような、息がつける場としての、湯処を作り上げていった核心に、健太郎さんたちがいらっしゃったこと。

ギラギラした若かりし時の健太郎さんたちの、大手企業や、自衛隊、アメリカ軍などの影もある「故郷」を、どう自分たちの思いが入った「故郷」に作り上げていこうともがいたか。

当時の熱の伝わる映像であった。

合間に、庄屋サロンの平野さんから紹介していただいた、作家の森まゆみさんとお話しする機会があった。

森さんから、島根の古民家再生や色々な古民家再生のお話しや、建築に関してのお話し、温泉についてもお話しをお聞きできた。

中でも、いたくら作りの建築「斎」の杉皮葺の屋根を葺かせていただいた際に、それを設計されたというご縁もあった安藤邦廣先生もご同行したというイギリスの建物探訪のお話しをお聞きできたのは、幸いであった。

ここでも、いいものを残していきたいという思いのようなものが繋がれる幸せを感じていた。

戦争と平和の祭典

2021-08-01 14:55:09 | 詩小説
戦争とは、命の戦いである。
人を人と思わない、人が多く死んだ方が、命という命を破壊し尽くした方が、勝つことである。
平和の祭典とは、肉体と心の戦いである。
人と人とがぶつかり合い、多くぶつかり合うことができた方が、勝つことである。

戦争とは、自分にとっては、赤い夕暮れ時の爆撃である。
生暖かい夕暮れ時の風である。
赤い爆弾がてんてんてんと飛んでいくのを眺めていたことである。
爆撃の知らせを聞くことである。
爆撃の後、人々がアローホアクバルと叫ぶことである。
建物や心を破壊することである。

平和の祭典とは、コロナの中であっても、汗をかき、密になり、激しく戦い合うことである。抱き合ったり、転がしあったり、走りあったり、泳ぎあったり、ここだけは、解放区のようである。

木がたおれる

2021-07-25 22:52:50 | 
明楽園の木を切る
屋根に光が当たるように
年輪は56
木がたおれる
すっくとつきたっていた空から
みしみしと遠ざかりながら
木がたおれる
56年の年月が寝転んだ
空の記憶を水平に保ちながら
根っこと離れ離れになった木がたおれる
切れ切れの線になった年輪が筋を通すように
空にけば立つ
切り株は人っ子一人座れる
ソーシャルディスタンスなど
はなっからどうでもいいように
そこにあった
年輪から滲んできたみずを吸い込むように
切り株に座った

木は
この杉の木は今まで生きて
水を隅々まで
青臭い緑の葉の先まで
へ巡らそうとしていたのだと
杉皮はカサブタのように枯れ果てようとも
一皮むけばみずを含んだつるりとした白い木肌が
ライチのようにつるりと顔を出す
生きるも死ぬも皮一枚
皮は死衣装
皮を剥がれた木肌は裸になっても生きている
空を仰ぎみて
56年の高みから
56年の重みへと変わる瞬間
みしみしと音を立てながら
いくつもの枝が年老いた手を振るように
木がたおれる

ココロハ コトバデアル。 ことばは こころである。

2021-07-04 10:34:10 | 詩小説
一本の電話がなかったら、もう犬の散歩に出かけていたところでしたよ。

私が、閉じられた扉をこじ開けて、納骨堂に足を入れた時に、お掃除されていた、住職さんの奥さんがおっしゃった。

我々にとって、心をなくさないため、洗心のために伺う、茅葺の先輩の命日のことであった。

釣りや珈琲の好きだった先輩へ贈られた心のこもったお供え物が、心に沁み、どうか、安らかにと願いつつ、なくなる前に、まだ駆け出しの私に、自分の道具を作らないかんな。と言ってくれた先輩の言葉を思い出した。
本当に、職人になりたいなら、自分の道具を自分で作れということを言われたのだと思った。
本当に、心からありがたい言葉であった。


それから、

ココロハ コトバデアル。 ことばは こころである。

といった詩人の織坂幸治氏の言葉を思った。
織坂氏とは、檀一雄の好きな方々の集まりで一度だけご一緒したのだが、最近織坂氏が亡くなったので、詩人の井本元義氏が心愛のある評伝を書かれたのを頂き、拝読したばかりであった。

特に、「北極星と魚」という詩が好きであった。
海に身を投げて亡くなった友へ捧げたような詩であった。

ぶあついとびらを
押し開けるように 夜にむかって
問いかける

おれは 魚。
しかもおれの糞しか喰ってゆけぬ
魚。

おれは釣られても
にんげんはじきに突き放す。
おれの体臭が人糞の匂いににているから。
苦汁の多いこの場所は息苦しい。

キラリ光ったのは
果たして天空の北極星だったのか

荒々しい水圧のなかでは
おれの泪がよじれ。

おれは 魚。
だろうか。
海には墓地がないのだろうか。



甲斐大策展 島田美術館

2021-06-10 01:10:44 | 詩小説
島田美術館で開催されている甲斐大策展に伺う。

詩集『蜜蝋の花』の表紙に甲斐さんの絵にしたいと石風社の福元さんにお伝えしたら、すでに河岸の人となっていた甲斐さんの本の中から使っていいと、娘さんのみかりさんが言ってくださったので、暗闇の中の月と鳥たちと人の描かれた絵を選んでくれた。

先日、宗像の鍼灸院をされているきよみさんの御宅の施術室を杉皮で葺きたいということで伺い、お友達とも知り合いになれて、イランに行ったことがあるというログハウスを作っている地元の方にもお会いでき、その後、福津の甲斐さんの娘さんに、甲斐さんの表紙の詩集を届けることができた。

島田美術館で個展をされていると聞き、島田美術館へ、六月から始まった杉皮葺のお屋根の現場が偶然休みになったので、喜び勇んで伺った。

懐かしい絵に会うことができた。甲斐さんはペシャワール会のカレンダーに絵を描かれていたので、そこで拝見したものに近いものが多くあった。

甲斐さんの魂のようなものが、そこにあった。絵を描いた実体はないが、記憶はそこに息づいていて、いつでも会いたい時に、会えるような。

私が、イランから帰ってきて、しばらく住んでいた福間の風景が気になって、どちらかというと、甲斐さんのアフガニスタンやパキスタンの旅の絵よりも、日常の風景が今の私にはするりと溶け込んできたようで、その絵と一緒に帰ってきた。

ウイグルのカフェをされている友人や島田美術館の奥様にもお会いできて、表紙の絵の行方が分かったら教えてくださるようにお伝えして、またお会いできる時を楽しみに、島田美術館を後にした。



詩集「蜜蝋の花」

2021-04-13 23:54:16 | 詩小説
詩集「蜜蝋の花」を石風社から出版させたいただきました。

よろしかったら、読んでいただけると、ありがたいです。

石風社にご連絡されるか、私のこの日記に鍵付きのメッセージいただけるとありがたいです。

阿蘇の草原に茅葺きの復活をさせるためのフォーラムと茅葺同志

2021-03-24 03:15:29 | 詩小説
草原の維持が人の手に委ねられているのは、先日、阿蘇の野焼きに参加させていただき、実感しているところであった。

野焼きして、自分の家の近くでも質のいい茅を自らの手で育てるというのが一つの目標でもあったが、阿蘇の広大な風景の中、地元の牧野組合の方などが、火を放ち、その火が落ち着いてきたところを、竹と蔓で作った火消棒で叩いて燻った火を消していく、地道な作業が続くのだ。

これを、毎年のようにしていくご苦労もさることながら、墨色に所々焼けていった草原を目の当たりにして、自然と生活のせめぎ合いのような、一つの境界線のような気がして、今まで見ていた阿蘇の景色とは、まるで違ってきていた。

あそこにあったであろう、燃え広がる炎と煙の残像が、生々しく、そこに立ち上がってくるようなのだ。


今回のフォーラムでは、色々な方々のお話がお聞きすることができた。

中でも、安藤先生の生活の中における循環型の茅葺のあり方のお話は、何一つ無駄のない腐ってもなお人にもそこにあるものにも溶け込んでいく茅の一生は、人の一生のようで、生きとし生けるものの姿のようで、囲炉裏によって生かされ燻されてこそ、生を全うできるような、生き残る最初で最後の術のようでもあることを再確認させていただいた。

上野先生は、万葉集から茅の歌を取り上げられて、語りと歌の違いについて、歌とは響かせてこそ、人やものにより伝わるカタチであることを指摘されていた。

隈研吾先生は、19世紀のアムステルダムにおけるリバイバル的な茅葺に立ち返ろうとする運動を紹介され、その時期におけるスペイン風邪の流行と、昨今のコロナの流行の共通性と指摘されていた。時代精神というものがあるとするならば、その時代が茅葺という、自然に溶け込む輪の中の一つの、たった一つの循環の象徴ともいうべきものとなり得るのだということ、茅葺は時代すら超えて、そこにあるもの、あったものなのだと改めて思いをはせることができた。

だから、作らずにはおれなかった、住まざるをえなかったようなもの。
少なくとも、そこにいた我々の中に里山のように、自分の中にある原風景のような、なくしそうで、なんとか踏みとどまって、そこにあるものを残していく、大きな一歩。手立てを持ち始めたのだと思わずにはおれなかった。茅を守ろうとされている政治家の方もおられるということは、その一つの流れであるようで、それはそれで、こころ強いことであると、率直に思えた。

国宝である青井阿蘇神社の宮司の方の、祭り的「場」の復活のお話、このフォーラム自体が現代の大きな「結」の形であるとする阿蘇国立公園の方のお話、家族や仲間と茅を刈り、茅葺も家族で受け継いでいる植田さんのお話、茅葺学会の上野さんの世界の茅葺の紹介、他の方々の草原を維持することの必要性についてのお話なども興味深く拝聴した。

「斎」でお世話になった杉岡さんともお会いできて、いつもの茅葺仲間と温泉につかり、ラーメンをかっくらいながら、これからの茅葺に思いをはせていた。

次の日、遠路はるばるやってこられた京都の中野親方と長野さん、山田さん、神戸の塩ざわさんをはじめ茅葺のレジェンドの方々とお会いできて、植田さんも後から参加され、建築を研究されているふみさん、大阪のよしを手掛けておられる堺さんたちのお話も伺うことができて幸せであった。GSの山本さんにも阿蘇の茅を育てていく希望をいつもいただいて、みなさんとのご縁に感謝しかない。

「鴉の復讐」

2021-03-13 00:10:12 | 詩小説
鴉が駐車場にいた。
高速のサービスエリアでのことだった。
男が、鴉の後をつけるようにのろのろとトラックで追いかけ始めた。
鴉は最初、ほんの遊びのようについてくる車の前をひょいひょいとはね飛びながら先導する八咫烏のようであったが、その八咫烏を轢き殺さんばかりに加速し出した男のトラックの殺気を感じたのか、黒々とした羽を広げ、低空飛行しながら、道の向こうに飛んで行った。
男は、瞬きもせずに、鴉がさっきまでいた場所を見ていた。
男の中では、横たわる鴉が見えているかのように。

それから男は、高速を走り出した。
今日中に終わらせてしまわなければならない現場が待っているのだ。
鴉を追いかけている暇などないというように、何事もなかったのように、高速を走り続けた。

現場について、男は、足場を作り始めた。
玄関のところから始めた。
玄関の向こうの、仄暗い闇の中に、さっきの轢き損なった鴉が横たわっているような気がしながら。外壁の塗装のために、足場を作り続けた。
壁の周りを一回りしたら、このなんだかわからない息苦しさが少しだけ軽くなるような気がしていた。
男の中のどす黒いものをぐるりと囲いこむように。
金属のすかすかの結界を作るかのように。

あいつが。
あいつがいなければ、俺は自由になれる。
あの鴉を追いかけ回すように、あいつを追いかけ回し、首を、手を締め付け、殴り倒した。
昨日のこと。
あんまり、俺の心の内を言葉にしすぎるのだ。以心伝心のように、俺のやろうとすることを先回りして言うのだ。
気に入らねえ。全くもって、気に入らねえ。
別にわかっているなら、言葉にしなくてもいいものを。

男は、白目がちな目だまをギョロつかせながら、金属の足場を、一本の枝を集めては巣を作る鴉のように、一本、一本、蔕に噛ませながら、積み上げていった。

壁を黒く塗りつぶすのだ。
鴉とその影をも塗りつぶすように。
それとも、焼き杉の方が良かったか。
二、三メートルの杉の板を三つ角を合わせて、三角柱にしながら、荒縄で縛って固定いさせ、その筒状の中に、木くずや藁を突っ込んで、火をつけるのだ。それから、合わさった板と板の間に隙間を鎌で作り、風を送り、火をけしかけ、炎となり、そのうちを黒々と焼けただれるまで燃やし続けるのだ。
そうして、炎が筒の上から鎌首をもたげてきたところで、逆さ釣りにするように、その三角柱の中の炎が逆流して焼け具合が均等になるようにするのだ。
燃え尽きてしまわないように、ある程度燃えてきたら、今度は水攻めをするように、杉の板を近くを流れる小川の水につけて一気に冷ます。
湯気が出てくる。黒炭になり息絶える手前の板を救ったのか、手遅れなのかは、その後の表面を削る作業が教えてくれる。

ここは、天国ではなく、地獄のようだな。

しかし、焼かれながらも杉の板は、家の壁を生木のままよりも長く包み込んでくれる。
宇宙に浮かぶ星々が闇に包み込まれているように壁をぐるり黒々と包み込むのだ。
ねっとりとした鴉の黒々とした目のような油性塗料の黒か、干からびた鴉の羽のような焼けた炭の黒か、どっちみち、暗いのだ。

この冬の寒さのせいかもしれない。
男は思った。
流行り病のことを、毎日のように、テレビで垂れ流している。
今日何人、病気にかかった。
今日何人、死んだ。
不要不急の外出は控えましょう。
俺たちにとって、不要なことなど何もない。
不急のことはないにしろ。

真昼を知らせる音楽がなり始めた。
夕方の五時であったら、七つの子の歌がなるはずであったが、昼はやけに明るい音が鳴るのである。

お昼にしましょう。

あいつが声をかけてきた。
あいつが作った梅干しとおかかの握り飯だけでは腹が減るので、サービスエリアで、鶏めしを買っていた。
弁当の入った鞄を開けると、透明なプラスチックの箱があった。
鶏めしがなくなっていた。
なんども、やられていたのに、久しぶりに、油断していた。
あの鴉どもが、また、盗み喰いをしていたのだった。
上手に、チャックを開けて、ご丁寧にプラスチックの箱は残したままで、中身だけ、空洞にして、何もなかったのように、そこにあったのだ。

あいつは、自分で握った握り飯を頬張っている。
一つだけ俺に手渡しながら言った。

鴉が喰い散らかしたみたい。
鶏めしの中身が何もない。
鴉が鶏を食らうなんて。
共食いの一歩手前みたい。

別に。いつものことだから。

あの轢き損なった鴉の、魂のようなものの、一つの復讐のような気が、どこかでしながら、握り飯を頬張っていた。



干潮とファンファーレ

2021-03-06 02:18:40 | 詩小説
干潮の時
わかめを取りに行った
腰まで浸からないとわかめは取れない
すぐそこにある黒くないひじきをひきちぎる

先っぽのひじきが柔らかいのだよ
すぐそばでわかめがりをしていたじいちゃんが言う
乾涸びる前のひじきは水で潤んだ草色で
波に飲み込まれては吐き出されていた

軽い砂浜の世界は乾いた世界で
風に吹かれて砂紋を描き
重い海底の砂の世界は湿った世界で
海の流れで砂紋を描き

軽い世界は楽しい
と友は言う
重い世界は苦しい
と人は言う

どこかでファンファーレが鳴っていたのだ
世界のおわりとはじまりのような
砂の重さと海の重さが釣り合った世界の
赤い太陽と黒い津波の10年前



焼き杉

2021-02-18 00:43:49 | 詩小説
粉雪が降り出した
自分より少し大きくて
手のひらくらい幅を利かせた杉の板
三枚で三角柱にして荒縄でしばる
その三角形の空洞に
茅の袴を詰め込んで
火をつける
狼煙が上がると
火が駆けずり回り
内側だけがどす黒くただれていく
もう耐えられないと火がてっぺんから首を出すと
砂時計のように
上と下をひっくり返した火時計は
杉の記憶を黒く塗りつぶし
杉の板を生半殺しにした
老婆の肌のような土壁を
黒光りする鎧板となり
守るのだと
言い聞かせながら
冷水をぶっかけては
火あぶりとなった
魔女狩りの後に
また新しい三角柱の生贄を捧げるように
杉の板を焼き
焼き杉を作るのだった

野焼き

2021-02-12 01:07:49 | 詩小説
野焼きボランティア講習に参加してきた。

阿蘇の牧野を守ってきた方々から学びたいのもあったが、我々の暮らす日田の前津江の里山も、これからまた野焼きできるようにしていきたい思いも強かった。

まっすぐでなりのいい茅が育ってくれるようになるとのこと。

火消棒を竹とかづらで作った。
竹の先を6分割して、その半分の3本にかづらを通し、ずらして、6本足の熊手状態に潰しながら、手前向こうと一本づつなみ縫いのように交互にかづらを通していく、端っこになるとくるりと踵を返してまた編んでいく作業を繰り返し、最後は、縦に三つか四つのなみ縫い状のものをキュッと止めるように2回ずつ巻きつけていく。

そうして、今度、一斉に、阿蘇の野焼きがあるときに、実際に野焼きをするときに、皆でバッサバサ叩いて火消をするのである。

それにしても、壮大な阿蘇の草千里を走る野焼きの火を見るのが、本当に楽しみである。
野焼きをすることで、牧野は保たれてきた。
その後に生えてくる牧草を食む牧牛をよく見かけるが、彼ら、彼女らは子孫を残すために放牧されているのだという。彼ら彼女ら自身は、食べられるのではなく、生み育てられるのだという。

牧野に放たれた自由を食む牛たちの上を、悠々と飛ぶ熊鷲も減ってきたというが、まだ、谷などの狩りやすいところでは見かけると、地元の牧牛を育てている方が、おっしゃっていた。

子供の頃から見ている生きとし生けるものの姿を、幼馴染の友人を見かけたように話されていた。