明鏡   

鏡のごとく

ココロハ コトバデアル。 ことばは こころである。

2021-07-04 10:34:10 | 詩小説
一本の電話がなかったら、もう犬の散歩に出かけていたところでしたよ。

私が、閉じられた扉をこじ開けて、納骨堂に足を入れた時に、お掃除されていた、住職さんの奥さんがおっしゃった。

我々にとって、心をなくさないため、洗心のために伺う、茅葺の先輩の命日のことであった。

釣りや珈琲の好きだった先輩へ贈られた心のこもったお供え物が、心に沁み、どうか、安らかにと願いつつ、なくなる前に、まだ駆け出しの私に、自分の道具を作らないかんな。と言ってくれた先輩の言葉を思い出した。
本当に、職人になりたいなら、自分の道具を自分で作れということを言われたのだと思った。
本当に、心からありがたい言葉であった。


それから、

ココロハ コトバデアル。 ことばは こころである。

といった詩人の織坂幸治氏の言葉を思った。
織坂氏とは、檀一雄の好きな方々の集まりで一度だけご一緒したのだが、最近織坂氏が亡くなったので、詩人の井本元義氏が心愛のある評伝を書かれたのを頂き、拝読したばかりであった。

特に、「北極星と魚」という詩が好きであった。
海に身を投げて亡くなった友へ捧げたような詩であった。

ぶあついとびらを
押し開けるように 夜にむかって
問いかける

おれは 魚。
しかもおれの糞しか喰ってゆけぬ
魚。

おれは釣られても
にんげんはじきに突き放す。
おれの体臭が人糞の匂いににているから。
苦汁の多いこの場所は息苦しい。

キラリ光ったのは
果たして天空の北極星だったのか

荒々しい水圧のなかでは
おれの泪がよじれ。

おれは 魚。
だろうか。
海には墓地がないのだろうか。




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