明鏡   

鏡のごとく

茅葺のその先

2022-07-30 03:31:12 | 詩小説
高取焼宗家のお屋根の差し補修の仕上げが終わるか終わらないかの時、安倍晋三氏が亡くなった。

白昼、参議院選挙の応援に駆けつけていた時に銃で打たれて。

屋根にのぼって、休憩が終わって茅を差そうとしている時に、ニュースでそれを知った上村氏が教えてくれた。

まさかと思ったが、心臓を射抜かれたという。

近距離から打たれたという人がほとんどであったが、まるで、ケネディが亡くなった時のような、違う角度から打たれていたという人もいて、情報が錯綜していてなんとも言えなかったのだが、いずれにせよ、心肺停止の状態で、もはや、死と添い寝している状態であるようであった。
無防備であることが普通と思われていた、この国で、安倍のマスクを作って配りまくった挙句、デスマスクをつけられ、亡きものになったようで、見えない口封じのげきじょうがこみ上げてくるようであった。あまりに、あっけない終わり方。
人の死というものは、目の前で見せられても、嘘のようで、命の尊厳など感じる暇もない、愛と平和を歌うのも、なんだか違和感があり、微妙で、嘘のような世の中に見えた。

次元が違うんだよね。

ある人が言った。

2.5次元に生きるように、仕向けられているんだよ。
僕たちはね、押し込められるのだよ。檻の中に。
ワクチンというもので、人体実験されているのだよ。
そこから出られるものは、野生しかないのだよ。
茶番だって。
コロナ禍と叫び続けられている時期の、党首を選ぶ時に、茶番だって、知っているものが、ニヤニヤしながらまあまずはお茶でも飲んで。と茶化しているのを見て、僕はそう思ったよ。郵政民営化で、外国に日本の財産を売り渡したり、プラザ合意で日本を売った子孫は、なぜかテレビでも引っ張りだこだろう。
それがテレビの中の世界ってやつだ。
誰もが、その行為を茶化しているとは思わなかったかもしれないけれどね。テレビで、毎日、茶化されていると、その嘘が、本当のようにまかり通ってしまうのを、何度も何度も見せつけられていると、洗脳されていく過程を見ているようで、気色が悪いものだよ。

先日も、どっかの首相がコロナ禍なのにパーティして辞めさせられたでしょ。
アホくさいと行動で示している人は、辞めさせられるか、死ぬのだよ。
辞めさせられるか、死ぬか、逃げるかなのだよ。

確かに、そうかもしれない。

食糧不足、燃料不足で騒いで、物価をあげるだけあげて、毎日のように、不安を煽ることしかしないなら、皆、身動きが取れなくなっていくのは、致し方ない。

自分の世界を知るなら、目の前のことをまず知る事で、世界の一部を知る事に繋がるとするならば、そこも我らの「世界」であるという事。

繋がってはいるけれど、遠いか近いかだけ、大げさなだけなのだと。

そんな事を、弁当を食べ終わって、暑さに頭も体もやられながら、漠然と考えていた。

かなり痛みが激しく、本当は、葺き替えをする時期ではあるけれども、長い茅を用いる事で、なんとか、美しい葺いたばかりの時のように、再生することが、目の前の自分のやりたいことで、少なくとも、嘘のない心から這い出してきた行為であるということ。

壊れかけたものを、朽ち果てる手前の、ものを新たに生きなおすための、再生の過程を辿ることで、我々は生きながらえてきたのだと。

日本という国もまたそうであったのだと。
戦後は再生の過程であったが、前と全く同じ形ではなく、そこにあったものが、そこに根付いたものが、同じようなものを作り上げてきた過程でもあるのだと。

高取焼宗家の八山さんや春慶さん、七絵さんは、そこにある土や水や腐りかけの茅の灰を使って作った釉薬で、根付いたもの、根付いた技術を使って、器として何度も何度も同じようで完全には同じではないものを、再生されているように見えた。

半島からやってきて十三代の間に、根付いた技と人が、そこで息づいているのだ。
食を支える器として。黒田藩に茶器を納めていたという歴史も含めて。そこにいる理由はあるのだが、それを繋げてきた人がいて、生きている時が重なって、今があるということ。人がいる限り、その先もあるということ。千年先まで、もっと先まで。



千年の器 

高取焼宗家のお屋根から出た古茅
田んぼで焼いて灰にして
何度も漉して釉薬に
灰になっても古茅は
器を包む釉薬となり
千年先まで残るかもしれない器になるのだと
十三代目の八山さん
古茅の釉薬青藤色となり
初代の色にたち帰るような色味に焼き上がり

茅葺は千年万年持たないが
新しい茅の葺きかえ差しかえで新陳代謝を繰り返し
千年万年生きながらえて
式年遷宮するように二十年後に葺きかえて
いきふきかえす屋根の形(なり)
そこに心御柱(しんのみはしら)打ち立てる
見えない御柱打ち立てる
できたと思えばその次の屋根の葺かえはじめている
同じよで変わり続ける生き物の器



詩を書きながら。
伊勢神宮を葺いたことがある先輩が、亡くなったのを思い出していた。
その先輩は、伊勢神宮で、白装束を身につけていたというが、いつも白い地下足袋を履いていた。

白装束は、あの世とこの世を渡るための正装とも言えるだろうが。
先輩はとても仕事が早く、この世でやる仕事も通り越して、生き急いだのかもしれない。などと思いながら。
突然、亡くなったのを、止めることができなかった周りのものは、ずっと、そのことが心の奥底に残り続けていた。皆、悩んでいた。どうしたら、うまく葺くことができるのかの前に、人として。
職人である前に、一人の人として、腹を割って話すことができたら、まだ、良かったのかもしれないが。

先輩が亡くなってから、狂ったように、心を込めて葺くことで、己の中で、亡くしてしまったものを、なんとか、取り戻そうとしていたように思う。

逃げることもせず、ただ、ただ、葺くことで、その亡くしたものを、再生しようとしていたのかもしれない。

高取焼宗家のお屋根の補修の最中に、日本茅葺文化協会のフォーラムが、浮羽であった。その流れで、比較的近場の杉皮葺の古民家である我々の作業場でもある明楽園の屋根の補修のワークショップをすることになり、上村氏が講師となり、茅葺仲間が加勢に来てくれた。
亡くなった先輩のことを知っている茅葺仲間は、私が、先輩が亡くなって感情が不安定な時期を知っていたので、突然、思い出したように、涙が止まらない時も、何で泣いているのかわからずに、ただ、はたから見てもどうしようもなかったと思う中、上村氏は、心の支えになってくれていた。
少なくとも、どうして、泣いているのか。を知っている人であったから。
どうして先輩が亡くなったのか、お互い思い悩み続けていたから、毎日のように、どうしてか話しながらいてくれた身近な存在があったから、なんとか、これまで、生きてこれたのだと思う。
お互い、どうしていいかわからずに、それでも葺き続けていた。
亡くなった先輩もまた茅葺をやっていく上で、どうしていけばいいのかと、これからのことで悩んでいたのだと気づきつつ。その先にあるものを、知ることができるならば、希望のようなものが見えてくるかもしれないと思いながら。

東京に、杉皮葺の屋根があることを、以前、京茅の長野さんにお聞きしていて、いつか行ってみたいと思っていたのだが、美山の中野さんが、駒さんと一緒に東京のお寺の屋根を葺いてみないかと、上村氏を誘ってくださったのについていき、東京のあきる野まで杉皮葺をしに伺った時、亡くなった先輩が白い地下足袋を履いていたということを駒さんと話したことがあったのだが、そのお寺の屋根をきっちり仕上げて、フォーラムに来てくださった駒さんが、白い地下足袋を履いているのが、なんだか嬉しかった。
亡くなった先輩のこともしっかりと思いながら、杉皮葺を残したいと思う同志としてここまできてくださったのだと、勝手に、心の中で、思っていた。

あの杉皮葺の体験から、少なくとも一人ではない。と思えるようになっていた。近くに茅葺職人の仕事も一緒にしだした息子の道成もいて、その場の空気を吸ってくれていたのも、自分にとっては、大きな希望となっていた。
こうして、杉皮葺を知りたいと思う方々がいらして、同じ仲間として、一緒に朽ち果てようとしているものを、今ある技術と人と杉皮や下地の茅を葺いていくことで、お互い、いろいろな事情も何もかも、ひっくるめて、「葺く」という行為で繋がれたのだという、喜びを感じることができ、希望のようなものを皆で共有できた瞬間であったと。

これが、見てみたかった、知りたかったことなのだと。
亡くしたものをも、見えるもの、見えないもの、と一緒に葺いていくのだと。























コロナ

2022-06-14 13:05:27 | 詩小説
  コロナを書くこと。

 それが、桜木さんの最後の言葉のように今も残響のように私の中にあり続けている。
 もともと病気持ちだったことを知らなかったのもあったが、コロナに感染し、入院している間に、会うこともなく亡くなった。入院する前に、文芸雑誌「ほりわり」の会議でお会いしたのが最後となった。
 やけに顔色が悪いと思った。いつもは、きちんとした清潔な格好をされているが、この日はなぜか、つっかけを履いて、急いで何かをしにやってきたような普段着の桜木さんのように思えたのだ。我々に伝えたかったことは、コロナを書くことだったのかもしれなかった。私は、あの時、いつものように色々お話ししていた桜木さんの、その言葉しか、覚えていなかったので、遺言のように私から、ずっと今まで離れることはなかった。事あるごとに、私は、コロナについて調べ続けていた。どこか腑に落ちない事が、あまりに多くて、テレビやネット上の声があまりにも大きすぎた。
 そのような時こそ、何かが起こっていると考える習性があるのは、子供の頃、警察官である父親が外務省に出向し、中東のイランで生活をするようになってからだった。テレビで流される情報のあまりにも杜撰な切り取り方に違和感を持ち続けていたのもあった。イラン人の日常など、何も見ようともしないのに、デモの過激な、特別な風景だけを切り取って、毎日のように反対勢力と思われるものの象徴、反発している国の政治家の顔写真や人形、国旗を焼き討ちにする映像だけが流されることを、訝しく思っていたのである。
 コロナについても、「新型」と言う「冠」を被せて、プリンセス・ダイヤモンド号という船で感染をした人たちを、大々的に船着場で船上病棟のように、病気と共にその宿主となる人間を隔離する場面を、何度も何度も見せつけてくることへの違和感、あまりにもクローズアップしすぎることへの違和感があった。
 どこかで、似たようなシュミレーションをしていたのを思い出していた。船の中で、病気が発生して、それを食い止めるために、どのように、動けばいいのか、あるいは、それを利用して、どのように人々に感染の恐怖を植え付けるのか、とまではいかなくとも、どれだけ影響を与えるかの、実験をしていた事例、あるいは、映像。
 心理学の勉強をしていたことで、自分の書くことを通して、内面、表面を形作っているものを、なんだかわからないものを表現していくことで、自分の中で腑に落ちるものを見つける手段を見つけたのかもしれない。戦争を体験したことを言葉にすることで、その事実を事実として見極めることが、言葉にしない時よりも、確実にできるようになったのも確かである。事実と思えるものを、知り得る限りのことを知った上で、それらを検証して、事実を事実として突き詰めていくことが、自分の中の真実への入り口であると。善悪を超えたところで、腑に落ちるところまで突き詰めてやっと、そのものを知りえたと、その時点の自分が知りえたと言えるのではなかろうかと。
 人への波及効果についての研究だったか。なんでも検証を行い、その効果をじっと見ている者がいるということ。傍観者である我々にとって、彼ら彼女らを、また観察することで、その煽りを妨げ、それを沈め、消えさらせるための、防波堤に成ることは、我々が今ここにいる、この時代にいる理由なのかもしれない。
 事実は、特に真実のようなものは、善悪を超えたところにある。
 人が亡くなったということで、ネット上の誹謗中傷が取り締まれるようにするという。
 名前を晒すことなく非難中傷することに対しての罰則ならばまだ分かる。
 事実を事実として伝えることができないようになるのが、一番、懸念される。
 非難中傷する者がいると、反対意見のものをいとも簡単に、駆逐できる、ロジックは必要ない。
 表現の自由は必要である。事実を伝える上で。内面の真実を伝える上で。誰でも自由に表現できることは、最低限度の自由なのである。
 その自由を奪おうとするものへ、細心の注意を向けた方が良い。
 それを波及する役割を担うもの、電波の世界に、事実の石を投げ込み、その波及の底に沈んでいく石が荒波のそこに着く頃には静かで穏やかな水面になっているように。

 国立感染症研究所の報告書によると、2020年1月20日に横浜港を出港したクルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号の乗客で、1月25日に香港で下船した80代男性が新型コロナウィルス感染症(COVID-19)に罹患していたことが2月1日確認された。

 香港政府のプレスリリースによると、男性は新界の葵涌エステートの葵涌ハウスに住んでおり、過去の健康状態は良好であったという。彼は1月19日から咳を呈し、1月30日から発熱し始めた。彼は1月30日にカリタス医療センターの事故救急科で治療を受け、隔離と管理のために入院した。彼はさらなる管理のためにマーガレット王女病院に移送されていた。彼は安定した状態にある。症例は「EnhancedLaboratorySurveillance」スキームによって検出された。患者の呼吸器サンプルは、新規コロナウイルスに対して陽性であるとされた。彼は1月10日にローウー国境管理ポイントを通って本土に数時間行った。彼は1月17日に香港から日本の東京に飛行機で行き、1月20日に横浜でクルーズに乗った。クルーズは1月25日に香港のカイタッククルーズターミナルに到着した。調査の結果、彼は医療施設、生鮮市場、魚市場を訪れておらず、潜伏期間中に野生動物にさらされていなかったことが明らかになった。彼は妻と一緒に暮らし、2人の娘と一緒に日本に旅行した。調査は進行中。
とある。

 第一号とも言える80歳の香港に住む男性の行動範囲のおおよそは把握されているが、その原因は未だ、わかっていないということ。少なくとも、動植物、生物から影響を受けたとは言えないということ。

 男性は、1月19日咳発症し、1月30日から発熱しだしたとのことであった。2月2日に香港から同報告を受けた厚生労働省は、2月1日に那覇港寄港時に検疫を受けたダイヤモンド・プリンセス号で船員、乗客に対し、2月3日に再度横浜港で検疫を実施した。同日夜から検疫官が船内に入り、全船員乗客のその時点での健康状態を確認しつつ、出港時から2月3日まで発熱または呼吸器症状を呈していた人及びその同室者に対し、口腔咽頭スワブ検体を採取した。次の日、31人中10人でSARS-CoV-2RNA)が検出された。

蛍の庭

2022-06-11 10:24:14 | 詩小説
 蛍が庭を漂っていた。
ちょうど、蓮を手に入れてきて浮かべていた池の近くから、茅葺と杉皮葺の神様をおまつりしたところに飛んで行った。
二階の座敷から蛍が庭先を揺蕩うのを眺めていたかったので、薄暗い、階段を上って御簾をかけているあたりに腰を下ろした。
綺麗な水があるところに蛍はいるという。
給食センターから流される水もあるという小さな川は、それほど、汚れてはいないのだろう。
などと思いながら、水が止めどもなく流れる音を聞いていた。
黄色い光を緑の光が包み込むようにぽっかりと浮かんでいる魂のようなものが漂っていた。
今年の蛍は、去年の蛍ではない。
水が流れる音を聞きながら、そう思った。
二度と同じ蛍には会うことはないのである。
今の蛍は、今ここにしかいない。
生まれ変わりのようで、何かと何かが混じり合ったのちに生まれてくるものなのだ。と。
近くに住むおばあちゃんには、娘さんがいたという。
この前、初めて、お家の中に招き入れてくれた時、入院していた頃に娘さんが作った、パズルを見せてくれた。
娘さんは生きていたら、私と同じくらいの年だという。
私は、自分が、この庭を漂う蛍になったような、今の蛍になったような気がしていた。

三島由紀夫の最後に書いた小説にも、美しい庭が出てきたのを思い出していた。
永遠の庭のような、楽園のような庭。
三島は、戦争の最中、非/日常の中を漂う蛍のように、爆弾が降ってくるやもしれぬ日常を命がけで生きながら、いつも死がそこここを漂っている戦争の間を、白昼夢のように、過ごしていた。
どちらかというと恍惚として。

戦争はあってはならないものです。
飢餓で震えている暗黒大陸の子供達にワクチンを打つ、飢餓を救うためにお金を寄付しましょう。
と、言うこともなく。

己に正直であろうとしたかに見える三島は、唐突に己の命を、その白昼夢を覚醒させる生贄のように捧げてしまった。

以前、三島の最後に同行する意思があるかどうか試された楯の会のメンバーの方の話を聞いて、本にしないかと声をかけていただいたことがあった。
その時、三島と行かなかったものの声は聞くことができても、三島と行ってしまったものの声をもう聞くことはできないのだ。と思った。
行かないと決めたものもいれば、行ってしまったものもいる。ということ。

この世とあの世の境界線上を、蛍のようにいきつもどりつ、たゆたっているような気持ちになった。
戦争のただ中、ひ弱だったばかりに戦うことから逃げることになった三島の魂は、ずっと、最後を待っていたのかもしれなかった。
美しい庭を揺蕩うのを待ちに待った蛍のように。

父の仕事の関係で、子供の頃、中東のイランに行った時、イランとイラクで戦争が始まった。
私のように、戦争のただ中に行く気が無くとも、連れて行かれることもあるわけである。
灯火管制の中、爆撃機が蛍のように揺蕩うのではなく、音速でやってきて音速で帰っていくのを、暗闇で聞いていた。
時折、爆弾がヒューと落ちてくるのを感じながら。
三島の恍惚をどこかで感じていたと思う、正直に言えば。
命がなくなるかもしれないというのに、最後の命を、ぷかぷか鈍く光らせるように生きていたのだ。
その父も、入院していて、終末期医療をも終えようとしている。
飲み込めないものがあまりに多すぎて、点滴で生きながらえながら、喉がカラカラなのを潤すために水蒸気が出てくるノズルが口元におかれている父は、霞を食って生きているように見えるのだった。

蛙が蓮池になるはずの池で鳴いていた。
蛍は、向こうのおばあちゃんの桜の木の下でゆっくりと光と光を交わらせてた。
今年の蛍が一つになって、来年の蛍になるために。

父に蓮の花を見せてやりたいと思って、手に入れた蓮は、まだ咲こうともしないで、静かに葉を広げてぽっかり池に浮かんでいた。




茅葺の神様と杉皮葺の神様

2022-05-26 10:52:09 | 詩小説
 茅葺の神様と杉皮葺の神様を明楽園にお祭りした。
 関わった、全ての方々が、茅葺と杉皮葺を愛するという一点に置いて、神様のように感じて、体験会に来てくださった方々の名前を書いていただいたお札をお祭りさせていただいたのだ。
 先輩の井手さんのお名前も、盟友の相楽さんに書いていただいた。
 皆様方の魂がどうか、安らかに、穏やかに、心休まる、茅葺、杉皮葺の屋根の下、日本はもとより、世界中の平和となっていくように、祈り続けるのだ。

 日本茅葺協会の安藤先生や上野さんをはじめ、全国から茅葺職人の方々が集まってきた、我々の作業場でもある古民家明楽園の杉皮葺の屋根で体験会を行った際のことである。

 浮羽で日本茅葺協会のフォーラムがあり、その一環として、15日に一般の茅文協の方々の見学会、16日に主に職人向けの体験会を行ったのだが、見学会には約50人、体験会には、30人ほどの方々が参加された。

 フォーラムにおいては、九州においては、三苫さんによるお話においての筑後川流域における林業が盛んになった頃から発達していったという杉皮葺を残していきたいという思いの大きさに限らず、生きる場としてのカフェとして茅葺の屋根と共に暮らすことや、九州大学の先生や学生さん、地元の役所の方々などの、茅葺、杉皮葺の屋根を残していこうとする取り組みや、世界の茅葺事情なども語られ、茅葺、杉皮葺への思いが伝わる発表であった。

 オランダの茅葺は、新築も多く見受けられ、建築家との新しい茅葺屋根の形を生み出している現状を紹介してくださっていた。バードウオッチングのメッカ?のような茅の草原の中で生み出された卵型の建築のおおらかさと、その形状に、柔らかい茅葺にお未来を見た。限界などないような、柔らかい、とてもしなやかな可能性は、ここ日本においても展開しており、伝統を守ることともに、新しい形をも生み出すことの喜びを感じずにはおれないお話であった。

 今年に入って、東京のあきる野の広徳寺において、奥多摩の杉皮葺の屋根をされる職人が途絶えないように、上村さんと共に、中野さんからお声がけしていただき、駒さんと松田さん山口さんとご一緒して、奥多摩方式というか、奥多摩の杉皮葺のやり方を、屋根の解体で実際にものを見て、学びながら、過去に施工した広徳寺の資料なども参考にしながら最高のものを模索し続けた日々であった。
 九州の杉皮葺と奥多摩の杉皮葺の最大の違いは、葺方にある。
 九州においては、下地には茅を敷いてはいるものの、埋めものとしての茅の役目が主なもので、その上に茅だけでは柔らかすぎるため杉皮の埋めものも敷いて、2尺前後の短冊状の杉皮をある程度の一尺半前後の葺足で積みあげていったのち、竹で押さえて、その上にまた同じような行程で、積み上げていくやり方なのである。
 一方、奥多摩においては、九州のように積み上げていくのではなく、一列づつ一枚一枚をつきつきに並べながら釘で打ち付けていくやり方でやっていった。我々が関わっていた時は、ちょうど、寒い時期であったので、解体時も屋根面が凍り付いていて、埋めものと葺く杉皮とが一体化していて、どれくらい埋めものをしていたかも、把握できなかったのだが、我々が今の現場である、小石原の高取焼宗家のお屋根をするためと、今回の茅文協のフォーラムの下準備のため、九州に戻ったのちに、駒さんと共に続けていた茂原くんによると、埋めものも見られたということで、やはり、奥多摩の杉皮葺においても、埋めものはしっかりとされていたということであった。また、重要なこととして、下地の茅葺は奥多摩においては、一度、茅葺の屋根と同じ吹き方をしたのちに、杉皮をその上に一列づつ、一枚づつ桧皮ぶきのようなやり方で並べているということであった。九州においては、軒は茅葺と同じ行程で茅を葺いたたのちに杉皮を乗せていくのであるが、その先は、先ほども述べたように、あくまでも埋めものとしての、下地としての茅を「のべ」として敷いて、鉾だけで抑えながら、その上に積まれていく杉皮を抑える竹を取るための抑え竹としの役割の方がより大きいとも言える。
 
 言ってみれば、奥多摩は茅葺をした上に杉皮葺をしている、それぞれの行程をそれぞれきっちりとしているので、二度葺いているといえ、ある意味、二度葺の贅沢な葺方とも言えるが、筑後川流域の葺方は、茅葺と杉皮葺の一体化というか、それぞれが個別ではなく、渾然一体となって、そこにある、茅葺と杉皮葺の融合物のようにも思われた。

 それぞれの杉皮葺のあり方の、それぞれの美しさとともに強さも、今後追っていきたいと思われた。


 それから、水の災害も、他の災害も見受けられる日本で、浮羽においては水害で多大な打撃を受けたのを乗り越えようと、知足先生や地元の方々などが協力されて、杉の流木などを使って、アートで、復興できる流れを模索されていたり、杉をこよなく愛する杉岡製材所の杉岡さんたちも尽力されていたのを存じ上げていたので、その思いは後の世にも伝わって、災害からも立ち直る手立てを我々は身をもって全身でもって、前進していく力を持ちうるという希望を見出した気がしていた。

 下準備があったので、登壇された方々のお話をお聞きして、すぐさま、とんぼ返りで古民家で作業を行ったのだが、上村組組長?のご家族と息子の道成と、地元の茅葺、杉皮葺の仲間と、やませみの里の愉快な仲間の全面的な協力により、無事、見学会、体験会が終わりましたことを、心より感謝して。

 これからの、茅葺、杉皮葺の発展を、心から楽しみにしている次第である。

くるみ割り

2022-03-26 09:32:23 | 短歌
くるみ割り人形探し街歩き 隙間こじ開け さらけだすみを 

機織り

2022-03-23 21:24:02 | 
柳川で機織りをしている人がいた
うなぎが桶の中で行ったり来たりしているように
縦糸の間を行ったり来たりしている横糸
ほりわりの水の中
うなぎのぬめりはとけだして
緑に色づく布となり
柳暖簾を風が通り抜けるように
かすかな吐息を絡め取りながら
美しい一つの布になっていくのです
行ったり来たりするたびに
魂も糸と糸を通り抜けていくのです
あなたの魂も
あらゆる糸を引きついだまま
たぶん
そこにあります
緑の春も
赤い夏も
白い秋も
灰色の冬も
美しい布に乗り移り
あなたのように
かたんかたんと
足を踏みこむたびに
息づいていくのです


機織り

2022-03-23 21:20:05 | 
柳川で機織りをしている人がいた
うなぎが桶の中で行ったり来たりしているように
縦糸の間を行ったり来たりしている横糸
ほりわりの水の中
うなぎのぬめりはとけだして
緑に色づく布となり
柳暖簾を風が通り抜けるように
かすかな吐息を絡め取りながら
美しい一つの布になっていくのです
行ったり来たりするたびに
魂も糸と糸を通り抜けていくのです
あなたの魂も
たぶん
そこにあります
緑の春も
赤い夏も
白い秋も
灰色の冬も
美しい布に乗り移り
あなたのように
かたんかたんと
足を踏みこむたびごとに
息づいていくのです


流行は廃れる

2022-03-18 11:49:43 | 詩小説
「流行は廃れる」




ぴー。
測定できません。

店の入り口に置いてある体温を測る計器がしゃべりだした。

わかった。わかってるんだよ。もう。
いちいち言われなくてもわかっているっていうのに。

竹を取りに行った帰りに立ち寄った食事処で、店の主人が、話し出した。

これを買う際には、補助金が出たんですよね。
三十万円の熱を測る機械に。9割の補助金。1割だけ、自分で払うのは。
でもね。これからの税金が怖いですよ。
これから、営業の補助金なんかの後の、税金が。
休業している店に出ている分の後の税金もそうですけど。

店の主人は、ピッチャーの水と氷の入ったグラスを差し出した。

そうなんですね。

私は、冷たいグラスに口をつけながら仲間に言った。

これを売って儲かるのは、コロナ対応という名のその計器を作っている会社で。
全国の店という店におきつつある昨今であるので。
日々、テレビやラジオや報道関係者や役所のものが、恐怖を煽ることで、コロナ関連の製薬会社とその周辺のものが、マスクすら日常化させようとし、コロナ関連で儲かるような世の中であるのは、戦時中と同じですよね。
プロパガンダの賜物であって、狂っているとしか言えませんが。
これが、現実です。


そうですね。

仲間が言った。


ある意味、犬のように、狂犬病のワクチンの予防接種を受けさせ、体内にチップを挿入して管理しようとしているのを、人間にしだしたということです。
コロナの仕上げには、チップが必ず来ます。
いやすでに、体内にチップを挿入することは、ワクチンだけでも可能な技術を持っているとも言えます。ナノ単位でできることも、数多くありますのでね。
テレビでは、犬のキャラクターとともに、お前はぺいぺいのくせにと言って、見下す時に使う電子マネーというやつを推進しようとしているでしょう。
誰が儲かるのかと、言っていますが、儲かるどころか、打ち出の小槌が、電子マネーということに、そろそろ人々が気づくことが必要なのです。
紙でする紙幣も打ち出の小槌なのですが、もっと、無限に人々を支配できるのが、電子マネーなのですから。


正直、自分は、目を見開いて、気が狂ったように、何度も、同じことを繰り返しいうことに、心底うんざりしていているのだが、これが、報道のプロパガンダへの反動、生の領域で起こっている死を煽る領域への反動であることは否めない事実なのである。


では、お金に支配されないようになるには、どうすればいいのだ。
彼らに、管理されないようにするにはどうすればいいのだ。
これは、赤狩りや無政府主義のようなものとは事情が全く違う。
単なる考え方の違い、主義主張、思想、ましてやお金との戦いでもない。
ある意味、この世を支配していると思われているお金の神様のようなものを、超える時が来たということかもしれないのだ。ということ。
戦いよりも、生そのものを味わうということ。
それを乗り越えるというのは、できるだけ、お金を介さないでも済む世界をいきるということ、ただただ生を生きるということなのだと。
誰にでもできることなのだと。

戦争も、同じ構造である。
生物兵器、あるいは化学兵器を作る技術を持っているのは、軍隊を持っているところは全てだと言っても過言ではない時代である。どこの国だけが持っているという話では全くない。
現に、イランイラク戦争でも、禁止されている化学兵器が使われていたという。
どちらが使ったというのを、なすりつけるためのプロパガンダが、今も、その布線を張り巡らしてはいるが、どちらが使ったか、証拠がある/ないではなく、どちらも持っているという大前提で、どちらにも使わせないということが、何よりも重要なことなのだということ。
核兵器も然り。どこが持っているという段階ではないと言って過言ではない。どこも、使おうと思えば使えるという。
無限の打ち出の小槌の「お金」と引き換えに、ものや人や土地や時間を、あるいは、情報を、さし出せば。ということなのである。

彼らの狙いは、その流通に乗っかるものを増やすことで、その無限の力を使い続けることができると信じているということなのだ。

それを覆すことは、意外と簡単なのである。

なるだけお金を介さない生き方をすること。

このお金を使わないことで、お金の神様のようなものが煽る、流行は廃れるということ。

食えない苺

2022-03-12 10:44:10 | 詩小説
伸びきった髪を切ってから、八百屋に立ち寄った。

11年前の11日に、半身不随だった父とも一緒に八百屋に立ち寄って、苺を手に入れたのを思いながら。

せがれたちに、苺ば、こうちゃれ。

父が、1日に1回は外に出ないと気が済まない人だったので、子育てをしながらの介護で、朝、昼、夜の質素なごはんを作り、洗濯、掃除だけでも、しんどいところに、追い打ちをかけるように、じいちゃんの介護が上乗せされ、しんどさは底無しの毎日であった。

じいちゃんをお風呂に入れるにも、服を脱がせ、こけないように風呂に連れていくだけでも、へとへとになり、体は手の届かないところはブラシを使って自分で洗うというので、自分でできるところは自分でするという父の気持ちもあったので、最初の頃は、背中を洗ったりしていたが、徐々に自分でできることを増やしていくことが、希望ではあった。

夜の間は、トイレに行くにも、眠っているのいを起こしてまで行くのは憚られるので、尿瓶にたっぷりと溜まったおしっこを、次の朝、処分して、洗って、消毒しての繰り返しであった。

生きるということは、これほど、手間がかかることだったのかと、子供ならば、自分で全てできるようになるまでの間というほのかな希望があるが、衰えていくままの父を見ながらの生活は、希望はろうそくの炎のように儚いが、ここまで、ずっと一緒だったことがなかった、単身赴任の多かった警察官の父と初めて、本当に一緒にいて、話して、向き合ったことはなかったので、これは、何かしら意味がある気がしていた。一緒にいることの意味。あるのかないのかわからない、一緒にいることの意味。のようなもの。

苺ば、こうちゃれ。

父は、よだれを垂らしながら、車椅子の上で、何度も言う。
笑っているのか、怒っているのか、よく分からない、半分だけ固まったブルドックの口のようにとめどなく流れるよだれに、気づかないまま、何度も言うのだった。

苺ば買おうかね。

私は、つぶつぶの生きのいい苺を選ぼうと躍起になっていた。

そこに、ヘルメットをかぶった男が八百屋にやってきて、

東北の方で地震があった。

といった。

苺を買って、家に急いで戻ると、青黒い大きな津波が何度も何度も人や建物や木々を飲み込んでいく映像が流されていた。

原発も爆発し、放射能が漏れていると何度も言っている。

身内も東京にいた。

食料も、水も、電気も、滞っていた。

戦争のようだ。

と思った。

東京に姪っ子の世話をしに行っていた母にも電話がつながらなかったが、しばらくして、母とつながった。

なんとかなる。

母は、警察官であった父の仕事の関係で、外務省に出向になってイランにいるとき、イランにイラクが侵攻してきた戦争を体験しているのもあるが、破天荒な父と一緒にいたためもあってか、いざという時を、幾度もくぐり抜けてきたせいか、くそ度胸があったので、姪っ子もなんとか、なる気がしていた。

見える津波に飲み込まれた後の、見えない放射能との戦いのようになっていった。

車に乗り込み、一つだけこぼれ落ちた、洗ってもいない苺のヘタを持って、かぶりつきながら、そう思っていた。

つぶつぶが口の中で、波に混じった砂に混じった礫をかみ砕くようにして、苺を飲み込んだ。

母の上に、ヘタのように草冠が付いている。苺。母は草をかぶっていた。

苺のように、甘くはないが。

種がむき出しになって、鼻に毛穴の汚れのようにつぶつぶがあらわになっているように、毎日のように毒を吐きながら、他のものが出払った、私ししかいない家の中で呪詛のように、父のことを嘆いていたのだ。

草をかぶっている。母ではなくなった、草冠をかぶっている母のようで、母ではなくなったもの。

ロシアがウクライナを侵攻した。

という。フェイクニュースではない。事実である。

国連安保理で、ロシアがウクライナで生物兵器を作っていると言っている。炭疽菌、コレラ、コロナウイルスまで作っていると言っている。

テレビでは、一方的な侵攻で、証拠は出ていないと国連で、女性の口から言わせている。草をかぶっている。母ではない。甘くない苺のような、味のない、国連という甘い甘いケーキの一つのピースの甘くない苺がのっかった、テレビというショーウィンドウの中の甘くない一つのピース。

今度は、イランにまで飛び火させようと躍起である。国連のショウ劇場。

これが、戦争の一つのピースなのだ。

苺の味は、母ではないが、草をかぶったものの味。甘い甘い赤くて白い心臓の、ハートの形をした甘酸っぱい命のしゅる(汁)の味。

食べれない苺の味はない。味気ない。
ただただ、繰り言を繰り返すだけなのだ。

コロナウイルスを作っている。炭疽菌もこれらまでも。証拠はない。証拠はない。嘘だ。嘘だ。と。

口が虚しいものが、嘘なんだってさ。

食えない苺は、口が虚しいもんね。

食えない苺は、嘘なのだ。と。

蝋梅の花

2022-03-10 02:53:54 | 詩小説
蝋梅の花が咲いていた。

1月11日に九州の筑後川流域の杉皮葺とは葺方が違う、奥多摩の特徴的な杉皮葺の屋根である、あきる野にあるお屋根の葺き替えの加勢をするために東京に来てから、しばらくしてのことだった。
作業がひとしきり済んで、昼休みになって、休憩室に引き上げる時に、大きなかやの木の近くに小さな黄色い花がぽつりぽつりと咲いていたのだ。
思わず、近づいていた。
犬がうまそうな匂いに食らいつくように、黄色い小さな花に鼻をくんくんしながら、近づいた。
黄色い花が、ぷっくりとつやつやとしているものだがら、蜜蠟のようにも見えるので、蝋梅という名になったというものもいるらしい。
去年、蜜蠟の花という詩集を自分の生まれた日に出したので、この花に、ここで出会えたのも、何かのご縁のような気がしてならなかったのだ。

来る前に、出版祝いだと、蜜蠟の花のような、花のような蜜蠟を竹細工のてんごやさんにいただいていたのも、言葉が、形になっていく、現実化していくようで、妙に嬉しかったのだが、手で触れ、鼻でかぐわい、眼で愛でることができるものが、生のものがそこにあったものだから、急に生気づいてきたようで、その匂いに、囚われていた。

マスクに囚われ、コロナに囚われているよりも、ずいぶんと、生きているものだ。その生々しい匂いを嗅いでいるだけで生の領域に囲まれているような気がしていた。

ひとしきり香りを吸い込んで、休憩室に帰ると、仲間が、

ロシアがウクライナに侵攻したみたいですよ。

と言った。

爆撃の色は、夕暮れの赤だった。

子供の頃、住んでいたイランにイラクが攻め込んできたのも、突然であった。

戦争は、突然やってきた。

その突然を、いつの間にか、生活が押しやるのだ。

戦いを押しやるのが生活だったのである。

必ず、生活が、戦いを終わらせるのだ。

我々が淡々と生活し、生きた輪になって、戦いを囲い込み、戦いを終わらせるのだ。

と、心の中でつぶやきながら、淡々と、心と体を洗うように、茅を葺き、杉皮を葺くのだった。













灯台

2022-02-01 22:21:27 | 短歌
灯台を最初に作って照らし出す この国とそこから這い上がるまで

多摩川

2022-01-25 03:15:26 | 詩小説
多摩川に来ていた。
奥多摩の茅葺の家を探していたのだ。
川のほとりにある青梅の宮崎家の虎葺は三部屋の作りで、田の字で区切られている古民家の多い中、その形に収まる以前の農家の家の作りが残っているのだという。
昔の人は、小柄な方が多く、お台所の水周りも囲炉裏のある部屋にあり、床の高さから二、三寸程度高いだけで、お茶室にこしらえてあるのを拝見したことのある、ちょっとした洗い物ができるような作りであった。
土間には、小さなおくどさんがあった。
虎葺の屋根は、茅葺の一段葺きあげるその上に二枚ほど杉皮を並べていき、より、強度を増すためのやり方であるようであった。実際のところ、虎葺の茅の部分が溶けていくようになくなっていたが杉皮は残っていたという方もおられたので、デザインの面白さ
はもちろんであるが、経済的にも、手間においても、耐久性においても、その当時の農家の方の出来うることを極力生かした作りであったと思われた。

杉皮葺の蕎麦屋があるということもお聞きしたので、そこに行ってみた。
こじんまりとした屋根ではあったが、生活の場として、そこにあり続け、時代を超えてきた静かな佇まいでありながら時を重ねた重みのようなものが苔や杉皮や茅から醸し出されていた。
その家にはその家の味があるように、その家の菌があり、それが、その家の味噌や漬物、発酵されていく場となるのだ。菌とともにある、菌と共生してきたのが日本の家であったのだと改めて思い至るのであった。昨今のコロナウィルスであろうが、共生できる土壌が、古民家においては、ある意味、「発酵場」としての底力を秘めていると思われた。
鴨のつけ汁そばをいただいた。冷たい蕎麦に、熱い汁が鴨の脂と程よく絡みつき、箸が止まらないまま、一気に蕎麦をかきこんだ。ほっとしながら、上を見ると、色紙があり、その一つに、太宰治のものもあった。彼も箸が止まらないどころか、二枚三枚と笊を追加していったと書かれていた。おそらく、酒も進んだことであろうが、ことばで残されたその当時の太宰の腹一杯の余韻まで味わったようであった。

それから、街中に忽然と現れる吉野家に行った。そちらは、茅葺の古民家で、庄屋さんをしていたとオタクで、玄関も家の正面にあり、土間からも入ることができるが、勝手口もあるようで、家がより目的に応じて細分化されていったような作りになっていて、間取りも同じく、た人の出入りも多いような広さが確保されていた。
やはり、宮崎家のようなお茶室に誂えてあるような、囲炉裏の近くに水周りがあり、土間に大きなおくどさんがあった。
そこに住む人の名残である前に、そこに住み、生きることの有り難さを目の当たりにした気がした。

前日、多摩川の田園調布五丁目あたりをふらついていたのを思い出していた。
家がところ狭しと並んでいる中、多摩川のほとりは、野球をする人や、犬を走らせたり、自分が走っている人、我々のようにただただ歩いている人もいた。

高尾山に登って富士山の山肌がくっきりと見えたのも思い出していた。山は生きている。多摩川がとうとうと流れているように、生きている。そう感じていた。
友人と会い、蕎麦を一緒に食らうことの味わいもさることながら、共にいることの、その思いを共有できることの、生きていることを味わうためにここにきたような、なんとも言えないものが、こみ上げてきた。

水がどちらに流れているかわかるかわからないかの広々とした流れの中で、冷たい空気を感じながら、ゆっくりと沈む遠くでうすらぼんやりと暖かそうな夕陽を見ながら、静かに水に入っていった人を思っていたのだ。

導かれるように多摩川流域に
仕事が入ったのもあった。
偶然、西部邁の命日をお聞きし、その次の日が友人と会う約束をしていた日であったので、多摩川の左岸にどうしても行かずにはおれなかったのだ。
本当に、導かれるように多摩川に来ていたのだ。
多摩川の水は、それほど冷たくなく、夕陽が解けたように優しかった。
川面に映りこんでいる夕陽に救われた気がした。
この夕陽があれば、もしかして、魂のようなものがあるのだとしたら、寂しくないかもしれない。と。

そういえば、太宰治も、玉川上水で息絶えたのだっけ。
あんなに玉川の蕎麦屋で、たらふく食ったこともあるというのに、人は変われば変わるものである。が。

生きて死ぬことは、自分で決めるのだ。
ということを身を持って、さししめされたのはたしかなことである。

コロナのΟ株が流行り出したという。
病院に入院して、父親とも面会は出来ないと言いやがるご時世である。
もう老衰一歩手前で、死にそうなものが、会いたがっているものを合わせない理不尽もさることながら、死にそうなものにワクチンを打とうとする理不尽。
3度目を打って、どうするといのだ。死にそうなものにそれほどまでに打って売って、撃ちまくるというのだろうか。

全くもって、おかしな世の中である。

ワクチンを打っても打たなくても、はびこっているもの、隔離したところで、絶滅はしないのだ。生物というものは。

自由に生きて、死ぬことが、生物の運命なのだ。
ということを、思い出してみろ。と。亡くなったものから言われているような気がしてきた。

彼らは、世の中の流れに身をまかせることなく、溺れたのだ。
自分を堰止めて、流れに逆らうように、水のそこにいたのだ。

山の中から、川の流れをたどって行き着く先は、海なのだ。と。知っていながら。







粉と雪

2021-12-28 07:20:42 | 詩小説
雪が降り出した。
全国的に数年に一度の寒波がやってきたとラジオで言っていた。
ミツオは、庭の塀を削りながら、その細やかな白い削り粉が、雪に混じって空(くう)を漂っているのをじいっと見ていた。

ああ、寒い。手が痺れる。

削り機をつかんだ手に、スクリューのように丸みを帯びた振動が、弧を描きながら伝わってくるたびに、穴を形作っていたブロックが、崩れ落ちていった。

ブロックの穴の中で凝り固まっていた筒状のセメントがトーテンポールのように突っ立っていた。

ああ、本当に今日は寒い。

トーテンポールには、そこに住む人々の祖先の元々の姿、魂のようなものが形作られ重なり合っているというようなことを、何かで読んだことがある気がしたが、セメントやブロックの中にも魂のようなものは宿るのであろうか。などと思いながら、その家に住む人の名の表札が、削り機に削られていくのを見ていた。

名前こそが、その家の人々の、魂のようなものを表しているのかもしれない。

壊されていくブロックとその穴の中から露わになるセメントが、ブロックの穴の中で凝り固まっている筒状のセメントが、浮かび上がってきた。

髪の毛が蛇の女と目が合うと石に変えられてしまうという話のように、表札を掲げられたブロックが、時を止められて固まってしまった生き物のように、思えなくもなく、そのものが全て、粉々になって、雪に混じっていくことで、大地に溶け込んでいくような、最後を見届けているような、気になっていたのだった。

「小さな世界」と歌う歌が頭の中で、アニメーションのように流れ出した。雪はとけていく。空を舞いながら、この世、この世界から消え入るように、見えなくなってしまうのだ。昨日、空を舞って、向こうに行ってしまった人がいた。雪の女王にでもなりたかったのだろうか。彼女は。物語を生きるために。いや、終わらせるために。

それから、削り殻を焼場で焼かれた後の遺灰を拾うように掻き集めて、ずた袋に詰めていった。

2tトラックいっぱいに削り殻や木を詰め込んで、皇后崎の廃棄物処理場に持って行った。年末のこの時期、家の中から出てきた断捨離の塊が、並んでいるトラックの荷台に小山のように積まれていた。

ケンタからの携帯電話が鳴った。父親の薬をもらいに病院に出かけたその隙間時間にかけてきたのだった。

看護師さんが、今、医者に時間外のため、聞きに行っているといった。

昨日のことだった。とりあえず、満足いくまで仕事をして、いろいろな用事をしていたら、父のお見舞いの時間に間に合わなかったことを、ケンタに話した。

ケンタもまた、同じように、時間に間に合わず、薬をもらえないかもしれない。といった。時間、時間、時間。
時間に追われているのか。あるいは追いかけているのだろうか。我々は。
制限がある、この世界の、時間という概念。

おかしいよね。ワクチンを打たないと、病院にもいけないとか言い出したし。飛行機にものせないとか言い出した。どこにも行けないよ。俺たち。ワンワールド系の航空会社もなんだかおかしいよね。どこが、一つの世界なんだろうね。一つでめでたいのは上のものだけで、制限をかけては、上から下に、あらゆるものを落とし込むような世界は続かないとは思うけどね。

そうだね。ワクチンを打つことを強制することは絶対に許されないと、裁判を起こしている人のことは、全く、報道しないテレビの報道番組は、ある意味、ワンワールドの一つの象徴かもしれないけどね。ワクチンを打つか打たないかで、忠誠を誓うか、誓わないかの、踏み絵のような世界。戦時中のような世界。厳戒令のような、限界令を毎日のように垂れ流す世界。

本当に。何兆もの資金をばらまいて、医薬会社やその関連のものが潤い、制限をかけては、個人の自由を制限しては、アニメーションの中の小さな世界にい続けさせて、夢を見ているように見せかけては、一つの大きな世界を支配しているように見えなくはない。

なんなんだろうね。その資金も曖昧でどんぶり勘定で、お金という中央銀行が出したり、ドルを擦り続けるアメリカに住む銀行家の富豪たちが何もせずとも溜まっていくばかりの、すればするだけ儲かるシステムを作ってきたのだから、その紙切れをタヌキに化かされたままの人間をおちょくるように擦り飛ばして、その世界をお金という幻想で動かしているのだから、それが電子の世界でも電子マネーとしてその概念を植え付けようと躍起になっているからさ。ないものがあることに、あるものがないものにされてしまう世界なんて、どうかしている。そろそろ目をさます時期に来ているのかもしれないけどね。

その集金のシステムを作ってしまえば、何もしなくても湯水のようにないものがあるようにできるシステムがより手軽にできるわけだから、どんな小芝居を使っても躍起になるわけだよ。そのシステムに上手く乗っかったもので、湯水のように入ってくるものを使って宇宙に行くことを選ぶものもいてね。
彼ら、彼女らは宇宙服の中、見えない空気を身にまとって、天女のように舞うことで、天女の羽衣の昔話に戻っているようで、なんだか、昔は今、今は昔になってきたような。

そもそもの始まりは、なんだったのか、語られ始める時期なのかもしれないね。
我々はどこから来て、どこに帰るのか。という。

せいぜい、粉と雪になるだけでしょうが。

ケンタを呼びに来た看護師の声がした。
携帯を切ると、トラックの列も動き始めた。

皇后崎の廃棄物処理施設の、焼き場の門のようなものが開かれると大きな大きな穴が口を開いて待っていた。
台所と風呂場の桁や柱の解体された家の木の骨組みをその、底知れぬ穴の中に放り込んでいくのだという。

まずは、安全帯を付けてください。

係りの人が腰に安全帯をつけるように促した。

底に落ちたら、ほとんど、救いようがないのですよ。

木くずにまみれて、そこまで埋もれていき、木と人の見分けもつかなくなるような、粉砕されていく毎日が、ぱっくり口を開いて待っていたのだった。





















雨茅

2021-11-11 18:33:10 | 
茅の上を雨が通りすぎていく
雨粒がコンパネの足場に垂れていく
雨粒が時のいっぽを刻んでいくように
雨は軒下を静かに垂れながら
いっぽいっぽと雨粒のさざ波を作りながら
今日の日を洗い流そうとしていた
雨の音が溶けていく
茅の上を滑っていく
雨粒の音をそのかぼそい筒ですすりあげるように
空から降り注ぐ
その命の一捻りですするのだ

「狼の口」

2021-11-10 18:30:21 | 詩小説
狼の口が開いているの見たことがある?

 アッコちゃんは尋ねる。

 いや、見たことない。
 僕は狼すら見たことがない。

 狼はね、一匹狼とは限らないの。
 いや、むしろ大いなる一匹狼なのかもしれない。
 もしかしてね。
 見えない狼の口が、一口4,000円と言いながら個人の福利厚生を歌いながら月々の収入を個人から吸い取るように、月々ボロクソな携帯料金で私腹を肥やしていたことがある携帯会社の人がいるとするじゃない。
 そこが、あんまりの殿様経営で、人を小馬鹿にして、煙に巻くような2年縛りの契約内容で、途中で逃げないように月々どれだけしぼりとれるかしか考えていないものだから、それに嫌気がさして、あまりに高額すぎて逃げていく人が続出しているとする。その経営に関わっているものたちがピラミットの頂点で見え隠れしているとするじゃない。
 働かずして、日々、私腹を肥やせるシステムをいかに作るかということが、彼らにとって、肝心なのが、よくわかってくるの。彼らが焦っているのがよくわかるの。
 いや一口だけじゃなくて、他の人の名義を勝手に使って、何口でもいいから、入って、六千円を月々支払って、言い忘れていたけれど、一万円は別料金で入会金がいるからと言いながら、入る気になった人から、まずは一搾取するのを見たとしたら、その先が思いやられるわ。
 それを見て、何しろ、ピラミット型の典型的な搾取の方法だから、それを隠しもしないから驚いたの。
 我々は、ピラミットを作るべく、人をそのピラミットに引きずり込もうとしていますと絵に描いて説明してくれているようなものだったから。
 誤解がないよいように、信用するな、疑うな、確認しろ。と言われたとしたら、あなたならどうする。
 信用しないで、疑うな。という矛盾をまず突きつけられるの。
 確認するために、そのピラミットの渦の中にまずは入っておいでと誘うの。
 国や企業がしたがらない福利厚生を歌って、僕たちが保障してあげると言いながら、八百の保障を掲げて、継続的な搾取を目論んで、ぽっかりと開いているかもしれないのに、誰が入ると思うの。自由はあるの。入る入らないの。先に入ったものが搾取したいが為のピラミットだとしたら、後から入ったものは、その次のものを犠牲にするということがまず前提にあるの。そこから搾取することに全集中しろと言われているように聞こえたの。まずは、入ってみないとわからないと言われている人を見ながら。俺先に入ったものが勝ちなのだというシステムなのだから。

 例えば、大狼という名の国という狼がいてね。
 毎月、税金というものを搾り取っていながら、自分たちの管理できないマイナンバーカードを持っていないと選挙のバラマキの代わりの税金から出すだけの臨時支給の三万円は支給はしないといってきているのも同じ。十万円を子供がいる世帯にだけ支給するという一見慈善的なやり方も同じ。望んでも子供ができなかった人はどうでもいいと言っているようなものに見えるの。すべての人に再分配したいというならば、それは、あまりに格差を生むように仕組んでいるように見えるの。差別にしか見えないの。自分たちのいうことを聞かないものには、利益は回らないようにしようとしているの。
 自由を奪うなというの。マイナンバーなどいらないというものを爪弾きにするなと言いたいの。すべての人に再分配をしたいということが本当に腹の底にあるとするならば。
 口先だけの狼はピラミットの上で寝そべっているとしたら。
 新参者の、すべての人に二十万円支給すると言っている方に人は流れていくでしょう。まだ、ましだからと。
 お金はすればするだけ得になるのを知っているのに、税金をかき集めてそれを再分配しているポーズをとり続けている国会議員という名の利権集団は、すべての人に行き渡らせようとせずに、自分たちの利益にかなうものしかやらないという。私物化しているの。国を。役人も同じく、例えば流行病の「王冠」の演出で、人々を思いのままにうごかせる道具を手に入れたの。マスクをして、口封じをしているのも象徴的だわ。
 何しろ、狼の口が見えないように、無意識的なもののように言えるの、マスクが。
 インフルエンザで死ぬ方のほうが多いのに、そのインフルエンザさえも「王冠」にすり替えられ、カウントされ、毎日、王冠になった人、死んだ人を数えさせるの。
 メメントモリ、メメントモリ。と突きつけてくるの。わざわざ、嫌がらせのように、大きな拡声器を静かな村に取り付けるように。
 狼の口が舌なめずりをして待っているの。声を上げているの。
 管理社会の到来を待っているの。みんなで次の未来へと嘯きながら、超管理社会の到来を今か今かと待ちわびているの。
を見ているの。

アッコちゃんは、秘密が好きなのだ。狼の秘密のようなものを語り尽くしたいのだ。

狼が出たぞと言いたいの。

僕は言った。