3月に入り、幾分暖かくなってきたので、出かけてきました。
しかしこの日は、とても冷たく強い風が吹き荒れました。
南三陸町歌津名足地区の民宿「コクボ」さんの再建現場はその後どうなっているでしょうか、そして戸倉波伝谷の「慶明丸」さんの再建情報をもとに、確認に向かいます。
国道45号の名足小学校入口分岐から、民宿「コクボ」さんの再建現場を目指します。

町道からは盛土の山だけしか見えませんでしたが、上物が見えてきています。
少し先の名足保育園前から再建状況が確認できます、上屋は屋根も葺かれ大分できあがってきていて、今は断熱材などの施工がされているようです。
次に、南三陸町で始まった災害公営住宅の造成工事、その一つが地区内にあるので確認に向かいます。
保育園から間もなく、名足漁港へと道が下り始めると、東側高台に二つの石が見えてきました。ちょと寄ってみましょう。

斜面に、横に這うような松があって、その奥には見えていた二つの石とは別に、早池峰山大権現などの石碑がありました。そして石碑に覆い被さるように、枯れたようなねじれた木があります。これが「ビャクシン」という、岩手県以南から九州までの太平洋岸に自生する常緑の針葉樹なのでしょうか。
上って、松の全景を捉えてみましょう。

松は、蛇のようにくねって這っていて、先端の方で少し上に向かって伸びています。

山腹にある二つの石が何なのかは分かりません。
その石の北側高台に、一部コンクリート土留工が施され、最近造成されたような場所があります。
区画が整備されているようで、高台移転したと思われる住宅が見えています。
名足漁港へと出て、県道を北へと進むと、小高い平場がある場所の道沿いに看板が見えてきます。

ここは最近まで町営住宅が建っていた場所で、災害公営住宅の建設予定地である旨の看板が立っていました。

歌津名足地区の災害公営住宅は、津波で浸水した町営北の沢住宅跡地とその周辺約1haに整備されるもので、RC集合住宅(14戸)2棟と木造1戸建て5棟の合わせて33戸が整備される予定となっています。

町営住宅跡地は、真新しい砕石が敷かれて更地となっています。上がって、周辺を確認してみます。
作業道のような道を少し上ると、町営住宅跡地の2本のソテツの先に名足漁港が見えます。段が少しついた平場もあって、以前、畑などに使われていたのでしょうか。

伐採予定の立木にビニールテープの目印が施され、境界を示すテープも張られ、その先に町営住宅跡地が見えています。

林間には山腹を越えて奥へと進むように道があって、先の巨木辺りから少し下っています。
巨木から少し下ったところで、目印はなくなりました。
この巨木には目印は見当たりませんが、造成後も残されるものなのでしょうか。
災害公営住宅の造成工事は、入谷地区、そして戸倉地区でも始まっていますので、この先は入谷から戸倉方面へと進んでいきます。
国道45号へ戻って南下し、伊里前から入谷へと向かいます。

前回立ち寄った食堂「たいしゅう」さんがある歌津中学校の裏道を進むと、「たいしゅう」さんを過ぎたところで、突然、「あらまあ!」と思わせる建物が見えてきました。志津川商工団地入口近くに見ることができるドーム型のもので、淡い黄色の可愛い建物の理容室さんでした。
集落を出たところにテントが見え、道の先は広がりをみせています。

テントは、「伊里前福幸商店街」の前進であった「仮設テント商店街」で、隣接する高台は造成が進められていて、数棟の住宅が建築されていました。
内陸へと進み、払川地区へと入っていきます。

ここは、田束山入口近くにできた払川ダム。
橋の欄干に立つと、冷たく強い風が吹き上がってきます。

田束山への分岐近くでダム湖水が見えてきます。
湖面は凍りついていて、雪が風に流されていきます。

払川集落の入谷への道、対向車がないことを祈りながら入っていきます。

ここが入谷地区への入口となる「坂の貝峠」。
この先、勾配10%の急な下りとなる旨の表示があります。

ここは展望がきき、上ってきた道を振り返ると、山間にうっすらと本吉小泉沖の海も見えています。
峠の入谷側には四阿のある展望スペースがあって、暖かい日にはゆっくりと山里の風景を眺めていたい場所となっています。
下り急勾配の道は凍結箇所もあり、注意して下っていきます。
「ひころの里」から国道398号に出て、志津川方面に200mほど進むと、右手山際に災害公営住宅建設予定地を示す看板があります。

入谷桜沢地区の建設予定地は約1.5haで、RC3階建集合住宅2棟と木造9棟の合わせて51戸が建設されることとなっています。

何に利用されていたところなのでしょうか、傾斜は緩い場所で、草地のようにも見えます。
一段低くなっている杉林から、国道が見えています。

志津川方面に向かうと間もなく、モアイ像が立つ橋にさしかかります。私は「モアイ橋」と呼んでいますが、この橋の名称は「館下橋」で、入谷と志津川の境にあります。
震災時、津波が川を遡り、この周辺にガレキが沢山流されてきていました。

復興道路として工事が進む、三陸道工事現場。
ここが志津川ICとなる場所で、橋脚や掘削・盛土の工事が急ピッチで進められていて、この志津川ICと登米東和ICとの間で掘削が進められていた志津川トンネルは、この翌日に貫通したのでした。
震災後、被災車両が集められ、山のように置かれていた一時仮置場。
整地工事も進んで、きれいに整備されました。
そろそろ昼時、戸倉方面へ向かいながら食事をとることにしましょう。
この続きは、次回にお伝えしたいと思います。
(O.920)
しかしこの日は、とても冷たく強い風が吹き荒れました。
南三陸町歌津名足地区の民宿「コクボ」さんの再建現場はその後どうなっているでしょうか、そして戸倉波伝谷の「慶明丸」さんの再建情報をもとに、確認に向かいます。
国道45号の名足小学校入口分岐から、民宿「コクボ」さんの再建現場を目指します。


町道からは盛土の山だけしか見えませんでしたが、上物が見えてきています。
少し先の名足保育園前から再建状況が確認できます、上屋は屋根も葺かれ大分できあがってきていて、今は断熱材などの施工がされているようです。
次に、南三陸町で始まった災害公営住宅の造成工事、その一つが地区内にあるので確認に向かいます。
保育園から間もなく、名足漁港へと道が下り始めると、東側高台に二つの石が見えてきました。ちょと寄ってみましょう。


斜面に、横に這うような松があって、その奥には見えていた二つの石とは別に、早池峰山大権現などの石碑がありました。そして石碑に覆い被さるように、枯れたようなねじれた木があります。これが「ビャクシン」という、岩手県以南から九州までの太平洋岸に自生する常緑の針葉樹なのでしょうか。
上って、松の全景を捉えてみましょう。


松は、蛇のようにくねって這っていて、先端の方で少し上に向かって伸びています。

山腹にある二つの石が何なのかは分かりません。
その石の北側高台に、一部コンクリート土留工が施され、最近造成されたような場所があります。
区画が整備されているようで、高台移転したと思われる住宅が見えています。
名足漁港へと出て、県道を北へと進むと、小高い平場がある場所の道沿いに看板が見えてきます。

ここは最近まで町営住宅が建っていた場所で、災害公営住宅の建設予定地である旨の看板が立っていました。


歌津名足地区の災害公営住宅は、津波で浸水した町営北の沢住宅跡地とその周辺約1haに整備されるもので、RC集合住宅(14戸)2棟と木造1戸建て5棟の合わせて33戸が整備される予定となっています。


町営住宅跡地は、真新しい砕石が敷かれて更地となっています。上がって、周辺を確認してみます。
作業道のような道を少し上ると、町営住宅跡地の2本のソテツの先に名足漁港が見えます。段が少しついた平場もあって、以前、畑などに使われていたのでしょうか。


伐採予定の立木にビニールテープの目印が施され、境界を示すテープも張られ、その先に町営住宅跡地が見えています。


林間には山腹を越えて奥へと進むように道があって、先の巨木辺りから少し下っています。
巨木から少し下ったところで、目印はなくなりました。
この巨木には目印は見当たりませんが、造成後も残されるものなのでしょうか。
災害公営住宅の造成工事は、入谷地区、そして戸倉地区でも始まっていますので、この先は入谷から戸倉方面へと進んでいきます。
国道45号へ戻って南下し、伊里前から入谷へと向かいます。

前回立ち寄った食堂「たいしゅう」さんがある歌津中学校の裏道を進むと、「たいしゅう」さんを過ぎたところで、突然、「あらまあ!」と思わせる建物が見えてきました。志津川商工団地入口近くに見ることができるドーム型のもので、淡い黄色の可愛い建物の理容室さんでした。
集落を出たところにテントが見え、道の先は広がりをみせています。


テントは、「伊里前福幸商店街」の前進であった「仮設テント商店街」で、隣接する高台は造成が進められていて、数棟の住宅が建築されていました。
内陸へと進み、払川地区へと入っていきます。

ここは、田束山入口近くにできた払川ダム。
橋の欄干に立つと、冷たく強い風が吹き上がってきます。

田束山への分岐近くでダム湖水が見えてきます。
湖面は凍りついていて、雪が風に流されていきます。

払川集落の入谷への道、対向車がないことを祈りながら入っていきます。


ここが入谷地区への入口となる「坂の貝峠」。
この先、勾配10%の急な下りとなる旨の表示があります。


ここは展望がきき、上ってきた道を振り返ると、山間にうっすらと本吉小泉沖の海も見えています。
峠の入谷側には四阿のある展望スペースがあって、暖かい日にはゆっくりと山里の風景を眺めていたい場所となっています。
下り急勾配の道は凍結箇所もあり、注意して下っていきます。
「ひころの里」から国道398号に出て、志津川方面に200mほど進むと、右手山際に災害公営住宅建設予定地を示す看板があります。


入谷桜沢地区の建設予定地は約1.5haで、RC3階建集合住宅2棟と木造9棟の合わせて51戸が建設されることとなっています。


何に利用されていたところなのでしょうか、傾斜は緩い場所で、草地のようにも見えます。
一段低くなっている杉林から、国道が見えています。

志津川方面に向かうと間もなく、モアイ像が立つ橋にさしかかります。私は「モアイ橋」と呼んでいますが、この橋の名称は「館下橋」で、入谷と志津川の境にあります。
震災時、津波が川を遡り、この周辺にガレキが沢山流されてきていました。


復興道路として工事が進む、三陸道工事現場。
ここが志津川ICとなる場所で、橋脚や掘削・盛土の工事が急ピッチで進められていて、この志津川ICと登米東和ICとの間で掘削が進められていた志津川トンネルは、この翌日に貫通したのでした。
震災後、被災車両が集められ、山のように置かれていた一時仮置場。
整地工事も進んで、きれいに整備されました。
そろそろ昼時、戸倉方面へ向かいながら食事をとることにしましょう。
この続きは、次回にお伝えしたいと思います。
(O.920)