きのう三夜連続の完徹を終えた後、
青春18きっぷで上野から常磐線に乗った。
普通列車に揺られること2時間。
たどり着いたのは友部駅。
レンタサイクルでフラットかつ真っ直ぐな道を走る。
戦前から戦中にかけて、ここは滑走路だった。
旧海軍の筑波海軍航空隊記念館を見学。
搭乗員の訓練をしたところ。
裏千家の千玄室大宗匠は特攻隊の生き残りでいらっしゃる。
訓練を受けたのは此処ではなく、土浦航空隊だけど、
戦友の彫刻家の流政之さんはこちらの元隊員。
モニュメント「かえり雲」。
少し前まで
「霞ヶ浦」「筑波」「土浦」の各航空隊の区別がまったくつかなかった。
若い頃、この地域に4年間も暮らしながら、
こういう戦争史跡を訪れることはしなかったし。
高校生の頃、進学を志望した先がたまたまこの地域で、
「どんな場所なのかなぁ」と思っていたら、
校内文集に先生の一人が若い頃のエピソードを書かれていて。
学徒出陣で霞ヶ浦航空隊に入って、
飛行訓練では筑波山を眺めて~
特攻隊のことは何となく知っていたけど、
身近な人に出身者がいたことと、
訓練の場所がそのあたりだったことをはじめて知った。
運よく進学することになった時、
明治生まれの祖母に場所を説明するのに、
従兄が「国が造った街が…」は全く理解してもらえなかったのに、
私が「土浦航空隊があったあたり」と言ったら、
「あぁ、あのあたりかい♪」と即理解して、
戦争を知らない世代の私たちの方がびっくりしたっけ。
心の片隅で目をそらせてきたことに対して後悔していたのかも。
とは言っても、
当時は見学できるような環境も整備されていなかったし。
映画『永遠の0(ゼロ)』のロケもされて、
公開に合わせて期間限定ということもあった。
(大ヒットで見学者が増え、期間延長♪)
関連情報も手が届きやすくなり、
やっと、土浦航空隊と霞ヶ浦航空隊、筑波航空隊の区別も把握。
で、今更ながら、訪れてみたいな、と。
下調べの際、地図見て、「『筑波』なのに、友部?」と意外に感じた。
今はいたって長閑な風景をながめ、
此処で訓練し、南の空に散った若者たちの遺品や資料を見て、
平和の尊さを考えた。
今の政治状況を鑑みれば、
尚更、ちゃんとみて理解しておかないとならない。
負の歴史を繰り返さないためにも、ね。
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