裏山赤太郎~ゲイでエイズで、でも生きてくよ!~

ゲイとして生きて、50代でエイズを発症したけど、自分らしく生きていくことには変わりないないんだよってブログ。

GWの終わりに思う、大切なものを失う覚悟

2016-05-08 19:23:50 | 日記
五月の連休も今日で終わり。
自分は特別に何処かへ行くわけでもなく、
暦通りに休んでいました。

連休中に友達と会うと、
「てっきり連休は東京にいないかと思った」と言われました。

前回のブログにも書いた通り、
自分には今、気になる人がいます。
その人は飛行機に乗らないと会いに行けない場所に住んでいます。
長い間、Twitterを通じてお互いに共通の価値観を持ち、
気が合うであろうことを知っていました。
そして今年に入って、実際に会う機会があり、
それを確かめ合ったのでした。
(まだセックスはしていませんよ)

それ以降は、毎日のようにLINEでやり取りをして、
離れていても良い関係を少し少し、
重ねていっています。

そんな話を知っている友人達は、
連休はきっと彼に会いにいっているだろうと思っていたのでした。

もちろん、できることならそうしたかった。

しかし、それには二つの大きな問題を克服しなければなりません。

まずは現実的、物質的な問題です。
昨年は半年以上の失業期間の末、
やっと障害者雇用で再就職をしたばかり。
少ない給料の上に、まだ有給休暇もありません。
そんな状況で、
今の自分には連休の航空運賃を支払う余裕は残念ながらなかったのです。

そして、もっと重たい現実があります。
それは自分がHIV陽性者であり、
彼に会いにいくためにはそれを彼にカミングアウトする必要があることです。

私としてはHIV陽性者だからといって
自ら幸せになる機会を諦めることは
自分らしい生き方ではないと考えています。

しかし、それを実行するためには、
それ相当の覚悟が必要です。

もし彼に会いに彼の住む街は行くとしたら、
当然彼の家に宿泊することになります。
その際二人には、
肉体の接触があることはほぼ確実というほど、
二人の関係は近くなっています。

自分としてはこの病気を隠して、
彼と肉体関係を結ぶことはしたくありません。
彼のことが大切であればあるほど、
そう思っています。

私達の年代には、
未だにHIVは死の病と認識している人が多くいます。
実際に70年代後半から80年代かけて、
多くの人達がこの病に感染して、
骸骨のようにやせ衰えて、
カポシ肉腫で全身を蝕まれながら無くなっていく様子を
ニュースなどで目にしてきました。
日本でも感染者が広まる80年代後半には、
一緒に二丁目で飲んでいた知り合いが、
この病で他界したという噂を幾度も聞かされました。

私より少し年上の彼は、
私がHIV陽性者だと知ったらどう思うでしょう?

私は彼が例え今はあまり知識が無くても、
説明すればきっと理解してくれる人格の持ち主だと信じています。

しかし、病気のことを告げることで、
彼との関係を失う可能性がある不安を完全に消すことはできません。

いつかは、これを乗り越える必要があります。

連休中、友達が彼の話題を出すたびに、
そんな不安がチクリと心を刺すのでした。

私は幸せを手にするためには、
それを失う覚悟も同時に持つ必要があることを感じています。

これは病気をカミングアウトすることだけでなく、
全てのことに言えることかも知れません。

何事も覚悟を決めて、
前に進むことが自分らしく生きることに繋がるのだと思っています。