北杜夫氏が躁病を発症した頃にマンボウマブゼ共和国を作り日本からの独立を宣言したことがある。
躁病になると「当家の主ただいま発狂中」という札を玄関に下げてみたりするのである。
果たして「マンボウマブゼ共和国建国由来記」が現在てにはいるかどうかはわからない。というのは、
文中に「キ印」とか「キチガイ」等という表現があるので、表層の表記だけを捉えると今の時代では、
表現として適性がが問われかねないからだ。しかし、北杜夫の「楡家の人びと」という純文学は、自分の
家系をモチーフにしているように、北氏自身は幼少期からそうした精神疾患者と普通に接していたことや
そこに登場する病院は、兄である斉藤茂太氏(同じく精神科医でエッセイスト)が引き継いだように偏見を持たずに
接してきたというのは事実でありまたその時代にそういう言い回しをする人の意味合いとは全く違っているのだ。
その時代背景を知らないと、言葉だけが独り歩きをする危惧は当然ある。
この躁病の時に、愛用のセブンスターに独自の言葉を入れてみたりー当時は煙草は専売公社が扱うものだった
ので相当の量でないとそのような事には応じなかったー、自国の紙幣(谷内六郎デザイン)を作るなどしていて、
さらに自宅の庭、いや自国の庭で文壇の仲間に表彰状を手渡すなどした。宮脇俊三(名編集者)尾崎秀樹(作
家)井上ひさし(作家)星新一(作家)奥野建男(文芸評論家)などを招待して(マンボウマブゼ共和国建国由来記
より)その他にも出版関係者等が出席したのだった。
私はこの頃の手紙には、「国家主席殿」なんて書いて送っていた。
それが気に入ったのか、私は北氏から頂きものをするというたいへんな光栄にあずかったのである。
どこまでもお人よしといえばいいのか?この事については後に書くつもりである。
しかし、躁の期間は本当に短くて、この行事(式典)のあと再び欝になってしまった。
すべてが、ユーモアであるが、ご家族も(夫人は大蔵大臣でご令嬢(斉藤由香)は厚生大臣を拝命していたに
せよ、ご家族の協力なしにはできなかっただろうなんとと寛大な人達なのだろうと思うに至った次第である