憂さ晴らしのような、いいがかりのような今虚の曖昧なものをウサハラスメントと造語した。
ブログ内で検索してみてください。
ところで ブログを書くにあたってブログはあくまでも個的なものだと思っていたが、ふと思うに
ウサハラスメントと書いた時に自分自身は除いている事に気がついた。
ここで卑近な例を上げれば 高橋治が書いた「名もなき道を」という裁判。(ブログ内検索で)
高橋氏の勝訴が確定するまで10年ぐらいかかったような気がする。
その小説は 自分の人生をモデルにして書いたという立証困難なことで裁判を選んだそうだ
直接交渉がうまくいかずということがあり金銭目的での裁判色だったようだ。
もの書を書くときにも 配慮が必要なのかもしれないが それを考えたら何も書けなくなる
という当たり前の話でした