京都で写した写真も 何でだか親と喧嘩になり「じゃぁ全部捨てる」と宣言した。
普通の親ならどこかで止めるに違いないと思いきや、止めなかったので何箱かを捨ててしまった。
普通の親なら、こっそりとどこかにとっておいてくれるのではないかと思ったら本当に捨ててしまった。
我が母は、北杜夫氏の母君のようにえらく気が強い。
ライオンは子供を崖から落とすというが、這い上がってきたとしてもまた蹴落とされるそんな感じだった。
なんで喧嘩でそうなったのかが思い出せないのだが、今考えればもったいない話である。
いや、ゴミ回収に積まれていったのを密かに見ていて、当時も思ったのだ もったいない話だと。
写真を写すことは不得手なくせに、文句ばかりいうので、「言うのは簡単撮るのは大変なのだ」というのが
事の発端だったかもしれない。
型物の場合は、原版は最低5年間保存していたが、商品撮影、建築撮影、タレント等は基本的に
原版納品だったので、時たま抑えで写した余り物が在るくらいだった。(ネガプリは例外)
それも写真をやめた時に処分したので、生きた証のようなものはないのだ。
型物も撮影の数が増えてしまい整理に苦慮した。一度注文を受けてから半年後にとか再注文が
あると、何年の何月何日という整理方法では、探しだすのが困難でそういう面倒なことは母に押し付けた
最終的には、医者のカルテ棚方式でしかも可動式にして自宅の一部屋を潰して置いておいた。
読んでもつまらないですね、、これでやめておきます