6年間 ひょんなことから知り合いになった。警部 が定年だとわかっていたのに
会いに行けなかった。大痛恨の最後だった。月二回 毎回あっていた。
人柄が良くて 警察官として広報活動を重視した方だった。つまり、警官=嫌な
という感覚を変えた人でもある。私はオペの失敗の後からマスクを常用していたが
そのことや せい◎友の文句を言ってみたりして、母上にも親切に対応してくれた。
最初に会ったとき私はマスクにサングラスで茶髪怪しい存在?かなと思っていたが
うちとけていろいろな互いの私事から内緒の話まで、警察官2名と相談員がひとつの
チームを組んでいて、一定の距離は踏み込まずでも退職後も時たま連絡できる事に
なった。防犯パトロールも手伝っていたが、老人が倒れていた時抱え上げたら
腰を痛めた。そういう時は人倒れと通報してくれればいいんだと教わったけど
まさか外科の帰りに自分が動くとは これ考えれば誰か手伝ってーと言えば
良かった。でも、一人の町内班長が手伝ってくれて・・家まで帰りたいというので
うーん?どうしましょうとその人と話して 民生委員に連絡した。
そんなことがいろいろあって、話をするのが楽しみだった。署長にも紹介して
くれたのでなんとなく心強い気がしていたが、結構交代が早いし別に連絡する事は
殆どなかった。ただ、会うといつも敬礼して「ご苦労様」と声替えをしてくれた。
私が左足を引きずることも気が付いていたらしい。そして今度は杖になったり
母上へのいたわりもしてくれたのである。いずれ変わるのだろうなぁと思ったら
6年間警部だけは変わらなかった。穏やかな人だと書いたけど、2ケツでとおり
抜けたおバカさんを 確保した時の凛とした声はやはり警官なんだよなぁと
思った。
警部も体調が優れない時期があり、しばらく見ないので気にはなったがどうしたの?
と他の人に聞いた時の感じで あーと思った。あくまでもそういうとこは触れては
いけない事なんだと思った。すっかり白髪が混じって再びあったときに理由を
教えてくれたけど。そんな思い出の一齣だから読んでも面白くないとはおもう
でも 日記を兼ねていると思えばいい。
奉職ご苦労様と今日電話して挨拶した。最後に礼を欠いてしまったけど。