今年は出かけることができない。
今頃 飛騨地方では咲いていることだろうと想像して
以前写した写真を載せました 2604歩
今回の入院は 月曜入院で次の週の月曜日退院の
予定と最初から言われていた。
私は2センチの胃粘膜下腫瘍を切除した場所が
治るのを願うばかりだったから 食事と食事の時のお茶以外は
一度も口に入れることはなかった。 (胃の術後はそうなのかもしれないけど)
ゴミ箱には 薬の空袋とほんの少しの髪の毛 ウエットティシュの塵が
貯まる程度だった。
昨日 朝4時頃間が覚めた。6時ころまではジ-と静かにしているが
6時からはブラインドを上げたり歯磨きしたり
いつも朝の始まりは同じ時間に 外の景色を楽しんだ。
そう 東向きの病室の窓からは 5時20分
山から上る朝日を 毎日眺められたし
刻々変わる
空に浮かぶ雲の動き
眼下に見える公園や 家々
高速道路の車の動き
夏休み部活を楽しむ学生や 人々の動きが時間と共に
手に取る様にに眺められ とても楽しい時間が過ぎて行った。
高所の病室のから見えるそして刻々変わる外の眺めは
東西南北 すべてが私の心に美しい思い出として残った。
痛くて 苦しく 黙ってベットに横たわっている
同室の患者さんもいる
私の入っている4人部屋には車いすで入れるトイレ
お湯も水も出る完備された病室
私には十分すぎる病室と思えた。
同室の方に迷惑がかからぬよう そ~と 出来るたけ 音をたてないように
外のトイレを利用したり 共同シャワーも3回ほど利用できたし
今回の入院は 術後の胃を保護するために
おかゆさんを食べに行ったといってもいいくらいの入院だった。
ほんの少し胃が痛いのかと思える瞬間があったようなないような・・・
いえ 全くなかった気がします
ただただ TVを見たり本を読んだりの一週間でした
猛暑の中 寒すぎるくらいの部屋で そう 私には苦痛でした。
各部屋の向き 空調の向きによって温度が違うのですね。
家族に助けられ いい時間を貰えて幸せでした
私が4月終わりに病院を訪れたきっかけも
「7月に子供の結婚式がある、いまたとえ私が胃癌になっても
今病院に行っておけば治療しても出席できる。今病院に行ってみよう。
結婚式が出来なかったら子供に迷惑がかかる。
間に合わないといけないから(検査に行くのを1年延ばしておいて)」
と軽い思い。 変な私。
昨日 あさ9時半に再度確認の胃内視鏡検査 5分で終わりました
そして10時20分頃には 退院するためエレベーターに乗っていました。
体力も奪われることなく
帰宅後は昼食も作ることが出来たし
夕方には買い物に・・・・。
主人以外に迷惑かけることもなく終わった入院生活。
自分の弟そして娘以外誰も知らない。
息子は今 新婚旅行中。
入院した日も 旅行中の親戚への土産は何が良いかや
式の招待しないも祝儀だけを頂いた方へのお礼のための
金額等何回も病院にメールで聞いてきた。
そう 旅行先からも携帯メールが。
今年の夏は旅行中だから盆に息子夫婦は家にくることもない。
来年からは
一杯料理作って賑やかなお盆が出来たらいいなぁと願うばかりです
病院では色々な病気と戦っている方ばかりでした。
私の 軽いブログ内容に嫌な思いわされる方もいらしゃるかもしれません。
物忘れの多い私の拙い備忘録と思ってください
7月に2つの結婚式と
後の結婚式の後 8日目後の入院のための入院の準備
それと 老いた母のための料理作りに 忙しかった。
式の2日後には呉服屋さんへの留袖のクリーニング依頼
娘が着た留袖クリーニング 帯等の蔭干し
各着物付属品の陰干し 片づけ 肌着や各種付属の洗濯
市役所には入院のための高額医療費に関する事前申請
(限度額適用認定書交付依頼)
車に乗れない私は 常に自転車やバス移動
どうにか自分で何もかもこなせていける年齢だからできますが
もっと体力がなかったら お手上げでしょう
2013年はいろんなことが重なった思い出の夏として
残っていくと思います。