歴史と自然への訪問記

福岡を中心に探索・活動しています。歴史と自然が好きです。日々感じるまま綴っていきたい。

高祖神社と原田氏、そして墓所にも行きました

2010年08月13日 | 歴史

高祖神社は糸島氏前原地区にあります。福岡市西区から国道202号バイパスを飯氏交差点を左折して、しばらく行った高祖バス停付近にあります。

近くにある細石神社とも関係があります。細石神社との関係につきましては、記事「細石神社 祭神:木花開耶姫、木花開耶姫とは...」の文中に触れておりますので、ごらんいただけたらうれしいです。

祭神:彦火々出見尊、玉依姫命、息長足比女命(神功皇后)
   (ひこほほでみのみこと、たまよりひめ、おきながたらしひめ)

創建は不明。古代から怡土郡の惣社と崇敬される神社。原田氏が高祖城を作った際、城の鎮守として建立したというが、神功皇后が三韓より凱旋し当社の社殿を乾(北西)の方に向け建立したと九州諸将軍記に記されているとのこと。その縁で神功皇后を相殿にお祀りしたようです。

ただ、原田氏がこの神社を建立する以前からに何かしらの祠はあったようで、三代実録(平安時代に編纂された歴史書)に、いまから1500年前の元慶元年9月25日発亥、「正六位高礒比賣神(高祖神社)に従五位下を授く」と記録されているそうです。



■神社の案内板です



■石段から鳥居、拝殿を撮影



■拝殿です。この石段を登りきったすぐ右横に神楽の舞殿があります。

この神社は高祖神楽が有名で、境内の神楽殿において4月26日午後1時~、10月25日午後6時~に奉納があります。515年前より始まったものだそうです。私も以前、秋の夜に高祖神楽を見に行きました。

高祖神楽は今から515年前の応仁元年、戦国動乱の時代、時の高祖城主、原田筑前守種親が盟主である周防国山口城主、大内政弘の要請を受け京都の守護の任をしている時に習得した「京の能神楽」を郷土に伝えたものとされています。

現在奉納されているのは、面を着けずに採り物を捧げて楽の音にあわせ神楽歌を唱えながら静かに舞う舞神楽と、面を着けた数人の神楽師が登場して神話物語りを展開させてゆく面神楽の二種類十一番(神供、高処、笹舞、国平、ヒキ目、磯羅、敷蒔、神相撲、両剣、問答、岩戸開き)が奉納されています。

原田氏累代の墓は、高祖神社の近くの原田家菩提所として1508年に建立された金龍寺にあります。



■原田氏累代の歴代の墓所です



■原田氏累代の墓です。右側は木でよく見えませんが、墓が列に並んでいます。

原田氏は、源平の合戦で平家の一員として戦い源氏に敗れ、領地を没収、関東の鎌倉に幽閉されてしまう。 その後、1190年に赦免となり、御家人として、この地、筑前国怡土庄を領地として与えらる。 しかし、1587年の豊臣秀吉の九州征伐により取り潰しとなる。

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