石上神宮に行ったことは
昨日の記事に書きましたが
実はとても不思議なことがありました
石上神宮の境内には
多くの鶏が放し飼いにされています
この鶏たちは神の使いとも
言われています
昨日鳥居をくぐって足を踏み入れた時
境内には大勢の鶏たちが自由に遊び
人々が餌をやったり
カメラにおさめたりしていました
しかしその時は
何となく鶏の写真を撮ることが
憚られるような気持ちで
鶏を横目に見ながら通り過ぎました
そして
風格ある楼門をくぐり
ご祈祷の申し込みをしました
暫く待った後案内があり
拝殿に入って
ご祈祷をしていただきました
その後は
境内を散策し
由緒ある摂社にもお詣りして
再び鶏たちの所へ戻って参りました
すると
鶏たちが声高らかに
コケー!コッコッコッ...
コケー!コッコッコッ...
と鳴き始めました
まるで「自分を見てくれー!」
と言わんばかりの勢いだったので
思わずカメラを鞄から取り出して
鶏たちに近付いて数枚写しました
するとその近くの
こんもりした木の陰にも
何かいる様子
近付いてみると
なんと
赤いとさかが美しい
茶色の大きな鶏が一羽
木の枝にとまっていました
とても珍しい光景だったので
その鶏さんも数枚写しました
ところが。。。
家に帰ってみると
旅行中に沢山とった他の写真はすべてあるのに
写したはずの鶏の写真が
どういうわけか一枚も無いのです!
カメラが壊れたのかな?と思い
室内でシャッターを押してみると
普通にとれました
いったいなぜ・・・?
夜になって床についても
そのことが気になって
なかなか寝付けませんでした
一夜明け
今日は大阪のある場所で開かれた
お茶会へでかけました
そこに着くまでの道中
電車の中でスマホを取り出して
「石上神宮 鶏 写らない 神の使い」
こんなキーワードで
ずっと検索していたのですが
一向にその意味はわかりませんでした
ネット上には
他の人が撮った石上神宮の鶏の写真が
たくさん載っていました
私は招かれていなかったのだろうか。。。
前の晩に”鴨鍋”をつついてしまったのがいけなかったのか。。。
等など色々考えを巡らせつつ
何となくもやもやしていました
ところが
思いがけない展開で
その意味を教えていただくことができました
実は今日のお茶会の後の宴席で
偶然隣に座られた女性と雑談をしていたら・・・
なんとその方は
ご実家が神道の教会で
嫁ぎ先が尼崎の神社
当然ご主人は神主さんで
彼女自身も巫女さんとして
お務めされたこともあり
年末年始は御札の授与など
大変お忙しく過ごされたそうです
彼女に
「鶏の写真が撮れなかった」話をしてみました
すると彼女は即
このように言って下さいました
「それは
鶏が神様だったからですよ」
(私)「でも他の人にはちゃんと撮れてます・・」
「他の人にとってはただの鶏だから
撮れたんですよ
ハラダさんにとっては神様だから
神様はそれがあると思う人にはあるけど
無いと思う人には無いんですよ」
サラリと笑顔でこのように仰っていただき
昨日からのもやもやが
いっぺんにスッキリとしました
そして
なんという畏れ多くも有り難いことかと
あらためて
感謝の思いに満たされました
(-人-)
昨日の記事に書きましたが
実はとても不思議なことがありました
石上神宮の境内には
多くの鶏が放し飼いにされています
この鶏たちは神の使いとも
言われています
昨日鳥居をくぐって足を踏み入れた時
境内には大勢の鶏たちが自由に遊び
人々が餌をやったり
カメラにおさめたりしていました
しかしその時は
何となく鶏の写真を撮ることが
憚られるような気持ちで
鶏を横目に見ながら通り過ぎました
そして
風格ある楼門をくぐり
ご祈祷の申し込みをしました
暫く待った後案内があり
拝殿に入って
ご祈祷をしていただきました
その後は
境内を散策し
由緒ある摂社にもお詣りして
再び鶏たちの所へ戻って参りました
すると
鶏たちが声高らかに
コケー!コッコッコッ...
コケー!コッコッコッ...
と鳴き始めました
まるで「自分を見てくれー!」
と言わんばかりの勢いだったので
思わずカメラを鞄から取り出して
鶏たちに近付いて数枚写しました
するとその近くの
こんもりした木の陰にも
何かいる様子
近付いてみると
なんと
赤いとさかが美しい
茶色の大きな鶏が一羽
木の枝にとまっていました
とても珍しい光景だったので
その鶏さんも数枚写しました
ところが。。。
家に帰ってみると
旅行中に沢山とった他の写真はすべてあるのに
写したはずの鶏の写真が
どういうわけか一枚も無いのです!
カメラが壊れたのかな?と思い
室内でシャッターを押してみると
普通にとれました
いったいなぜ・・・?
夜になって床についても
そのことが気になって
なかなか寝付けませんでした
一夜明け
今日は大阪のある場所で開かれた
お茶会へでかけました
そこに着くまでの道中
電車の中でスマホを取り出して
「石上神宮 鶏 写らない 神の使い」
こんなキーワードで
ずっと検索していたのですが
一向にその意味はわかりませんでした
ネット上には
他の人が撮った石上神宮の鶏の写真が
たくさん載っていました
私は招かれていなかったのだろうか。。。
前の晩に”鴨鍋”をつついてしまったのがいけなかったのか。。。
等など色々考えを巡らせつつ
何となくもやもやしていました
ところが
思いがけない展開で
その意味を教えていただくことができました
実は今日のお茶会の後の宴席で
偶然隣に座られた女性と雑談をしていたら・・・
なんとその方は
ご実家が神道の教会で
嫁ぎ先が尼崎の神社
当然ご主人は神主さんで
彼女自身も巫女さんとして
お務めされたこともあり
年末年始は御札の授与など
大変お忙しく過ごされたそうです
彼女に
「鶏の写真が撮れなかった」話をしてみました
すると彼女は即
このように言って下さいました
「それは
鶏が神様だったからですよ」
(私)「でも他の人にはちゃんと撮れてます・・」
「他の人にとってはただの鶏だから
撮れたんですよ
ハラダさんにとっては神様だから
神様はそれがあると思う人にはあるけど
無いと思う人には無いんですよ」
サラリと笑顔でこのように仰っていただき
昨日からのもやもやが
いっぺんにスッキリとしました
そして
なんという畏れ多くも有り難いことかと
あらためて
感謝の思いに満たされました
(-人-)
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