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透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 流れ弾

 タイトルにある「流れ弾」についての検証作業に
これから入りたいと思うのですが、 

 救世主であったはずの洗礼者ヨハネの死に関しては、
謀殺の疑いが濃厚であるというのがダ・ヴィンチの見解
であり、彼の考察ではヘロディアの恨みの心を利用した 
奸計による策謀の結果であったと推理しています。

 まずは、その辺の概略を掴んでおくことにしましょう。

   
     ザカリヤとエリサベツとヨハネ

 祭司ザカリヤとエリサベツの間に生を受けたヨハネは、
成人すると荒れ野で預言者としての活動を始めます。

「悔い改めよ。天の国は近づいた」と語り、ヨルダン川
で人々に神の国の到来と悔い改めを説き、洗礼を施して
いました。

 そんな折、イエスが洗礼を受けにやってきたのです。


    イエスと洗礼者ヨハネ(ヴォイチェフ・ゲルソン画)
        出典:www.diwanmsr.com

 当時、ヘロデ王(ヘロデ・アンティパス)がこの地方を
統治していましたが、彼は兄の妻ヘロディアを自分の妻に
するなど、非難されるべき行為を犯し、洗礼者ヨハネから
戒められていました。

 それは、当時のユダヤ教の教えに反していたからです。


     ジョヴァンニ・ファットーリ画

 ヘロデ王は洗礼者ヨハネを捕らえて牢獄につなぎます。


       出典:windychaple.com

 あるとき、ヘロデ王の誕生日の宴席で、踊りを披露した
ヘロディアの娘サロメに、ヘロデは褒美として望むものは
何でも与えることを約束します。

 ヨハネを憎んでいたヘロディアは、そんな娘にヨハネの
首を所望させます。

 ヘロデは、人々が信頼しているヨハネを殺すことに心を
痛めますが、公の場で誓った約束であったため、やむなく
ヨハネの首を斬らせたのでした。


  『洗礼者ヨハネの斬首』カラヴァッジョ(1608年)

  『洗礼者ヨハネの斬首』部分 カラヴァッジョ

  『洗礼者ヨハネの斬首』部分 カラヴァッジョ

 盆にのせられたヨハネの首は娘に与えられ、それを娘
はヘロディヤに渡したという顛末が、『マルコの福音書』
6章および『マタイの福音書』14 章に記されています。


『洗礼者ヨハネの首を受け取るサロメ』ベルナルディーノ・ルイーニ
      
     『洗礼者ヨハネの首を受け取るサロメ』部分

   『サロメと洗礼者ヨハネの首』ベルナルディーノ・ルイーニ
     これですね

 「サロメ」という娘の固有名詞は『福音書』には載って
いませんが、フラウィウス・ヨセフスの『ユダヤ古代史』
18巻に「ヘロデとヘロディヤの娘」の名として「サロメ」
の名前が記されています。

 ただし、

   
   フラウィウス・ヨセフス Wikipedia

 ヨセフスは洗礼者ヨハネの処刑は、あくまでも民衆の
反乱を恐れたヘロデが政治的配慮から自ら命じたもので
あり、「結婚を非難されたヘロディヤの策謀で処刑した」
というような前述の物語は記されていません。

  
     ヘロデ王の妻ヘロディアの顔(部分)

 ダ・ヴィンチの推理では、ヘロディアの憎しみの心理に 
つけ込んだ ある人物によるヘロデ王への献策が功を奏し?
洗礼者ヨハネを失う結果をもたらせたというのです。

 そこで、 

 洗礼者ヨハネの最期を『マルコの福音書』 6章14-29節
をベースにした動画の映像で確認してみましょう!

 動画をスルーした場合に備えて、『マルコの福音書』
6章14-29節を下記に記しておきます。

     (マルコの福音書6章14-29節)

 イエスの名が世間に知れ渡り、ヘロデ王(ヘロデ・
アンティパス)の耳にも入った。

 数々の奇跡を行うイエスについて人々は、「洗礼者
ヨハネが死者の中から生き返ったから、彼には奇跡を
起こす力がある」とか、「彼はエリヤだ」とか「昔の
預言者のような預言者だ」と言う人もいたが、

 ヘロデは、自分が「首を刎ねたあのヨハネが、生き
返ったのだ」と言った。

 実は、ヘロデは自分の兄弟フィリポの妻ヘロディア
と結婚しており、そのことで人をやってヨハネを捕ら
え、牢につないでいた。

 ヨハネが、「自分の兄弟の妻を娶ることは、律法で
許されていない」とヘロデに言ったからである。


     ジョヴァンニ・ファットーリ画

 そこで、ヘロディアはヨハネを恨み、彼を殺そうと
思っていたが、できないでいた。

 それは、ヘロデが、ヨハネは正しい聖なる人である
ことを知って、彼を恐れて保護し、その教えを聞いて
、非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていた
からである。

 ところが、良い機会が訪れた。

 ヘロデが自分の誕生日の祝いに高官や将校、ガリラヤ
の有力者などを招き、宴会を催すと、ヘロディアの娘が
その場に来て踊りをおどり、ヘロデとその客を喜ばせた。


   『サロメ』フランツ・フォン・シュトゥック 1906年

 そこで、王は娘に、「欲しいものがあれば何でも言い
なさい。 お前にやろう」と言い、さらに「お前が願う
なら、この国の半分でもやろう」と固く誓ったのである。

 娘が母親に、「何を願いましょうか」と訊くと、母親
は「洗礼者ヨハネの首」と言った。

 娘は大急ぎで王のところに行き「今すぐ洗礼者ヨハネ
の首を盆に載せて、いただきとうございます」と願った。

 王は非常に心を痛めたが 誓ったことではあるし、また
客の手前もあって、娘の願いを退けたくなかった。

 そこで、王は衛兵を遣わし、ヨハネの首を持って来る
ようにと命じた。


    『洗礼者ヨハネの斬首』部分 カラヴァッジョ(1608年)

 衛兵は出て行き、牢のなかでヨハネの首を刎ね、盆に
載せて持って来て、娘に手渡し、

 娘はそれを母親に渡した。


 ヘロディアとサロメとヨハネの首 www.wikiwand.com

 ヨハネの弟子たちは、このことを聞いて遺体を引き
取りに来て、墓に納めた。

     (マルコ 6章14-29節)

 ということで、

 動画を視聴をすると、すんなり入って来るのですが、
活字で読むと何か都合が良すぎてスッキリしません。

 それは物語が唐突で、ストーリーに一貫性がなく、
辻褄合わせに腐心した様子が窺えるからです。

 ヘロデは自分の兄弟の妻を奪い取った不道徳な行為
をヨハネに厳しく批判されたので、彼を捕らえて牢に
投じたが、そうした非難に妻のヘロディアのプライド
は痛く傷つき ヨハネを殺したがっていたけれど、


     ジョヴァンニ・ファットーリ画

 ヘロデは彼を恐れて保護していたので殺せないまま
でいたが、そこに願ってもないヘロデの誕生日祝いの
宴会の場という格好の舞台が用意されたとしています。

 『マタイの福音書』14章にも、ほぼ同じ内容の話
が書かれていますが、

 『マルコの福音書』6章との違いは、ヘロデ王は、

 「ヨハネを殺そうと思っていたが民衆を恐れた。
 人々がヨハネを預言者と思っていたからである」

        (マタイ14章5節)

 ヨハネを殺す意思がヘロデにはあったが、彼を慕う
民衆の暴動を恐れて殺せないでいた、ということです。

 これを覆すには、ヘロデの誕生日祝いの宴席で見事
な舞を披露した義理の娘(姪でもある)サロメに褒美
を与えるとしたうえで、ヘロディアにそそのかされた
サロメのおねだりという「流れ弾」が飛んできた
かのような設定作りが必要だったわけですが、


     『ヘロデの饗宴』 ピーテル・パウル・ルーベンス sononism.com

 symbol2 ダ・ヴィンチの考察は、少し違っていました。

 洗礼者ヨハネとイエスは下級祭司であったザカリヤ
を父に、エリサベツとマリアを、それぞれの母として、
この世に登場するに至ったとするのが、ダ・ヴィンチ
「罠」を構成するプロットのひとつです。


 『幼児キリストと洗礼者ヨハネ』(貝殻の子供たち)ムリーニョ画

 symbol2 ダ・ヴィンチによる推理はこうでした。

 クムランの共同体の中で幼少時より一緒だった二人は、
互いが兄弟であることを知らされないままに育ちます。

 
   『幼児キリストと洗礼者ヨハネ』(貝殻の子供たち)部分 ムリーニョ画

 クムラン宗団にはユダヤの解放に際し、

 車の両輪の如き「愛」と「義」をテーマに、ローマから
の解放と独立を推進する「二人のメシア」なるユダヤ解放
計画がありました。

 その二人のメシアとして白羽の矢が立ったのが、ヨハネ
とイエスの異母兄弟だったというわけです。

 詳しくは、

ダ・ヴィンチの罠 邪魔者(改) - 透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 邪魔者(改) - 透明人間たちのひとりごと

「邪魔者」、まさに、そんなブログの引っ越し作業の結果、100を超える記事の画像が表示できなくなり、非公開としました。記憶を呼び起こしつつ、漸次、復活・再生させるつも...

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 url『ダ・ヴィンチの罠 邪魔者(改)』

ダ・ヴィンチの罠 眉唾物(改) - 透明人間たちのひとりごと

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 url『ダ・ヴィンチの罠 眉唾者(改)』 

 などを参照してください。

 ところで、

 イエスの伝承には「謎」として残る大きな空白期間
が2つあります。

 まずは、

 預言されていたメシア(救世主)の誕生があったとして
イエスが生まれた当時のユダヤの王、ヘロデ大王から命を
狙われますが、その難を逃れるために養父ヨセフとマリア
とともにエジプトに逃避していたとされている 0~12歳位
までの消息はまったくの不明で、


   『エジプトへの逃避行』カルロ・マラッタ

 これが、第1「謎」空白期間です。

 12歳の頃に、イスラエル(ユダヤ)に戻ったイエスは、
神殿でユダヤ教のラビ(律法学者)たちを相手に議論を
戦わせ、一歩も引くことなく老成したラビたちと対等に
渡り合ったそうですが、

 彼らが舌を巻くほどの知識をすでに得ていたイエスは、
何故か、その後 ぷっつりと姿を消してしまいます。

 これが、第2「謎」空白期間です。

 そして、

 再び人々の前に現れるのが30歳になった頃で、それが
洗礼者ヨハネから洗礼を授かる有名なシーンです。


  イエスの洗礼 出典:blogs.yahoo.co.jp

 こうして、イエスの公生涯がスタートします。

 さてさて、

 14歳の時、ダ・ヴィンチはフィレンツェの名工房の師匠
として名を馳せるヴェロッキオに弟子入りします。

 それから6年を経て、彼は壮大な「罠」の実証実験
をヴェロッキオとの共作『キリストの洗礼』で試します。


   『キリストの洗礼』  ヴェロッキオ工房作

 この洗礼を授かるという『福音書』に明記された
行為そのものが『ヨハネ・キリスト説』の裏付け
となる根拠のひとつになり得ると、ダ・ヴィンチは考えて
いたようなのですpeace

 それと言うのも、

 『新約聖書』を読み直してみると、洗礼者ヨハネの扱い
に関して、いくつかの疑問が生じてくるのです。 

 たとえば、

 何故、「神の子」であるイエスが洗礼者ヨハネから
洗礼を授かる必要があったのか?

 何故、洗礼者ヨハネが「イエスの先駆け」であるという 
ことが随所で述べられ、ことさらに強調されているのか?


           「イエスの洗礼」 blog.goo.ne.jp 

 そのとき、イエスが、ガリラヤからヨルダン川のヨハネ 
のところに来られた。彼から洗礼を受けるためである。

 ところが、ヨハネは、それを思いとどまらせようとして
言った、「わたしこそあなたから洗礼を受けるべきなのに、
あなたが、わたしのところに来られたのですか」 

 しかしイエスはお答えになった「今は止めないでほしい。
正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです」

 そこで、ヨハネはイエスの言われるとおりにした。

     (マタイの福音書 3章13~15節 ) 

 この『マタイの福音書』3章13~15節における記述も、
ある意味、不自然と言えば不自然な話なのです。

 これらの記述から判断すれば、洗礼者ヨハネが大勢の
弟子や信奉者を擁するユダヤ教改革派の指導者であった
ことが窺われるだけではなく、

 おそらく当時の主役はイエスではなく、洗礼者ヨハネ
だったということでしょう。

 そこで、穿って言えば、

 洗礼者ヨハネとイエスは兄弟弟子か、あるいはイエス
がヨハネの弟子だったような関係にも思われるのです。

 前述のように、ヨハネとイエスはエッセネ派に属した
禁欲主義的なクムラン宗団の一員であったわけですが、
彼らはエルサレムの体制を絶望的に堕落したものである
と見なしていて、それを激しく非難する説教をヨハネは
おこなっていたのでした。

 ただの荒野の声だとして ・・・


   『荒野で説教をする洗礼者ヨハネ』サルヴァトル・ローザ

 彼は大衆に向かい、悔い改めてヨルダン川での洗礼を
受け、エッセネ派的な潔めの儀礼を積極的に受け入れる。 
ようにと迫っていたのです。

 もしもパウロのシナリオが違っていて、アポロよりも
弱い人間であったなら、あるいはパウロが教会や特定の
人物に宛てて書簡を書かなかったならば、当時の世界の
人々の心や想像力を捉えた宗教は、イエスたちが授ける
洗礼ではなく「ヨハネによる洗礼」だったでしょう。

 つまり、

 信者たちは「山上の垂訓」ではなく「河岸の垂訓」を
学ぶことになったでしょうし、また、イエスの英雄的な
十字架での贖いの物語の代わりに、牢につながれ、首を
斬られたヨハネが、死後に疑いの余地もなく、選ばれた
弟子たちの前に出現したという洗礼者ヨハネの復活物語
をあまねく世界に語り伝えていたことでしょう。

 この教団は、現代にあってはヨハネ派あるいは洗礼派
として『新約聖書』には、洗礼者ヨハネが「神」
あることを示す疑いのない証拠がある、と信ずるまでに
発展していたのかもしれないのです。

 すなわち、そのことはイエスではなく、洗礼者ヨハネ
を救い主とするキリスト教が発展していたかもしれない
という言説であって、これこそが「流れ弾」の真の
正体といえるものなのです。

 
     流れ弾のイメージ(銃口とトリガー)104ban.info

 歴史にIFは厳禁ですが、前述の『新約聖書』など
の洗礼者ヨハネに関する記述を俯瞰して想像を逞しくする
と、ひとつの可能性として、以下のような状況を推測する
ことは可能でしょう。

 当時、ユダヤ教徒の間には様々な改革派グループが存在
し、中には原理主義的なグループも存在していました。

 洗礼者ヨハネに恭順するグループも、ナザレのイエスの
グループもそれらのひとつでした。

 やがてイエスのグループ(共同体的組織)が教勢を拡大
していく過程で、おそらくは『福音書』が書かれた前後の
時期に、イエスのグループがヨハネの共同体を吸収するか、
あるいは合同するような動きが起こり始めるのですが、

 この時、ある種の妥協の産物として、イエスを「神の子」
として認めるかわりに、洗礼者ヨハネをその先駆けとして
位置づけ、特別な地位を与えることで、ヨハネの共同体に
対して、一定の配慮を図ったものと考えることができます。

 当然、ヨハネを排他的に信奉する一部の者たちは合同を
拒否したでしょうが、多くはイエスのグループへの合同の
道を選び、以後、イエスを「神の子」とするキリスト者へ
と変貌していったというわけです。

 その後、「イエスのキリスト教」が確固たる地位を獲得
するにつれて、洗礼者ヨハネの存在は次第に影を潜め後景
に退いていくことになるわけですが ・・・

 この辺りの考察に関しては、mvsica.sakura.ne.jpの記事
(PDF)を参考にして構成してみました。 


 それにしても、 

 ダ・ヴィンチにすれば、洗礼者ヨハネのことを「先駆者」
なんぞと呼ぶのは、

   

 「うそを築地の御門跡」じゃったり、
「いやじゃ有馬の水天宮」じゃのう!

 そだね。 ・・・ でなければ、

 

 「びっくり下谷の広徳寺」だとか、
「恐れ入谷の鬼子母神」かしら

  いやいや、

  「何だ神田の大明神 !!
  
  「何か用か九日十日」

  って、どんどん離れていくようなのですが ・・・

 それじゃあ、ダ・ヴィンチに成り代わって小生が、
      
【洗礼者ヨハネ・キリスト説】の成就を祈念して、

 「どうぞ叶えて暮れの鐘」

 なんちゃってね、大晦日でもないのに、 

     
     (甘すぎやで・・・)
 
 最後に、

 イエスとエリヤ(洗礼者ヨハネ)に絡めて、一首、献上。


  『預言者エリヤ(またはエレミヤ)の肖像』レンブラント画

 
        『洗礼者ヨハネの斬首』 カラヴァッジョ(1608年)


  「神イエスヨブものは、

        エリヤ好みのテサロニケ

   イザヤダニエルゼカリヤ
      ヨエルエレミヤマラキかな

 さらに「神」「嘘」に言い換えて、もう一首。

 「嘘イエスモーセしは、
       エリヤ憎しのエゼキエル

     情けヨシュアの福音も
          わずか四書のエズラかな

      お粗末でした!

 url『ダ・ヴィンチの罠 魔導師(改)』より、オチの部分
をちゃっかりと借用しましたが、あしからず!

   ・・・ っておいおい

  
   マジかょ!        なるほどね  (^▽^;)(^^ゞ 


 はてさて、

 洗礼者ヨハネとイエスとの関係において、それぞれの
主宰する会衆での方針の違いや方向性の相違から、徐々
にすきま風が吹きつつあったことを、それとなく感じて
欲しかったことと、ヨハネがイエスの気配にただならぬ
モノ(破滅の萌芽)を見い出していたことを知らせて
おきたかったのですが、上手く伝えられませんでした! 

 そして、

 そんな思いと同種の危惧を抱いていたのが、サロメの
おねだりという「流れ弾」のアイデアに一役買った
野心家にして自信家で、自惚れ屋だった男である、彼が
ヘロデ王へのアプローチを担った人物なのです。


      「え !!」

 次回では、この男に関する考察と、その顛末について
言及してみたいと考えています。    

まだ気づいてませんな

 このようにして、  ある種の秘儀、


       出典:www.jizai.org

 言わば、イニシエーション&サクラメントの実践が
為されていたというわけなのです。

  なんとなれば、

 ヘロデが異母兄弟の「妻」を奪い取るという構図は
「二人のメシア計画」から、イエス単独の贖いによる
「イエス・キリスト計画」に変じたことと同じ裏切り
行為であり、その縮図が2つの『福音書』のなかで
暴露されるという因果が展開されているのです。

 ここに、


        ヘロデ大王の家系図 zushikyokai.holy.jp

 「真実の秘匿」の表裏性があって、異母兄弟としての
フィリポとヘロデは洗礼者ヨハネとイエスの予型として
表現されているとダ・ヴィンチは推理したわけです。

      
      (ホンマかいな)


 パリ・ルーブル版  ロンドン・ナショナルギャラリー版

    
   『サロメ』フランツ・フォン・シュトゥック 1906年 

 何故なら、

      

 伝道者とされるパウロも、裏切者とされているユダも、
自分と同じ種類の人間だと感じていたからです。

そう、未来に「罠」を仕掛ける人間であると ・・・



         『踊るサロメ』 フランツ・フォン・シュトゥック画 


        symbol2 ダ・ヴィンチの推理は続きます。

     … to be continued !!

      

            なんだかなぁ!  

コメント一覧

小吉
複雑で非常に分かりづらいことがらなので小学生でもわかるように「マンガ、洗礼者ヨハネ」みたいのが読みたい。
ついでに他の人物の大枠を把握して、そのあと人物の相関図があるとわかりやすいかもしれない。
あと同じ名前の人が多いので今ひとつ人物がつかめないから画力のある漫画家さんがキャラ付けできるといいかもしれません。
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