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透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 新契約

 今回のタイトルは『新契約』ですが ・・・

 「聖書入門.com」によれば、 

 新しい契約とは、イスラエル(ユダヤ)の民が従うことの
できなかったモーセ契約(シナイ契約)に代わるものとして、
神がイスラエルの民と結んだ「無条件契約」を指します。

 神は預言者エレミヤを通して、イスラエルの民に霊的回復
を約束していましたが、新しい契約はその預言の成就である
とパウロは言います。      

 確かに、

  
    『エレミヤ書』 Wikipedia

『旧約聖書』には新しい契約が到来すると書かれています。

 「主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家とユダの
  家とに新しい契約を立てる日が来る」

       (エレミヤ書31章31節)

 ですが、ここでは、紙面の都合上、記載できませんが続く
『エレミヤ書』31章32-40節を読むと疑心が暗鬼を生じます。

 「疑心暗鬼を生ず」と書いたのは、ダ・ヴィンチの心情を
忖度するあまりに、なんでもない聖句までが疑わしいものに
感じられて誤解を生む恐れがあると、事前に予防線を張って
いるわけです。

 それにしても、

 レオナルド・ダ・ヴィンチは『新約聖書』のいったい何が
気に食わなかったのでしょうか?

 少なくとも『旧約聖書』にある「新しい契約」との文言は
この1箇所だけで、他にはこのことを指しているのだろうと
考えればそのように思われないこともないという内容の記述
が散見されるだけですが、

 たとえば、

 わたしは新しい心をあなたがたに与え、新しい霊をあなた
がたの内に授け、あなたがたの肉から、石の心を除いて、
の心を与える。   (エゼキエル書36章26節)

 この場合の「新しい心」が、「新しい契約」を連想させ、

 わたしはわが霊をあなたがたのうちに置いて、わが定めに
歩ませ、わがおきてを守ってこれを行わせる。(同章27節)
と続くわけです。

 そして、

 ここで、エゼキエルは、「新しい契約」のいくつかの側面
を示唆しているというのです。

 新しい心、新しい霊、内在する聖霊、本当の聖さ。モーセ
の律法はこれらのうちの何も備えていないというわけです。

 (ローマ人への手紙 3章20節を参照してみてください)

 こうした、

 エレミヤやエゼキエルの他にも、モーセが「新しい契約」
のことをそれとなくほのめかしているとされるのですが、


     『預言者モーセ』 フィリップ・ド・シャンパーニュ

 モーセはイスラエルが古い契約を守ることができなくなる
ことを予期していたとか?  (申命記29章22-28節)

 あるいは、また、回復の時を心待ちにしていたとか?  

 わたしがあなたの前に置いた祝福と呪い、これらのことが
すべてあなたに臨み、あなたが、あなたの神、主によって 追
いやられたすべての国々で、それを思い起こし、あなたの神、
主のもとに立ち帰り、わたしが今日命じるとおり、あなたの
子らと共に、心を尽くし、魂を尽くして御声に聞き従うな
ば、 あなたの神、主はあなたの運命を回復し、あなたを憐れ
み、あなたの神、主が追い散らされたすべての民の中から再
び集めてくださる。 たとえ天の果てに追いやられたとしても、
あなたの神、主はあなたを集め、そこから連れ戻される。
なたの神、主は、かつてあなたの先祖のものであった土地に
あなたを導き入れ、これを得させ、幸いにし、あなたの数を
先祖よりも増やされる。   (申命記30章1-5節)

 つまり、こういうことです。

  神の御言葉に従わずに罪を犯し、神の裁きと呪いを受ける
ことがあっても、それで終わりではなく、その罪を悔い改め、
主に立ち返り、心を尽くし、精神を尽くして御声に聞き従う
なら、主は彼らの繁栄をもとどおりに回復し、彼らを憐れみ、
すべての国々の民の中から、彼らを再び集めるというのです。

 そして、

  約束の地(カナン➡パレスチナ)を目指す diamond.jp(Photo: Adobe Stock) 

 彼らが所有していた地に彼らを連れて行き、その地を所有
させ、彼らを栄えさせ、その先祖たちよりも、その数を多く
させるというのです。

 これらの聖句をもって、預言の成就を見たという人たちは
少なくありません。

 たとえば、

 イスラエル(ユダ王国)の民は、BC587年または586年に
新バビロニアの王ネブカドネザル2世により、バビロンを始め
としたバビロニア地方へ連行(バビロン捕囚)されましたが、
その70年後にカナンの地に帰還していますし、AD70年には
ローマに滅ぼされ多くのユダヤ人が全世界に離散しましたが、 
19世紀末に起こったシオニズム運動によって、全世界に散ら
されていたユダヤ人たちがイスラエルに帰還します。

 そして、ついに、

 
           イスラエルの国旗 crossxroad.com

  19485月に、イスラエル共和国が建国されるのです。

 1900年もの間、国を失い流浪していた民族が再び国を興す
といった話は聞いたことがありませんが、イスラエルの民は
それを成し遂げました。

 「だれが、このようなことを聞き、だれが、これらのこと 
 を見たか。  地は一日の苦しみで産み出されるだろうか。
 国は一瞬にして生まれるだろうか。  ところがシオンは、
 産みの苦しみと同時に子たちを産む 」

        (イザヤ書66章 8節)

 それは、いにしえの昔、

 『旧約聖書』に、このように預言されていたからであって
 、終末預言の一部が成就したに過ぎないと言うのです。

 要するに、

 
          聖書預言 christiancommons.or.jp

 我々はまだ、この預言の完全なる成就を見てはいませんが、
これまでのイスラエルの歴史の中でいくつかその成就を見て
いると強調するわけです。

 小生はともかくも、ダ・ヴィンチは「バビロンの捕囚」を
知ってはいても「イスラエルの建国」は知りません。

 ましてや、その次にある、   

「あなたの神、主はあなたの心とあなたの子孫の心に割礼
を施し、あなたが心を尽くし、精神を尽くし、あなたの神 
、主を愛し、それであなたが生きるようにされる。」

       (申命記30章 6節)

 については、神から「永遠の命」が与えられるということ
ですので、彼としては黙ってはいられないでしょう。

 なにせ、ダ・ヴィンチは、

「解剖して分かったことだが、
  人間は死ぬように出来ているのだ」

      (レオナルド・ダ・ヴィンチ)

 と、言っているわけですから・・・

 しかしながら、彼は、 

 あくまで、肉体の死について言及しただけで、霊や魂に
ついては ダ・ヴィンチの知るところの話ではありません。

 ただ、小生がこれらの預言を好意的に考察するとすれば、

             『申命記』 subsplash.com

 神は人によくしてやったかと思えば、次には自分の言う
ことを聞かないからといって手痛い目に合わせるといった
ような単純な判断で物事を推し進めたりはしないでしょう。

 むしろ、神の愛は一貫していて、神は痛めつけるのでは
なく、回復させるための裁きの一環であって、その意図を
明確にして実行しているわけです。

 つまり、

 イスラエルが「永遠の命」ではなく、「死」を選択して
神に背くという未来を見越していて、そこからの失地回復
を語り始めるシナリオです。

 神の憐れみは深く、神の裁きを受けて「天の果てに追い
やられていても、あなたの神は、そこからあなたを集めて、
あなたを連れ戻す」(申命記30章 4節)というわけです。

 あなたとは、イスラエル(ユダヤ)の民のことです。

 とにかく、

 神は憐れみ深く、イスラエルが滅びに向かうことを放置
せずに回復させてくださる存在です。

 それは実際のイスラエルの歴史が証明し確認しています。

 イスラエル(ユダヤ)は、二つに分裂した王国時代以降、
BC722年に、北イスラエル王国が アッシリヤに滅ぼされ、
BC586年に、南ユダ王国がバビロンに滅ぼされています。 

 彼らは国を失い、各地に散らされ、一部の者たちは捕虜
としてバビロンに強制移住させられる経験をしました。

   
       バビロン捕囚 wikipedia

 前述した聖句にもあるように、

 ある意味で天の果てにまで追いやられてしまったのです。

 しかし、それから約70年後、


    『ネヘミヤ記』 www.youtube.com

 ペルシアの時代に、帰国と国の再建を許され、彼らは神 
の約束どおりに、再び連れ戻され、回復させられたのです。

 
 城壁を再建するネヘミヤ ippanseisho.nomaki.jp

 神の約束は絶対です。たとえ、捕虜となって遠い異国の
地に連れ去られることがあっても、神の戒めを守り、心を
尽くし、精神を尽くして神に聞き従うなら、神は憐れんで
くださり、再び集め、栄えさせてくださるのです。


   エルサレム神殿の再建 blog.livedoor.jp

 もう、このくらいでいいでしょうか?
 
 これだけ持ち上げれば、神も文句は言わないでしょう。

 そうです。 この預言はこの時に成就を見たのですpeace

 少なくとも、

 イスラエルの建国を知り得ないダ・ヴィンチには、そう
思えたはずです。

 実は、小生もそうした考えに近い見解をもっていますが、
説明が長くなりそうですので、

 一旦、話を「新しい契約」の方に戻したいと思います。


    「古い契約と新しい契約」 directors.tfionline.com

 ということで、「新しい契約」については、

 心の完全なる変化を伴うものでもあるので、神の民は自然
と神を喜ばせるようになると言うのです。 

 しかも、

 古い契約がまだ有効な時に、「新しい契約」は発効される
と予告されています。

   
  『モーセの十戒』 meigata-bokushin.secret.jp 

       モーセと十戒の石板 jp.freepik.com 

 そのうえで、

 『新約聖書』では、神がモーセに十戒を授けられた時から
始まったモーセ契約が、イエスの死によって終了したことや
それ以降は異邦人たちクリスチャンが新しい契約によって
生きていることを説明します。

 もちろん、

 ペテン師パウロと彼に影響された使徒や仲間たちのペンが
そう言っているわけですが ・・・

 イエスは死ぬ前夜、この「新しい契約」について弟子たち
に説明します。

 『ルカの福音書』には、このように書かれています。 

 
           
「新しい契約」 www.bibleinfo.com

  「またパンを取り、感謝してこれをさき、弟子たちに
 与えて言われた、『これは、あなたがたのために与える
 わたしのからだである。 わたしを記念するため、この
 
ように行いなさい』食事ののち、杯も同じ様にして言わ
 れた、『このあなたがたのために流すわたしの血
 で立てられる新しい契約である』」  

      (ルカの福音書22章19‐20節)

 そして、同じ内容がパウロによって引用されます。

 食事の後、杯も同じようにして言われた、「この杯は
わたしの血による新しい契約です。 これを飲むたびに
わたしの記念として、これを行いなさい」

  (コリントの信徒への手紙「1」11章25節)

 見ても聞いてもいないのに、いかにもイエスが言った
言葉として「主である神の子の思い」を書き残している
わけで、聖餐式というかたちで、記念として残すように
イエスはあらかじめ、十字架上での死の意味を弟子たち
に説明していたとパウロは主張するのです。

 また、

 『マタイの福音書』では、こう書かれています。

 「これは、罪のゆるしを得させるようにと、多くの人
のために流すわたしの契約の血である。」

      (マタイの福音書26章28節) 

 さらに、

 「これは、多くの人のために流されるわたしの契約の
血である 」   (マルコの福音書14章24節)


         聖餐式の制定 (過ぎ越しの食事)tomoshibi.or.jp

 これをもって、

 イエスが十字架上で死んだ時に、「古い契約」が終了
して、「新しい契約」が発効したというわけです。

 契約では、神は、以下の点を約束しているそうです。

① イスラエルの民の心と魂の中に律法を書き記す。
② 神は彼らの神となり、彼らはその民となる。
③ 彼らの不義を赦し、二度と彼らの罪を思い出さない。

 モーセの律法が要求していたことはすべて、救世主
であるイエスによって満たされ、イエスを信じる者は
神の恵みにより、キリストの義をその身にまとうもの
とされました。
 
 モーセ契約は条件付きの契約でしたが、それ以前に
イスラエルの民とのあいだに結ばれたアブラハム契約
は無条件契約でした。

 この「新しい契約」は、アブラハム契約が約束して
いたことの成就なのです。 (seishonyumon.com)

 従いまして、

 条件の達成により初めて履行が適うといった片務的
な契約であった「古い契約」(モーセの律法)などの
もとにいるのではなく、現在の我々は神の恵みのもと
にいるのだそうです。 (ローマ人への手紙 6章14節)
 
 「古い契約」は、すでにその目的を果たし終えて、
今や我々は〝さらに優れた契約〟にとって代わった
時代にいるのだとか、(へブル人への手紙 7章22節)      

 でも、結局は、

  「新しい契約」を通じてのみ、
   
  「罪のゆるしがあるわけよね!」
  
  「イエスが契約の仲介者じゃからのぅ」
 
「彼を信じれば、誰でも、神の子なられるの?」
 
 「ヨハネの福音書ではそう言っとるが!?」
   
  「でも、人類はみんな神の子どもでしょ?」
 
  「人をつくったのは神じゃからな!」
 
 それに、さらに優れた契約ってことは、
 これから、この先、さらに、もっと、もっと、
 
 「優れた契約が、あり得るってことでしょ?」
    

   ・・・ って、おいおい、

  
   (確かに ・・・)   (アリエール!)
 
     「かもな!?」

無限に繰り返されるピザの画像のようになる可能性もある。


    無限ピザ 出典:writerzlab.com

 ああ~、目が回る。        

   
 永遠なるループやね!       う~む  (^▽^;)(^^ゞ   

  ・・・って、おいおい、



   … to be continued !!


       なんだかなぁ・・・

          画像元: domani.shogakukan.co.jp
         なんでやねん!

        

       
 
      symbol2 ダ・ヴィンチの推理は続きます。
 

コメント一覧

小吉
「神」という言葉を使うのは大義名分みたいなものではないかなと思いました。
「私達、俺達が」と人が言っても衝突してしまうだけなので大義名分としてあるいは免罪符として神という存在を使っているような気がしました。
本当の本当に神、あるいはキリストを信じている人たちがいったい「何」を信じているのかわたしにはわかりません。
もしかしたらキリスト教徒も日本人のことがわからないのかもしれません。
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