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透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 想定外

 登場人物の他にも詳細なる条件を提示したうえで絵画
の制作を依頼し、契約書を交わして、着手金を支払い、
出来上がった作品を見たら指定した内容とはまったく違う
ものになっていたとしたなら ・・・

 アナタはどうしますか

 現代なら当然、契約不履行だとして、受け取らず
に描き直しをさせるか、さもなければ違約金請求
するでしょうし、着手金の回収手続きにも入るでしょう。

 『岩窟の聖母』パリ・ルーブル版の注文主が
まさに、そのアナタなのですが ・・・

 ところが何故か、

 注文主である教会は、受け取りの拒否と残りの代金の
支払いを拒んだだけで違約に対する損害賠償も着手金
の請求にも及びませんでした。

 しかるに、

 委嘱(依頼)された側のダ・ヴィンチは契約に違反する
作品を描いておきながら、不敵にも報酬(残金)の
支払いを求めて、逆に提訴をしたのですから、

 「何をか言わんや」です。

 
 前回の『ダ・ヴィンチの罠 反作用』 
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/470.html

 でも指摘したように、その裏には聖母マリアの無原罪
(後にはイエズス会も擁護派となるドゥンス・スコトゥス
の無原罪受胎説)を振りかざすフランチェスコ会と原罪
(トマス・アクィナスの原罪受胎説)を奉じるドメニコ会
いう名だたる二大会派(組織)が事あるごとに対立姿勢
を示してしていたという背景がありますが ・・・

 両陣営が対峙する一触即発の状況のなかで1478年
にフランチェスコ会の肝煎りでミラノに設立されたのが
「聖母無原罪の御宿り信心会」で新設
する配下の教会の礼拝堂の祭壇画として、1483年に
委嘱されたのが『岩窟の聖母』だったのです。

 何か、そこら辺に「曰(いわ)く」がありそうですが ・・・

 それでは、

 具体的な依頼(注文)内容と『岩窟の聖母』
パリ・ルーブル版との相違点登場人物および
構図彩色の違いなどから見てみましょう。

 概略として、



 「登場人物は主役の聖母マリアを筆頭にして幼児の
イエス、そして脇を固める二人の預言者とその周りに
祝福をあらわす複数の天使たちを配置する」

 そして、



 「祭壇上部(ドーム型の上の部分)には父なる
聖母マリアを表記し、出産場所として馬小屋
描き、そこに鮮やかな彩色を施し金箔を張る」

 さらに、

 

 「中央部には前方に聖母とイエスと天使たち
油彩で完璧に描き、彼らとともに二人の預言者
別の位置に上質の顔料で描くこと ・・・ 」

 といった具合で、実に子細にわたるものでした。

 要は、

 「神」聖母をイエスの父母として同列に配し、
清浄にして穢れのない神聖なる聖母像により、
無原罪訴求することが目的注文(依頼)
内容だったのです。

 科学的センスに恵まれ過ぎていたダ・ヴィンチの信条
に照らせば、これはとんでもないことであって、

 つまり、

 受胎とは両親の性行為表裏一体の関係
にあることは言わずもがなであり、いかに科学的な知識
に乏しい市井の民と言えども容易には受け入れがたい
周知の事柄ですから、

 ダ・ヴィンチにとっては到底のことに、受け入れられる
内容のものではなかったはずなのですが、

 よしんば、

 注文の条件に不満があるのならば制作を断れば済む
だけの話であるにもかかわらず、ダ・ヴィンチが請け負う
ことにしたのには「マリア教」変貌しつつある

 

カトリック教会の姿勢に真っ向からを唱える絶好
機会だと捉えたのかもしれません。

 但し、

 それとは気づかれずに解る者にだけ伝わるように ・・・

 それにしても、見事なまでの完全無視です


 (くだん)の祭壇画は、

 キャスト背景構成構図も、まったくの
ダ・ヴィンチの「独壇場」で ・・・

 登場人物からして「神」の存在を消し去り、主役の
聖母マリアと幼児のイエスを除けば、二人の預言者
完全排除され、天使も複数から一人に、

 さらに、その天使も子供から大人の姿に変わり、頼み
もしないのに幼児の洗礼者ヨハネを登場させ、

 しかも、構図的には主役マリアを食いかねない
重要なポジションに配置しているのです。

 元を正せば、

 この「独壇場(どくだんじょう)というも同様に、
「独擅場(どくせんじょう)の書き間違いから生じた
言葉ですが、彼の場合には疑いようのない確信犯
しての「ひとり舞台」を演じ切ったというわけです。

 そもそも教会がわざわざ登場人物を指定したのには、
聖母としてのマリアの聖性無原罪を印象付ける
ことが目的であり、予(あらかじ)め「神」によって、
しかるべく定められていた「予定調和」無条件
で受け入れる内容の祭壇画になるようにとの思惑
から聖書に名高い二人の預言者を指名したわけで、

 聖母の無原罪による受胎でイエスが誕生したこと
預言成就として大勢の子供の姿をした
天使たちが祝福するという筋書きだったのです。

 二人の預言者については

 『ダ・ヴィンチの罠 挑戦状』などを
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/469.html

 参考にしてみてください。


 聖母マリアが受胎時に原罪感染していたのか、
否かの論争はダ・ヴィンチ以前の時代から1000年以上
に亘り、繰り返し行われてきましたが、14世紀に再燃し、
15世紀にはアカデミカルな理論闘争から世俗社会での
支持獲得競争となり、無原罪派のフランチェスコ会
原罪派のドメニコ会が互いに火花を散らして激しく
対立していたことは前述のとおりですが、

 その火花について、もう少しだけ言及するとすれば、
この時期のイタリアではさまざまな都市の広場や街角
や辻々において、両陣営によるアジテーション合戦が
おこなわれ、教会での説教では互いに相手を異端者
であると非難しあうような状況でした。

 そんな折の1483年4月25日に、

 ミラノのサン・フランチェスコ・グランデ教会に礼拝堂を
建設中だった「聖母無原罪の御宿り信心会」
は大きな木製の祭壇(ここに神と聖母を表記し鮮やかな
彩色と金箔張り)の装飾および中央の祭壇画に関する
制作契約をダ・ヴィンチたちと結んだわけで、

 新設の礼拝堂を飾る祭壇画に込められた強い思いと
期待がこと細かな指示となってダ・ヴィンチに伝えられた
であろうことは想像に難くありません。

 この「信心会」はミラノでの聖母の無原罪受胎の
信仰を広めるために設立された組織ですから、当然の
ことに彼らの拠点となるべき礼拝堂の中央に飾られる
祭壇画には聖母無原罪受胎したことを
ハッキリと示す内容の絵が描かれていなければならず、

 その意味からは、当然の結果として、

 契約した年の12月8日(聖母の無原罪受胎を祝う日)
までに納品されるはずであった祭壇画は「信心会」
クレームによって引き渡されることなく係争中
対象物(証拠品)としてダ・ヴィンチの工房に長らく
留まることになるのです。
 
 ところで、2枚ある『岩窟の聖母』のうち、



 一般的にはルーブル版の方が完成度が高く、純粋に
ダ・ヴィンチ本人の筆によるものであるとされています
が、一説ではナショナル・ギャラリー版にみる技術の方
が15世紀的であって、こちらが先(1483年の受注時)に
制作が開始されたとする可能性も否定できません。

 というか、受注の経緯背景が分かるにつれて、

 一般に流布している従来からの定説(ルーブル版に
失望した依頼主が受け取りを拒否し、賃金の支払いが
行われなかったために代金を回収する目的で弟子たち
が主動してナショナル・ギャラリー版を制作し納品したと
する解釈)に疑問が生まれたのです。

 ひとつには、制作過程で依頼主が視察目的で工房を
訪ねた場合に、契約内容にそぐわない図像が描かれて
いたならば、その場で修正を指示されるか、契約違反を
盾に契約が破棄される恐れがあること。



 さらに、ルーブル版での聖性の欠落に対して、光輪の
描写やアトリビュートを描くことで教会の意向に沿うよう
ナショナル・ギャラリー版で修正したとする点についても



 十字架などの宗教的な小道具としてのわかりやすい
象徴物をダ・ヴィンチが毛嫌いし、ある時期を境にして
描かなくなったと言われていますが、彼の最後の作品
にして「罠」重要メッセージ隠匿する
『洗礼者聖ヨハネ』の絵には十字架の杖や
ラクダの毛皮の衣など洗礼者ヨハネを象徴する
アトリビュートがしっかりと描かれていることからしても、

      

 その説は説得力に欠けるわけで、大天使ウリエルの
指をさすポーズや光輪の有無や宗教的象徴物の描写
などの手直しのためだけに、わざわざ同じ構図の別の
作品をもう1枚、作り直したとは考え難(にく)く、



 むしろ、進捗状況を確認に来た場合のアリバイとして
十分な言い訳が可能なようにナショナル・ギャラリー版
から描き始めたとする方が合理性があるのです。



 なぜなら、ルーブル版の問題部分だけを修正すれば
それで事足りるのですから ・・・

 結果的には、このナショナル・ギャラリー版が無事に
礼拝堂の祭壇に飾られることがなによりも望ましく、

 そのためには、

 ダ・ヴィンチには2枚『岩窟の聖母』
どうしても必要だったとするのが妥当なのです。

 おそらくは、ルーブル版の天使はウリエルでしょうが、

      

 ナショナル・ギャラリー版ではガブリエルだと言い張る
つもりだったのではないでしょうか。

        
      


 そのほうが「罠」としては理解しやすく、当初から
2枚『岩窟の聖母』を描くことは、否、裁判
に打って出ることも想定内(あるいは想定外)の
既定路線だったのかもしれません。

 つまり、

 契約違反であるとして「信心会」側が原告として
告訴すると思いきや、意外にも受け取りの拒否と報酬
の支払いを拒むだけで事を収めようとしたわけで、

 そのこと自体はダ・ヴィンチにとって想定外のこと
であったとしても、2枚『岩窟の聖母』は、
「罠」としての事前準備として想定の範囲内
であったということです。

 要するに、

 ダ・ヴィンチの工房では秘密裏に同時並行で2枚
『岩窟の聖母』が描かれていたのです。

 ダ・ヴィンチの計画では「信心会」への納品には
ルーブル版を予定していて、出来映えの違いに激怒
した教会がダ・ヴィンチを訴えるような事態想定
していたのですが、 制作の途中での計略発覚の際の
緊急避難と裁判における最終和解策として
最初からナショナル・ギャラリー版を描いていたわけで、

 2枚ある『岩窟の聖母』はダ・ヴィンチが
周到に画策した「罠」であったというのが今回の
主旨ですが、セキュリティ対策というのか、
保険としての用意準備でもあったわけです。


 先に、

 『ダ・ヴィンチの罠 非常識』の中で
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/466.html

 2枚『岩窟の聖母』存在すること
をもって、巧妙に仕組まれたダ・ヴィンチ流の「罠」
のひとつかもしれないと記しましたが、

 まさに、

 そうであったというのが結論です


 果たして、何が想定内で、何が想定外
あったのかは推測を出ませんが、

 この記事は、

 アナタにとって想定の範囲内だったのでしょうか、
それとも想定の範囲外だったのか ・・・

 さて、さて

 何かと誤算つづきのオリンピックですが、次回では、

 ダ・ヴィンチが本当の意味での「確信犯」だった
ということについて言及してみたいと思います。


 「わしゃあ、初戦のナイジェリア戦で
 見事な守乱を演じたオリンピックの
 サッカーが大誤算じゃったわい」


     

 「誤算は酒乱のアンタですよ !!



 「そんなこと知(しゅ)らんってか」ase2

 「ダジャレは想定内ですが、
        4-5は想定外でした」


  

 そして、原爆の投下も ・・・

  今日は71年目の原爆の日ですase

 
 … to be continue !!




    想定外って、4点もとれたことですよ ・・・

コメント一覧

餃子ライス
日本はフェアプレーを重んじるわけで、それ自体を否定
するつもりはないが、負けたら終わりという短期戦では
反則を犯してでも止める覚悟がないと勝利は望めない。
それがなかなか日本人にはできないんだよね。
むらさき納言
なんだかこの岩窟が、原爆の跡のように見えてきました。
そんなわけがないことは分かっているのですが …
江戸川ドイル
なるほど、2枚の絵を同時進行で描いていたとは、
意外ですが、ダ・ヴィンチなら有り得るかも・・・
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