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透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 謀り事

 投獄され、首を刎ねられた洗礼者ヨハネではあったが、
その経緯に少なからざる疑念を抱いた人物がいました。 

 曰く、そこには陰湿な〝謀り事〟(謀計・謀略)が
めぐらされていたとのことですが ・・・ 

 観福音書(マルコ、マタイ、ルカ)」とは 一線
画す『ヨハネの福音書』には、投獄される以前
の意味深なる洗礼者ヨハネの言葉が載っています。


       出典:amazon.co.jp

 「その後、イエスは弟子たちとユダヤの地に行き、
 そこに一緒に滞在し、洗礼を授けておられた。
 他方ヨハネは、サリムの近くのアイノンで洗礼
 を授けていた。 そこは水が豊かであったから
 である。人々はやって来て、洗礼を受けていた
 ヨハネは、まだ投獄されていなかったのである
     (ヨハネの福音書 3:22-24)

 「ところが、ヨハネの弟子たちと一人のユダヤ人
 との間で、清めのことで論争が起こった。 
 そこで、彼らはヨハネのもとに来て言った。
 『先生、ヨルダン川の向こう側であなたと一緒に
 いた人、あなたが証しをされたあの人が、洗礼
 を授けており、みんながあの人の方へ行って
 います』」
      (ヨハネの福音書 3:25-26)  

 「ヨハネは答えて言った。『天から与えられな
 ければ、人は何ものも受けることができない。
 わたしは、「自分はメシアではない」と言い
 、「自分はあの方の前に遣わされた者だ」と
 言ったが、それを証ししてくれるのはあなた 
 たち自身である。 花嫁を迎えるのは花婿だ。
 花婿の介添え人は傍に立って耳を傾け、花婿
 の声が聞こえると大いに喜ぶ。  こうして、
 わたしは喜びで満たされている。  あの方は
 栄え、わたしは衰えねばならない』」
    (ヨハネの福音書 3:27-30) 
   

 まだ投獄される前に、洗礼者ヨハネの口から、

    
  『洗礼者ヨハネ』サンドロ・ボッティチェッリ

 「イエスは栄え、自分は衰える」とまで
言わせて謀殺の隠蔽だけでなく、イエスがメシアで 
あるとの印象付けに腐心しているというのです。

   
  『洗礼者ヨハネと子羊』 webchapel.jp

 そうなると、

 斬首への工作疑惑のみならず投獄の一件にも疑い
の目を差し向ける必要性が生まれると、考えるのは
自然のなりゆきです。

 ダ・ヴィンチは、洗礼者ヨハネがヘロデ王に投獄
されてからイエスの宣教活動が開始されたと考えて
いたわけですから、同じ時期にヨルダン川の両岸で 
それぞれが洗礼を施していたという記述には大きな
違和感を覚えたはずです。

 『ヨハネの福音書』が「共観福音書」とは異質の
ものであることは周知の事実ですが、イエスの宣教
活動が始まる時期がこれほど食い違うのですから、

 ひとりダ・ヴィンチだけが、見誤った前提をもと
に独自の推理を働かせていたわけではないのです。

 『ヨハネの福音書』は、いろいろな意味で、他の 
3つの福音書と違った印象をうけます。

 理由はさまざま考えられますが、ひとつには他の 
福音書には、書かれていない時期のイエスの活動に 
ついて記述されていることです。

 繰り返しになりますが、以下は、新共同訳からの
引用です。

 たとえば、

 『マルコの福音書』 1章14-15節にあるように、

 14 ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ
  
行き、神の福音を宣べ伝えて、
 15 「時は満ち、神の国は近づいた。 悔い改めて
 福音を信じなさい」と言われた。

 等々、3つの福音書では イエスが福音の宣教を 
開始したのは、洗礼者ヨハネが捕らえられた後で
あるとしているのに対して、

 『ヨハネの福音書』3章22節から24節には、

 22 その後イエスは弟子たちとユダヤ地方に行って
 、
そこに一緒に滞在し、洗礼を授けておられた。
 23 他方、ヨハネはサリムの近くのアイノンで洗礼
 を授けていた。  そこは水が豊かであったからで
 ある。人々は来て、洗礼を受けていた。
 24 ヨハネはまだ投獄されていなかったのである

 として、ヨハネが捕らえられ投獄される前から
イエスは活動していたと記録しているわけです。 


       フェイクニュース&プロパガンダ medical-tribune.co.jp

 こうした齟齬は、枚挙にいとまがないわけで、
ダ・ヴィンチが、いまひとつ『新約聖書』に信頼
を置いていない理由は、ここにあるのです。

 しかしながら、

 ダ・ヴィンチの考える〝謀り事〟はそういう
ことではありません。

 そもそもの発端は、稀代の大ペテン師 パウロ
思い描くシナリオに沿ったかたちで〝謀り事〟
展開されていくのですが、もう一人の人物の登場が
が思わぬ「渡りに船」となって、願ってもない舞台
の設定が出来上がってしまったのでした。

 このあたりにおけるペテン師 パウロの思い描く
シナリオについては、

ダ・ヴィンチの罠 パウロ(改) - 透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 パウロ(改) - 透明人間たちのひとりごと

「パウロ」、まさに、そんなブログの引っ越し作業の結果、100を超える記事の画像が表示できなくなり、非公開としました。記憶を呼び起こしつつ、漸次、復活・再生させるつも...

goo blog

 

 url『ダ・ヴィンチの罠 パウロ(改)』

 の記事を参考にしていただくとして、ここでは
その先、つまり洗礼者ヨハネを亡き者にしたいと
思っていたが、民衆の暴動を恐れて殺害すること
を躊躇(ためら)っていたヘロデ・アンティパス
に絶好の機会となる誕生祝いの宴の場という虚構
の舞台を設定した人物についての話をしましょう。

 結論から言えば、この舞台の設定に一役買って 
くれた人物こそが、のちに「裏切者」の烙印を
押され 蔑まれ続けることになるイスカリオテ
ユダだったのです。


     「え !!

 ユダは、大きな野望を胸に抱いていました。

 俗にいうところの優等生ではなかったユダは、
いわゆる秀才という枠内に分類されるタイプの
人間でしたが、父のシモンに対してはある意味
でのコンプレックスを抱いていました。

 それゆえ彼は、

 「野心家」にならざるを得なかったのです。

 自己評価の高い自惚れ屋にして自信家であり
、向上心に燃える努力家にして チャレンジ精神
にあふれる勢力家でもあったのですが、

 秀才ゆえに、無駄に目端が利き、肝心要の
洗礼者ヨハネに魅力を感じなかったのか、
彼を陥れる献策までしてしまうのです。 

 イスカリオテの「イス(Isch)」は、人(男性)
で 「カリオテ(Kariot)」は地域の名称ですの
でカリオテの人、ユダという意味になります。

 カリオテとは、『エレミヤ書』48章24節に
出てくる南部のケリヨト(Kerioth)だとされて
いて、イシュ・ケリヨト(ケリヨトの人=男性)が
イスカリオテの語源であり「都会人」という
含意をもっています。

  
    『エレミヤ書』 Wikipedia

 イスラエルの南部地方に位置する村であった
とされていますが、

 ユダの父親は、イスカリオテのシモンと
呼ばれていました(ヨハネの福音書 6:71)
ので、おそらくは代々にわたり、都会人と
しての生活があったものと推測されます。

 南部パレスチナの地に位置するカリオテは
イエスが活動拠点にしていたガリラヤからは
地理的に離れていたにもかかわらずイエスの
共同体にユダが加わった理由とは、一体全体
何だったのでしょうか?

 相応なる目的や然るべき諸事情があったと
考えるべきでしょうね!

 ユダは見紛うことなき実践的理論家であり
、並はずれた自信と教養の持ち主でもあって
、強い自負と誇りに満ち溢れ、エリート意識
については相当程度に高かったのではないか
とダ・ヴィンチは推測したのですが、

    
    出典:www.lets-bible.com

 それは、

 生来からローマ市民権を所持し、エルサレム
においてファリサイ派の高名なラビに師事して
いたパウロにも比肩しうるもので、パウロにも
負けず劣らずの傑出した彼の要素(資質)で
あったと思われます。

 ユダは、イエスの活躍を風のうわさで聞き、
数々の奇跡を起こしているというこの人こそ、
メシア(ユダヤの王)となり得る逸材であり、
イエスをしてユダヤをローマの「軛(くびき)」
から解放しようと考えたのかもしれません。

 

 もちろん、噂が本当のことであったならば、
ユダはイエスを信奉し帰依者となって自己の
心身のすべてを帰投してもよいとさえ思って
いたのです。

 

 それゆえに、結果として、

 洗礼者ヨハネは殺される運命を、ユダは
裏切り者の烙印を押され続ける宿命を引き
受けることになるわけです。

 さて、

 そんなユダが、ガリラヤに向かう途中で、
エルサレム(神殿)に寄った可能性は高く、
偶然にも街中のどこかでパウロと接触して
いたのかもしれません。

 ただし、もし仮に、

 たとえ、2人に何らかの接点があったと
しても「イエス・キリスト計画」の密約に 
ユダの関与はなかったというのが、

  

 レオナルド・ダ・ヴィンチの見解です。

 とは言え、

 洗礼者ヨハネの謀殺は、パウロの計画を
ブレイクダウンしたシナリオでありヨハネ
の死は必要条件だったのです。

 しかしながら、

 この斬首にパウロは直接的な関わりを
もっていません。

 彼のシナリオでは、捕縛・投獄の後に、
日を待たずしてヘロデ・アンティパスの
の命令によって処刑されるものと踏んで
いたので、手筈違い(刑の執行がなされ
ないまま)のパウロにとってユダの存在
はまさに「渡りに船」だったのです。

 さらに、ユダの介入にしても積極的な
働きかけとして行動したわけではなくて、
あくまで誘導目的のプロパガンダであり、
ヘロデ・アンティパスの政治的決断への
後押しとなる工作をしただけなのです。

 その手段や方法については、ここでは
明言できませんが、
     

 フェイクではないが100%真実でもない
噂話を撒き散らして洗礼者ヨハネを捕らえ
させた時のようなパウロ的手法(対象者に
不都合となる話を故意に流布したもの)と
は違うでしょう。 

 ダ・ヴィンチは密使となる人物に親書の
ような手紙(密書)などを託して、処刑後
の善後策を伝えたものと考えました。

 要するに、処刑後に危惧される民衆たち
による暴動を回避するための方策や方便、

 つまり、「そういうことならば已む無し」
と民衆が納得せざるを得ない言い訳などを
伝授することで、後顧の憂いを失くさせた
ものと推理したわけです。

 他にも、ローマに対する独立とユダヤの
解放をヘロデの名のもとに行ない、それを
イエスが全面的にサポートをする具体的な
奇策・妙案がしたためられていたのかも
しれませんが ・・・

         
          なるほどね  (^▽^;)(^^

 それでは洗礼者ヨハネの処刑について、
ヨセフスは如何に記しているかというと、

 Wikipediaによれば、

   こうである

 さて、

 ユダヤ人の中にはヘロデ(アンティパス)
の軍隊の壊滅は洗礼者と呼ばれたヨハネに
対して彼が行ったことへの神による罰であり
、まったく義にかなった事だと考える者たち
がいた。 というのも ヘロデは彼を殺害した
のである。 が、ヨハネは、正しい人であり、
ユダヤ人たちに互いに義なるを行い、また
神への敬虔を尽くせと命じ、その証に洗礼
を受けるように言っていたのである。

 (中略) 

 さて、人々が群れをなしてヨハネの許に
押し寄せ、彼の言葉に大きな感銘を受けて
いた。ヘロデは、ヨハネの民衆への大きな
影響力が、彼の権力に及び、叛乱へと繋が
ることを恐れた。彼は、ヨハネがもたらす
かもしれない一切の悪影響を防止し、一人
の人間の命を惜しんだが故に、ことが起き
てから手遅れだったと後悔する様な困難に
自らを陥らせぬためには、殺してしまうの
が最善だと考えた。

 そこで、ヘロデは、その猜疑心を払拭
すべく、囚人を、既に私が言及した城で
あるマカイロスに送り、そこでヨハネを
殺害した。 で、ユダヤ人の間に、彼の
軍隊の壊滅はヘロデへの罰であり、神が
彼を不快に感じている証だとの説が生じ
たのである。

 ―『ユダヤ古代誌』第18巻5章2節 ―

 途中を一部省略して節の初めと末尾を
引用しました。

 すなわち、


     ジョヴァンニ・ファットーリ画

 ヨセフスによれば、洗礼者ヨハネの処刑は
あくまでヘロデ・アンティパスによる政治的
判断であり、ヘロディアや娘サロメは処刑に
かかわっていないことになります。

 また、

 ヨハネの処刑はマケラス要塞で行なわれて
おり、この点もマルコが利用した伝承の内容
(福音書の記述)とは異なっています。

 なお、「サロメ」の名前は、このあとの
5章4節に ヘロデ大王に関連する人物の関係
が記述されていて、そこにヘロディアの娘
であり、母の再婚によって伯叔父にあたる
ヘロデ・アンティパスの子供となった継娘
サロメのことが記されています。

 結局のところ、

 イエスの信奉者となっていたユダの工作
が功を奏した事柄が、『ユダヤ古代誌』
の中で語られているものと推理・考察した
ダ・ヴィンチは次のように考えたのです。

 ヘロデにすれば、たったひとつのしるし
さえ証しできない洗礼者ヨハネよりも
数々の奇蹟を見せることによって、


   イエスの奇跡(水の上を歩く)exblog.jp

 人々を熱狂させるイエスの方が余程危険
な存在であって、むしろ民衆を煽動して暴動
や叛乱などを起こすとすれば、


   イエスの奇跡(五千人に食べ物を与える)

 その影響力とリスクのほどはイエスの方が
ずっと大きいはずであるにもかかわらず、


      出典:www.bible-jp.org

 「ヘロデは以前からイエスに会いたいと
 思っていたので大変に喜んだ」

 とイエスの裁判時におけるヘロデの心境
『福音書』では伝えていますし、

 『ルカの福音書』では、

 
   『ルカの福音書』 Wikipedia

 「(イエスに)会ってみようと思っていた」
     (ルカの福音書 9:9)

 とさえ、綴られているのです。

 このようにヘロデ・アンティパスがイエスに
会いたがっていても捕らえて牢につなぐという
選択をしなかったのは、


      出典:windychaple.com

 そのため(ローマに対しては反旗を翻しても
その矛先はヘロデ王には向けないというイエス
の名を借りて書き送っていた親書)によるもの
で、このことはユダの働きが大きかったことを
あらわしていますが、

 結果的にパウロのシナリオを補強して障害
を復旧し、修復(ナイス・リカバリー)をして
しまったことで、

 彼のシナリオに欠かせない「キーパーソン」
(裏切り者の役者)として、格好のターゲット
にされてしまうのです。

 北部辺縁の地であるガリラヤの田舎者たち
の集まりであったイエスの弟子たちのなかで、
エルサレムにほど近いカリオテ出身のユダは 
都会的センスに溢れ、博学で学識に恵まれた
特異なる存在であったがゆえに、

 パウロにとって似た者同士のユダは好敵手
(ライバル)というより不俱戴天の仇となる
存在であり、将来のイエス共同体で呉越同舟
などは見込めないものと判断したパウロが、

    
       パウロの肖像

 早々にも仇敵となり得るライバルの芽を
摘んだというのが、

 ダ・ヴィンチが見立てた真相であって、

 洗礼者ヨハネの処刑(斬首)はあくまで、
ヘロデ・アンティパスの政治的判断であり、
ヘロディアやその娘サロメは処刑には一切
かかわっていないというのが、

 ダ・ヴィンチの導き出した結論なのです。

 では、なぜ、ヘロディアの娘が宴席で舞を
披露しての褒美にヨハネの首を望んだという
ような話がマルコやマタイの福音書に記され
ているのでしょうか?

 もちろん、その裏側には、練りに練られた
パウロの深謀遠慮があったのですが、 

   
      パウロの肖像

 その件ついては、また、後々での話として、

 次回では、積み残したままのダ・ヴィンチの
「遺言状」での「罠」についての
解説のまとめから、始めたいと考えています。

     ま、まさか、お前さん!
 
 「妊娠しておらんじゃろな」
   
 
 「きゃ、やだぁ、わたし妊娠するのね!」
 
     そ、そっち なの?
 
 ・・・ って、おいおい、
 
 (なんじゃそれ)  (ネタ違いかいな)
 
 いいえ、ネタ違いでも、タネ違いでもなく、
畑違いだったんですよ!
 
 そもそもの始まりが ・・・
 

           画像元: domani.shogakukan.co.jp
 
          なんでやねん!
 

   あーァ、ヨハネとイエスの関係を、

   
  バラしてやんの!        う~む  (^▽^;)(^^ゞ 

 
 このあたりのオチの意味が不明の方は、
 
 url『ダ・ヴィンチの罠 姦通罪』
 url『ダ・ヴィンチの罠 不文律(改)』
  
 を参考にしてみてください。

 
 『幼児キリストと洗礼者ヨハネ』(貝殻の子供たち)ムリーニョ画

 
 『幼児キリストと洗礼者ヨハネ』(貝殻の子供たち)部分 ムリーニョ画

  … to be continued !!

      

 symbol2 ダ・ヴィンチによる推理は続きます。


 

         『洗礼者ヨハネの斬首』 カラヴァッジョ(1608年)

コメント一覧

小吉
キリストって凄い人なんだろうけど、「水の上を歩くキリスト」の姿を見て「だからなんなの?」と思ってしまった。

それはまるで空中浮遊する麻原彰晃を彷彿とさせたからだ。

5千人に食べ物を「与える」ことよりも、人類に「農耕」を教えることのほうが大事だろうみたいなことも思いました。

ところでキリストさんは一体何をやったんだろう。

マジックかな。
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