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透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 交代劇

 ダ・ヴィンチの推理では、イエスの父は洗礼者ヨハネ
と同じ祭司ザカリヤであり、ザカリヤはユダ族とレビ族 
の両方の血統を受け継いでいて、ヨハネとイエスの関係
は異母兄弟の間柄であることからも、

 この腹違いの兄弟は どちらも救世主(メシア)の条件
を満たしたダビデ王の子孫であるということになります。

 したがって、

 ユダヤの「王」にして、「大祭司」を兼ねる
人物は、ダビデの子孫とアロンの子孫であるイエスでも
あり、且つまた、洗礼者のヨハネでもあったというのが
レオナルド・ダ・ヴィンチが導き出した結論でした。

 
 『幼児キリストと洗礼者ヨハネ』(貝殻の子供たち)ムリーニョ画

 要するに、

 
 『幼児キリストと洗礼者ヨハネ』(貝殻の子供たち)部分 ムリーニョ画

 ダ・ヴィンチの考察によれば、真の救世主(メシア)は
洗礼者ヨハネであって、イエスは彼の弟子にして後継者の
ひとりであり、ともにローマ帝国に立ち向かう革命の同志
であった人物でしたが、パウロらの描く謀略のシナリオに
踊らされてユダとは異なる意味での「うらぎり」と欺瞞の 
パフォーマンスをゴルゴダの丘で演じてしまったのです。


      出典:blog.goo.ne.jp

  「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」

  (わが神、わが神、なぜわたしを
      お見捨てになったのですか)


      出典:blog.goo.ne.jp


         磔刑(十字架刑)objapan.org


  『コルゴファの夕べ』(イエスの埋葬準備の光景)ヴァシーリー・ヴェレシチャーギン1869年

 この件についての詳細は、

 url『ダ・ヴィンチの罠 逆転劇(改)』
 url『ダ・ヴィンチの罠 汚れ役(改)』
 url『ダ・ヴィンチの罠 パウロ(改)』

 などを参考にしてみてください。

 ここで『旧約聖書』に登場するメルキゼデクに関する 
ダ・ヴィンチの見解の幾つかを探ってみたいと考えます。

  

 メルキゼデクは、洗礼者ヨハネやイエスがこの世界に
登場する2000年程前のアブラハムの時代の人物であり、
キリスト(メシア)を表していると解釈されています。

『旧約聖書』には、創世記14章18-20節と詩篇110篇4節
の僅か2箇所にしか記録のない人物であり、アブラハム
の時代に「サレムの王」と記載されているだけで、彼が
どんな経路をたどって祭司になったのか? 「サレム」が
どこを指すのか?についての正確な記録はありません。 

 『旧約聖書』では、レビ族の「アロンの系統」のほか
に「メルキゼデクの系統」についての言及があって、

 『新約聖書』では、イエスのことを「メルキゼデクと
同じような大祭司(メルキゼデクの系統に従う大祭司)」
であると表現しているわけですが、

 ダ・ヴィンチの結論から言えば、それは洗礼者ヨハネ
にも当てはまる事柄でもあるとしています。

 イエスをレビ族であるアロンの系統によらない新しい
メルキゼデクの系統に沿った大祭司、言わば、神により
宣誓された「神の大祭司」であるとするならば、それは
洗礼者ヨハネについても同じことが言えるのです。


           イメージ(神の大祭司)ameblo.jp

 それをもって、(ナザレのイエスを対象にして)

 メルキゼデクが受肉する前のキリストの現れだという
人たちがいます。

 たとえば、

 アブラムがケダラオメルとその連合の王たちを撃ち破 
って帰ってきた時、ソドムの王はシャベの谷、すなわち 
王の谷に出て彼を迎えた。 (創世記14章17節)

 いと高き神の祭司であったサレムの王メルキゼデクも
パンとぶどう酒を持って来た。彼はアブラムを祝福して
言った。「天地の造り主、いと高き神にアブラムは祝福
されますように。敵をあなたの手に渡された、いと高き
神がたたえられますように。」アブラムはすべての物の
十分の一を彼に贈った。 (創世記14章18-20節)

 神から「アブラハムと名乗るように」と、告げられる 
以前に、アブラハムがこの様な訪問を受けた事を見ると、
唐突に現れたメルキゼデクにある可能性が見つかります。

 創世記17章でアブラハムが人間の姿のエルシャダイと
と話した出来事を考えてみてください。

 いわゆる「アブラハム契約」に至る経緯ですが、


     イメージ(アブラハム契約) note.com(Photo by futen_seisuke)

 先における聖句はメルキゼデクとキリスト(イエス)が
同一人物であることを〝パンとぶどう酒〟という小道具
を介してつながっていることを印象付けているのです。

 つまり、こういうことです。

「イエスは私たちの先駆けとしてそこに入り、永遠に
  メルキゼデクの位に等しい大祭司となられました」
     (ヘブル人への手紙 6章20節)

 この位という言葉は普通受け継がれてきた祭司職の事
を指しますが、メルキゼデクとイエスのほかには対象と
なる人物を誰も挙げてはいません。

 この不自然さを解消するには、メルキゼデクとイエス
が同一人物だったと考えるのならば解決します。

 そのための伏線が、『共観福音書』に書かれている

 「最後の晩餐」において、イエスが賛美の祈りの後に、
〝パンとぶどう酒〟をそれぞれ「自分の体」「自分の血」
として弟子たちに与え、『ルカの福音書』では、さらに
「これをわたしの記念として行え」と命じている記述の
中に伏せられています。

    ふむ      ふむ      ふむ

 

      画像元  www.pinterest.jp

 したがって、 

 この位はキリスト(イエス)だけに与えられたもので
あるとする根拠としてこじつけられているわけですが、

 はたして、

「父もなく、母もなく、系図もなく、その生涯の初めも
 なく、いのちの終わりもなく、神の子に似た者とされ、
 いつまでも祭司としてとどまっているのです」
     (ヘブル人への手紙 7章 3節)

 パウロ書簡の一つともされる『ヘブル人への手紙』を
著した者は、実際に起こった事を書いたのでしょうか?

 それとも、単に、

 比喩的な事として書き記しただけなのでしょうか!?

 実際の出来事を書いたのであれば、イエス・キリスト
以外に当てはまる人物はいない事になります。

 この世の王で「永遠に祭司の職にある」人間はいない
からです。そして「父母のいない」人間もいません。

 もしも、

 『創世記』14章の出来事がイエスの顕現(けんげん)を
指しているのならば、三位一体における子なるところの
神が、アブラハムに祝福を与え (創世記14章17-19節)、
義の王として (黙示録19章11節、16節)、平和の王と 
して(イザヤ書 9章 6節)、また神と人との仲介者として
(第一テモテ 2章5節)の現れであったと言えるのかも 
しれません。

 しかしながら、

 メルキゼデクに関する内容が比喩としての記述である
ならば、アブラハムを訪問した人物に関する謎はさらに
深まることになります。

 そこに目を付けたのが、ダ・ヴィンチが大ペテン師と 
名指しして憚らない使徒パウロだったのです。

     
        パウロの肖像  

 彼は、事実か比喩かのどちらであっても、少なくとも
メルキゼデクは救世主(メシア)の型であって主の働き
を事前に示していると考えて、アブラハムが戦いの後に、
イエス自身(メルキゼデク)に出会い、名誉を示された 
という印象操作に懸命となったわけです。

 このメルキゼデクとイエスとは同一人物であるとする
説を証明するためにパウロは多くの紙面を割きます。

     
       画像元:eiga.com    

 メルキゼデクについては、義の王であり、平和の王で
あり、神の子に似た者であり、永遠に祭司としておられ、
また、イスラエルの各部族から十分の一を受けたレビ族 
と彼らの祖先であるレビさえも、その先祖アブラハムを
通してメルキゼデクに十分の一に当たる奉献を納めたと
いうことや、地上の聖所の祭司たちは誓いによらないで
祭司になったが、メルキゼデクの系統に従って歩まれた 
イエスは神の誓いによって祭司となられたということを
詳細に記録しています。(ヘブル人への手紙7章 1-28節)

 果たして、

 『旧約聖書』が、これらの細部の情報に関して黙して
いるのは、メルキゼデクと真の救世主(メシア)である
洗礼者ヨハネとのつながりを示すための深謀遠慮として 
意図したことなのでしょうか?

 それとも、

 パウロの軍門に降るべく、イエスのために案内された
道にたたずむだけのことになるのでしょうか?

 いずれにしても、この神秘の人物であるメルキゼデクは
アブラハムが甥のロトを救うための戦いに勝って、戻って
来る時に、〝パンとぶどう酒〟を持ってアブラハムを祝福
するのですが、

 このメルキゼデクを『創世記』では「いと高き神の祭司」
と伝えるだけで、それ以上でもそれ以下でもないのです。

  やはり、そこには、 

 ダ・ヴィンチが指摘するような歴史の表舞台には決して
あらわれないペテン師パウロの謀略シナリオによる強権的
とも言えるような「交代劇」があったのでしょうか?

 然は然りながら、

 ダ・ヴィンチの嗅覚は微妙な臭気の違いを嗅ぎ分けます。

 レビ族の祭司たちは、民の罪の赦しのために神に祭祀を
奉げる時、羊や山羊などの動物を献げ物にしました。 

 パウロの働き(謀略)によって、洗礼者ヨハネではない
イエスが救世主(メシア)として新しい契約を立てるまで、
1500年以上の長い年月の間、レビの子孫であるアロンの時
からレビ族たちは地上の聖所でアロンの系統として、祭司
の命脈を受け継いできたのです。
 
 『旧約聖書』において、王であり、かつ祭司であったと
いう人物はメルキゼデク以外にはいませんが、天の計画の
とおりに洗礼者ヨハネがキリストになっていたなら、彼も 
また「王」であり、「大祭司」となっていたでしょう。

 そして、誰に倣うまでもなく、生け贄の燔祭は廃止され、
アロンの系統による祭司とメルキゼデクの系統の祭司との
統合(合体合一)がなされていたことでしょう。 

 こうした祭司職の統合によって、この世界の成り立ちも 
歴史も現在の世の中の状況も、おそらくはまったく違った
ものになっていたと思われるのですが、


         イスラム国(ISIS)www.huffingtonpost.jp

 ダ・ヴィンチによれば、唐突なるメルキゼデクの登場は
「罠」目的とクロス・オーバーするようです。
 
 ダ・ヴィンチが仕組んだ「罠」の大いなる目的は、

  1⃣ 人類はによって、創造されたのでは
   なく、異星種との交配により、作られたこと。 

  2⃣ 預言されていた救世主(メシア)はイエスでは
   なく、洗礼者ヨハネであったこと。

  3⃣ キリスト教(ローマ・カトリック教会)が世界
   を腐敗させる元凶であるとの告発をすること。

  など、全部で3つ の訴え事が隠されていました。

 そして、 

 いまさらながらに思うことは、すべての元凶は目的の
3つ目を誘発させたペテン師パウロの発案による洗礼者
ヨハネ・キリストとイエスの入れ替え事件にあって、

 つまるところ、

 その発端は、2人の「交代劇」にあったのです。 
   
       マジか!       www.pinterest.jp  

   
 さて、

 現代に目を移せば、パレスチナのガザ地区やエジプト
との国境の街ラファへの攻撃の手を緩めないイスラエル
の怨讐は、昨年10月 7日の早朝に仕掛けられたハマスに
よるイスラエルへの奇襲攻撃に一義的な原因(因果)が
求められます。

 この執拗なる報復に対して、当初は非常に非人道的な
テロ行為ということもあって、欧米各国はイスラエルに
「揺るぎのない結束した支持」を表明していました。

 しかし、

 一部の人々は、ハマスがそのような暴挙に至った背景
に注目して、イスラエルにも一定の自制を要求します。

 すなわち、

      画像元 fm-venus.muragon.com

 イスラエルが国際法に違反してパレスチナ人の居住地
に強引な入植活動をしてきたことへの非難と自制です。

 なぜ、イスラエルは、非常に大きな軋轢を生むことを
承知の上で、パレスチナの地(ヨルダン川西岸地区等)に
住んでいた人々を追い出してまで入植活動を続けてきた
のでしょうか!?

 この問題を紐解くためには、時代を太古の大昔にまで
遡らなければなりません。

 時代背景について考えてみると、

 英国統治下やオスマントルコ時代など、その時代ごと
によって見方はまったく変わってきます。

 その歴史の根源となるのが、遥か昔の『旧約聖書』に
登場する「アブラハム」という人物です。

 昨今での例を挙げれば、前トランプ米大統領の仲介に
よる「アブラハム合意」という文書がありますが、この
名前の基本的な意味は、いろいろと対立もあったけれど
アブラハムの時代まで遡れば、アラブ諸国もイスラエル
も同じ家族だったというところからきています。

   イスラエル12支族(士族・氏族) w.atwiki.jp

 アラブ諸国の祖イシュマエルはアブラハムの子であり、
イスラエルの祖であるイサクもアブラハムの子どもです。

 つまり、2つの民族は同じ父親から出ているのです。

 そして2人が生まれる前に、神はアブラハムに対して
約束を与えられました。

 これは後に、

 「アブラハム契約」と呼ばれることになります。

 それは「地上のすべての民族は、あなた(アブラハム)
によって祝福される」というものです。

 イサク(イスラエル)とイシュマエル(アラブ)兄弟
の勝ち負けの問題ではなく、すべての民族が祝福される
のが、神の願いであり、約束だったはずなのです。

 それは、

 洗礼者ヨハネとイエスの兄弟についても言えること
ですが、どちらも弟の方に軍配が上がった状態にある
のは「天の配剤」「神の思し召し」
結果なのでしょうか!?


       むむう ・・・

 それにしても、

「 天の配剤」とは、一体どうなっとるんじゃ?
    
  「どうにも解せない世の中よね!」

     
   YHWH(ヤハウェ) Wikipedia

 ひょっとして、YMCAの所為かも知れんな!?

    「ええ!!」   
 
   アッ、いや、YMCAじゃなくって、  
  
  ヤハウェ(YHWH)じゃよ! ヤハウェ!


   YHWH(ヤハウェ) www.christianity.com

 この文字はイスラエルの民にとっては禁忌で口にする
ことのできない衝撃的なことばですが、『旧約聖書』の
なかに、この4文字はしっかりと記されているのです。

   
     ザカリヤとエリサベツとヨハネ
     出典:39bible.blog.fc2.com

 さて、次回では、

 ダ・ヴィンチが、残した「交代劇」の虚構を
暴くべく、「遺言状」にしたためた「4つの教会」
の意図についての考察などを予定していますが、

 今回、解説できなかったメルキゼデクの神秘なる
真実についての公開が行なわれるかもしれません。 

 
     新たな契約の丸い虹 wakuwakushincha.jp
 
   … to be continued !!

     symbol2 ダ・ヴィンチによる推理はまだまだ続きます。

コメント一覧

小吉
そういえばヨハネとキリストが入れ替わっていた絵ってあったなあ。
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