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透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 眉唾物(改)

 「眉唾物」、まさに、そんなブログの引っ越し作業の結果、

100を超える記事の画像が表示できなくなり、非公開としました。

記憶を呼び起こしつつ、漸次、復活・再生させるつもりですが、

正直、皆目見当のつかない画像も多々あります。

 

ダ・ヴィンチの罠 眉唾物 - 透明人間たちのひとりごと

このページの画像は、故あって表示されませんが、連続性を担保する意味合いからも、そのままで公開し、別途、新しく作り直すことにしました。同じ内容ですが、画像はその限...

goo blog

 

 url『ダ・ヴィンチの罠 眉唾物』

 上記のように、連続性を維持することは、このシリーズの

重要なファクターですので、時間がかかっても復活・再生を

果たさなければならないのですが、漸くこれで53作目です。

 さてと、それでは、ここからが、

『ダ・ヴィンチの罠 眉唾物(改)』

 の記事になります。

 (以下、本文)

 

 イエス伝承には「謎」として残る
大きな空白期間が2つあります。

 まずは、預言されていたメシア(救世主)
の誕生があったとして、イエスが生まれた
当時のユダヤの王、ヘロデ大王から命を
狙われますが、その難を逃れるために養父
ヨセフマリアとともにエジプトに逃避
していたとされている 0~12歳ぐらいまでの
消息はまったくの不明で、


   『エジプトへの逃避行』カルロ・マラッタ

 これが第1「謎」空白期間です。

 12歳の頃に、イスラエルに戻ったイエスは
、神殿でユダヤ教のラビ(律法学者)たちを
相手に議論を戦わせ、一歩も引くことなく
老成したラビたちと渡り合ったそうですが、

 彼らが舌を巻くほどの知識をすでに得て
いたイエスは、何故か、その後 ぷっつりと
姿を消してしまいます。

 これが第2「謎」空白期間です。

 そして、

 再び人々の前に現れるのが30歳になった
頃で、それが洗礼者ヨハネから洗礼
受ける有名なシーンであり、


  イエスの洗礼 出典:blogs.yahoo.co.jp

 かくして、


  『キリストの洗礼』  ヴェロッキオ工房作

 イエスの公生涯がいよいよ始まるというわけ
なのですが ・・・

 この洗礼を授かるという行為そのものが
『ヨハネ・キリスト説』の裏付けとなる
根拠のひとつになりえるものとダ・ヴィンチは
考えていたようなのです。

 その解説に入る前に、

 第1の空白期間の要因であるヘロデ王
よる「幼児虐殺」事件は、実際に起きた
出来事なのだろうかという疑問があります。

 「幼児虐殺」とは『マタイの福音書』
2章16節~18節にあらわれるエピソードで、

  
『幼児虐殺』ピーテル・パウル・ルーベンス(1638年)

 Wikipediaでの概要によると、

  

 占星術博士の星に関するエピソードの中
で、博士たちはユダヤ人の王を訪ねてきた。
    (マタイの福音書2:1)

 
 

 ユダヤ人の王であったヘロデは、自分を
脅かしうる者が誰なのか、を調べるために
策略を練り、帰りに立ち寄り知らせるよう、
博士たちに頼んだ。 博士たちが他の道を
通って帰ったことを知ると、

 「大いに怒った。そして、人を送り、学者
たちに確かめておいた時期にもとづいて、
ベツレヘムとその周辺一帯にいた
二歳以下の男子を一人残らず殺させた」
    (マタイの福音書2:16)


      『幼児虐殺』ピーテル・パウル・ルーベンス(1611-1612年)musey.net

 ということなのですが ・・・

 この話からして眉唾物ではないかと
ダ・ヴィンチは疑っていたようです

 それと言うのも、

 この話は『マタイの福音書』だけにしか
ない出来事で、他の『福音書』には記載の
ないエピソードであることと、

 ベツレヘムからも、そんなに遠くはない
ユダヤの山里(エン・カレム)に生まれた
洗礼者ヨハネ(当時、生後6か月程)には、
まったく無縁の出来事であったという矛盾
が指摘できるからです。

 仮に、

 エン・カレム(現、エルサレム地区の
の西郊外に位置する村)が、ベツレヘム
の周辺一帯に含まれなかったとしても、

 御使いの言葉(洗礼者ヨハネの誕生)
を信じなかったために、喋れなくなって
いたザカリヤの口が開けてからの

ザカリヤと天使ガブリエル | Jesus is my savior 
  『その名はヨハネ』 出典:ameblo.jp    

 『ルカの福音書』に記述されている
「神」による救いと預言されていた
洗礼者ヨハネの誕生を賛美する ザカリヤ
の賛歌 ・・・

 
  『ベネディクトゥス』Wikipedia

 「ベネディクトゥス」に謳われている
とおりのことがあったとすれば、

 以下の如く、

 「すると、立ちどころにザカリヤの口が
  開けて、舌がゆるみ、語り出して 神
  をほめたたえた」 (ルカ 1:64)

 「近所の人々は、みな、恐れをいだき、
  また、ユダヤの山里の至るところに、
  これらの事がことのごとくに語り伝え
  られたので」   (ルカ 1:65)

 「聞く者たちは皆、それを心に留めて、
 『この子は いったい、どんな者になる
  だろう』と語り合った。 主の御手が
  彼と共にあった」 (ルカ 1:66)


         『洗礼者聖ヨハネの誕生』ティントレット画

 「父ザカリヤは聖霊に満たされ、預言
  して言った」   (ルカ 1:67)

 「主なるイスラエルの神は、ほむべき
  かな。 神はその民を顧みて、これ
  をあがない」   (ルカ 1:68)

 「わたしたちのために、救い
  僕ダビデの家にお立てになった」
    (ルカ 1:69)

 「古くから、聖なる預言者たちの口に
 よってお語りになったように」
    (ルカ 1:70)


『ルカの福音書』ヨハネの誕生 www.youtube.com

 「わたしたちを敵から、また、すべて
  わたしたちを憎む者の手から救い
  出すためである」 (ルカ 1:71)

 「こうして、神は、わたしたちの父祖
  たちに、あわれみをかけ、その聖
  なる契約」    (ルカ 1:72)

 「すなわち、父祖アブラハムに対し
  お立てなった誓いをおぼえて」
    (ルカ 1:73)

 「わたしたちを敵の手から救い出し」
    (ルカ 1:74)

 「生きている限り、清く正しく、御前に
  恐れなく仕えさせてくださるのです」
    (ルカ 1:75)

 そうした救い主先導する男の子
(洗礼者ヨハネ)の存在が、ヘロデ王の
耳に届いていないというわけはなく、


          『洗礼者聖ヨハネの誕生』 exblog.jp

 当然、殺害すべき対象の男児の中に
彼も入っていなければ、おかしいものと
ダ・ヴィンチはそう思っていたのです。

 要するに、

 この出来事マタイ創作による
「捏造話」であって、



 『福音書』の類は、『旧約聖書』の預言
の成就をイエスの生涯と結びつけて神格化
しようとする粉飾だらけの「貴種流離譚」
(きしゅりゅうりたん)の一種であると
看破したダ・ヴィンチは、

  
 ミラノ・スカラ広場のダ・ヴィンチ像 

 「謎」の空白期間を埋めるべく推理
のプロットを組み立て始めるわけです。

 『福音書』の幾つかが作り話ならば、

 q1 イエスの本当の父は誰なのか

 

 a ダ・ヴィンチは祭司ザカリヤである
 と結論付けました。

 その詳細については、

 url『ダ・ヴィンチの罠 不文律(改)』
 url『ダ・ヴィンチの罠 姦通罪』

 などを参照してください。

 q2 30歳まで何をしていたのか

 question 洗礼者ヨハネイエスの間柄を
 腹違いの兄弟としたうえで、

 
 『幼児キリストと洗礼者聖ヨハネ』ムリーニョ画

 これから考察を開始したいと思います。

 さて

 有名な『死海文書』を残したのは
ユダヤ教の一派であるエッセネ派であると
されていますが、出土した洞窟のある地名
から、彼らの共同体は「クムラン宗団」
と呼ばれています。


          『死海文書』(死海写本)www.excite.co.jp

 この宗団は、『死海写本』が発見された
クムラン洞窟がある死海北端の西岸にある
遺跡 「キルベト・クムラン」に生活の基盤
を敷き、厳格な戒律と規則に従い共同生活
を送っていたということですが、

 その実態は、古代ユダヤ教エッセネ派の
中核組織であったと考えられています。

 一般に流布する事柄に、イエスに洗礼を
施した洗礼者ヨハネがエッセネ派に属して
いて、その思想的な背景はイエスにも共有
されていたと言われていますが、


     画像元:plaza.rakuten.co.jp
 
 エッセネ派のルーツは、紀元前1370年頃
のエジプトまで遡るようで、当時、一人の長
のもとに いくつかの職能的一団が集まって
きて大きな秘密結社を作っていたのですが
エッセネ派はその職能集団のひとつであり、
医者や治療師などで構成されていました。

 やがて、勢力を拡大したエッセネ派は、
エジプト周辺からパレスチナの地に移動し
そこに移り住むのですが、その生活ぶりは
非常に禁欲的で、独身主義と菜食主義
を貫いていました。

 宗団への入会に制限はなく、誰でも自由
であり、人種による条件や差別もなかった
ので、各地から虐げられた人たちが集まり
宗団信者は減ることがありませんでした。

 余談ですが、

 何と驚くべきことに、

 エッセネ派内には厳しい修行や瞑想など
を介して、超人的なパワーと未来を見通す
予知能力を身につけた者もいたと言われ、

 そんなエッセネ派の中のエリート集団が、

 すなわち、

 ある種の超能力をそれぞれに有する
一団がクムラン宗団だとも言われます。
     
     
     (ホンマかいな)

 『死海文書』はクムラン宗団が記した
とされていますが、文書が書かれた年代
と洗礼者ヨハネやイエスたちが活躍して
いた時代には、大きな差異が見られない
ばかりか、部分的には重なる時期のもの
もあるとさえ言われています。

 世界最古の聖書文書『死海文書』は、


      『死海文書』 (死海写本)

 BC3世紀(紀元前250年頃)~AD1世紀
(紀元70年頃)の間に書かれたものと推定
されていますが、

 一部の書物の写本は洗礼者ヨハネ
イエスたちが使っていたとされるアラム語
で書かれていることにも信憑性の一端を
感じないわけにはまいりません。

死海文書 - Wikiwand 
 発見時の巻物の様子の再現(www.wikiwand.com)

 また、

 クムラン宗団には以下のような決まりが
あるのですが、冒頭の二つの空白期間を
埋めるのに絶妙の規則となっています。

  12歳までは宗団の規則に従い暮らす。
  21歳までは見習いとして修業を積み、
  入会資格を得たのちに試験を受けて
  30歳までに一人前の宗団員になる。

 つまり、


 『幼子イエスと洗礼者聖ヨハネ』(貝殻の子供たち)ムリーニョ画

 洗礼者ヨハネイエスは、幼少期
より、すでにクムラン宗団に所属していて、


     『幼子イエスと洗礼者聖ヨハネ』(貝殻の子供たち)部分

 12歳まで宗団の規律に則った生活をし、
21歳まで修業を積み重ねた兄のヨハネ
が、飛び級で一足先に独立をして、荒野
で教えを広め始めた後に、遅れて30歳を
前に一人前となった弟のイエスが兄弟
とは知らないまま、兄であるヨハネから
洗礼を授かったというのが、


イエスと洗礼者ヨハネ(ヴォイチェフ・ゲルソン画)
     出典:www.diwanmsr.com

 真実に近い出来事であったと ・・・

 そんなふうに、ダ・ヴィンチは、独自の
推理を展開させてみたわけです。

 もちろん、そこには、

 祭司ザカリヤの意思が働いていたわけ
ですが、エリザベツもマリアも、彼らが
腹違いの兄弟であるという事実を二人に
は知らせていませんでした。


     『洗礼者ヨハネの斬首』カラヴァッジョ(1608年)

 結局、それが彼ら二人の運命を大きく
分ける元凶であって、兄のヨハネは無残
に斬首され、弟のイエスは磔刑という


       『キリストの磔刑』 ルーベンス

 かたちで、 

 その悲劇が現実のものとなるのです。

 洗礼者ヨハネが、ガリラヤの領主であった
ヘロデ・アンティパスの手中に嵌まり、斬首
されることになったのは、

  
     『洗礼者ヨハネの斬首』部分 カラヴァッジョ

 AD28~29年頃のことと思われますが、


     『洗礼者ヨハネの斬首』部分 カラヴァッジョ

 次回においては、ダ・ヴィンチの考える
洗礼者ヨハネの斬首までの経緯(いきさつ)
と顛末(てんまつ)を ・・・


『洗礼者ヨハネの首を受け取るサロメ』ベルナルディーノ・ルイーニ

 『ダ・ヴィンチの罠』のシリーズでは、
たびたび閲覧注意となる画像を提供する
ファム・ファタル(運命的魔性の女)なる

 サロメ嬢の出番をして、

泰西名画模写画とオリジナル絵画、コレクションの作品紹介 ...
   『サロメ』 ベルナルディーノ・ルイーニ

 華々しい舞台への登場と真実の暴露を
彼女に乞い願う所存でいるのですが

   

 果たして、どうなるものやら ・・・

    ルーブル美術館 隠れた名品66 ベルナルディーノ・ルイーニ B ...
       『サロメ』部分  

 つまるところ、     

 イエスはキリスト(救世主・メシア)で
はなく、洗礼者ヨハネの異母弟なのです。

 祭司ザカリヤの目論見では、

 真の救世主は 、アロンのメシアであった
洗礼者ヨハネであり、彼の後継者としての
イエスがイスラエルのメシアとなる予定で
あった計画が、

    
   『サロメ』フランツ・フォン・シュトゥック画

 結果的にサロメ一言(おねだり)に
よって頓挫したのは、

 まさしく、

 「天の配剤」だったのか❓

 はたまた、

 「神の摂理」であったのか❓

 『ルカの福音書』では、ダビデ王の
の再来としての出現が告知されていて、

 『マタイの福音書』では、ダビデの
再来ではなく、罪から人々を救う者とされる
救世主(メシア)とは 一体・・・

   

 ことほど左様に、

 ルカマタイでは、「救世主」として
のイエスの使命や性格が、まったく別のもの
であって整合性に疑問が生じます。

 それだけでなく、

 url『ダ・ヴィンチの罠 洗礼者(改)』

 でも書いたように、

 『マタイの福音書』及び聖伝では、
ヨセフはダビデ家42代の末裔で、父親は
ヤコブという人物とあります。

 ヤコブは、マリアの夫ヨセフの父という
ことで、ダビデ・ソロモン系ですが、

 『ルカの福音書』に見られる家系図
では、ヨセフの父はエリ(ヘリ)という名
になっています。

 エリは、ダビデ・ナタン系ですよね?

 このように、

 ヨセフの系統(祖先の記述)においても
マタイルカとで食い違いがあるのも
どうなのでしょう



 こうした齟齬だけでなく、ダ・ヴィンチが
『福音書』の内容に疑問を持つのは、

 「およそ女から生まれた者の
   うち、洗礼者ヨハネより
     偉大な者は現れなかった」

 とイエスは言っていますが、イエス自身が
女から生まれた者である以上、

 「私のほかに」とか、「私を除いて」とか、
の断りがない以上、洗礼者ヨハネの方が自分
よりも偉大であると言明していることになり
ます。

 さらにQ資料によれば、


       『Q資料』 okaemonblog.jugem.jp

 イエス洗礼者ヨハネについて

 「すべての預言者と律法が預言した
 のは、(救世主)ヨハネのことである」

 としています。

 ヘブライ語版の『マタイの福音書』
では、洗礼者ヨハネは「世を救うため
に遣わされた」との記述であるのに、

 ギリシャ語版では「すべてを元どおりに
するために遣わされた」と訳されていて、

 故意に「先駆者」としてのヨハネ
イメージさせる文言に変更された、



 つまり、

 編纂者による改竄があったと疑われて
も仕方のない意訳となっているのです。

 イエス自らが、洗礼者ヨハネこそ
「救世主」(メシア)であると、

 そう述べていて、その具体的な行動が
洗礼者ヨハネから受ける「洗礼」
であったわけで、

 
   イエスの洗礼 出典:blogs.yahoo.co.jp

 『福音書』矛盾に対する(答え)
となるものがあるとすれば、

 それこそが、

 ダ・ヴィンチの推理するメシア
洗礼者ヨハネの存在とその後継者
イエスということになるのですが、

   
 『洗礼者聖ヨハネ』部分 1513-1516年

 これが、いわゆる小生の唱えるところの
レオナルド・ダ・ヴィンチが主張する
『洗礼者ヨハネ・キリスト説』
『福音書』等から読み解いた場合に
おける論拠の一部であるわけですpeace

 ということで、

 些(いささ)か、ブログ記事が冗長なる
ものになってしまいましたので、

 早々に、次回を、サロメに託したいと、

洗礼者ヨハネの頭を持つサロメ - Cesare Da Sesto | WikiOO.org ...
  『洗礼者ヨハネの頭を持つサロメ』チェザーレ・ダ・セスト

 待てよ、そうだ『サロメ』と言えば、

 確か、劇作家オスカー・ワイルドは、
洗礼者ヨハネをしたサロメ
情念(口づけ)を斬首したその
求めていたような ・・・

画像
 『サロメ』ルシアン・レヴィ=デュルメル画(1896年)

 ダ・ヴィンチも何やらあれこれ指図して



 弟子のベルナルディーノ・ルイーニ ら
に、サロメを描かせていたような ・・・



 こりゃあ、何か、

 「曰くがありそうじゃ」

 

 ダ・ヴィンチの場合には、やっぱり、

   

 「執念かしら」

  

 「天の配剤」ならぬ「師匠の采配」

 つまり、「罠の差配」じゃな

 「いろいろと仕込もうという魂胆じゃろ」

   ・・・ っておいおい

   
      マジか !?

 もう、いいかげん、

「言葉で遊ぶなよ !!


 「え~、やだぁ、わたし妊娠するの


「解剖して分かったことだが、
   人間は死ぬように
       出来ているのだ」


   (レオナルド・ダ・ヴィンチ)


   『踊るサロメ』 シュトウィック画 newimg.org

 まあ、なんにしろ、あれこれと、
      
      (詰め込みすぎやで)

 こりゃあ、ちょっとばかり ・・・

   
   眉唾物イメージ kotowaza-everyday.com

   眉に唾をつけてみる必要があるかもね!

     ふむふむ。  
        画像元:www.pinterest.jp       

        なるほど、なるほど ・・・


『聖アンナと聖母子』『モナリザ』『洗礼者聖ヨハネ』


手もとに残した3枚の絵を合成したドラゴンレーダー  

… to be continued !!

コメント一覧

小吉
そういえば、キリストは「キリスト教徒ではない」ってことがあったな。

釈迦も仏教徒ではない。
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