見出し画像

透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 覗き見

 レオナルド・ダ・ヴィンチの「遺言状」に纏わる
奇妙な」=「罠」のすべてを見定めてみたいと
思われる方は、下欄に示した各ページを閲覧することが
肝要であり、是非にも実行すべき先決事項です。

 まずは、

 url『ダ・ヴィンチの罠 遺言状』
 url『ダ・ヴィンチの罠 方程式』 
 url『ダ・ヴィンチの罠 謎解き』
 url『ダ・ヴィンチの罠 種明し』
 url『ダ・ヴィンチの罠 鍵の穴 

 などを参照してみてください! 

   必須ですよ!     

 それでは、

 意味深長なる「遺言状」の内容や付随する奇妙な
出来事などについて、ダ・ヴィンチの時代の鍵穴から
こっそりと覗いてみたいと思います。

 ダ・ヴィンチは、幼き日に洞穴(洞窟)の中で何者かと
出会い、奇妙な幻を見せられます。

  
       画像元:takashi1016.com 

 それは「地球外生命体」による人類創世の物語でした。

 さらに、

 イエス・キリストの時代に「地球外生命体」の一族が
『新約聖書』の名を借りて、ディープ・ステートなる暗躍
を始めたというような幻視(白日夢)をダ・ヴィンチは
洞窟の中で体験させられます。


      神秘体験イメージ (知覚の扉)karapaia.com

 このあたりの推理・考察に関しては、 

 url『ダ・ヴィンチの罠 松果体』
 url『ダ・ヴィンチの罠 白日夢(改)』
 url『ダ・ヴィンチの罠 神無月』 

 などを参考にしてください。

 また、「地球外生命体」については、

 url『ダ・ヴィンチの罠 異星人』
 url『ダ・ヴィンチの罠 偶然性』
 url『ダ・ヴィンチの罠 遺伝子』
 url『ダ・ヴィンチの罠 交差点』
 url『ダ・ヴィンチの罠 訪問者』

 などの記事が参考になるかと思います。

 以来、彼は表面的にはカトリックを信奉し帰依する姿勢
を見せながら、その裏ではアンチ・クリスチャンとしての
炎を密かに燃やし続けてきたのです。 

 それというのも、

 『聖書』の記述の信憑性、それも主に『新約聖書』
綴られた事柄の真実性に、疑義を感じていたからです。

 成人した洗礼者ヨハネがラクダの毛衣を着て、腰に革の
帯を締め、イナゴと蜂蜜を食べ物として、荒れ野で生活し
「悔い改めよ。天の国は近づいた」と語り、ヨルダン川で
人々に洗礼を施していたことや、イエスにも洗礼を授けた
ことが『マタイの福音書』3章に記されていますが ・・・

     
   『洗礼者ヨハネ』サンドロ・ボッティチェッリ 

 『マタイの福音書』によれば、まず洗礼者ヨハネが
「悔い改めよ。天の国は近づいた」と宣教し、人々に
洗礼を施します。

 イエスはその洗礼者ヨハネから洗礼を受け、ヨハネ
が逮捕されると独立し、自ら宣教を始めるわけです。

 
   イエスの洗礼 出典:blogs.yahoo.co.jp

 しかも、その第一声は、

 ヨハネと同じく「悔い改めよ。天の国は近づいた」で
あったというわけです。

 要するに、遺言状に見られる意味深なる文言の意図は、

① 遺骸は、同教会付きの神父たちの手によって運ばれる
② 同教会の教区長や主任司祭及び聖ドニ教会の副司教と
  礼拝堂の司祭、同フランチェスコ修道士に随行される
③ 助祭 副助祭による3回の大きなミサと30回の読誦ミサ

 ① , ② , ③ における随行やミサを行なう各聖職位階が、
師であるべき者とその弟子のグレードやレベルの違いを
意図している他に、洗礼者ヨハネが真の救世主(メシア)
であって、イエスはその役柄を代役として見事に演じた
にすぎないということを意味しているのです。


       出典:blog.goo.ne.jp


       出典:www.jizai.org

 洗礼者ヨハネがイエスにつまずいた、すなわち疑心を
抱いたということを『マタイの福音書』がほのめかして
いますが、それは洗礼者ヨハネが獄中から弟子を通して
「『きたるべきかた』はあなたなのですか? それとも、
ほかにだれかを待つべきでしょうか」とイエスに尋ねる
シーンがそれであって、投獄されたヨハネは打開を模索
するべく弟子をイエスのもとに遣わすわけです。


            獄中のヨハネと弟子たち wol.jw.org

 結局のところ、

 洗礼者ヨハネは、イエスを救世主(メシア)としては
認めていなかったことの裏返しをマタイが『福音書』に
おいて記しているということになるわけです。

    『マタイの福音書』11章2-6節 より、

 一方でイエスは、ヨハネを「およそ女から生まれた者
のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった」と
極めて高い評価を与えていますが、そのあとにつなげて
「天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である」
付言したのは、洗礼者ヨハネの斬首を先見し、天の国を
奪うのは自分であると自覚したからに他なりません。


              画像元:twitter.com


           画像元: tomoshibi.or.jp

「はっきり言っておく。およそ女から生まれた者のうち 
 洗礼者ヨハネよりも偉大な者は現れなかった。しかし
  天の国で、最も小さな者でも、彼よりは偉大である」
      (マタイの福音書11章11 節) 
 なお、 

 洗礼者ヨハネの最期については、『マルコの福音書』
6章と『マタイの福音書』14章に記されていますが、

  

 これも史実に照らしてどこまで正しいものなのか!?

 判断がつきませんので、ちょっとだけ「覗き見」
してみましょう!

 ●『マルコの福音書』を要約すれば、

    (マルコ 6章14-29節)

 イエスの名が世間に知れ渡り、ヘロデ王(ヘロデ・
アンティパス)の耳にも入った。

 数々の奇跡を行うイエスについて人々は、「洗礼者
ヨハネが死者の中から生き返ったから、彼には奇跡を
起こす力がある」とか、「彼はエリヤだ」とか「昔の
預言者のような預言者だ」と言う人もいたが、

 ヘロデは、自分が「首を刎ねたあのヨハネが、生き
返ったのだ」と言った。

 実は、ヘロデは自分の兄弟フィリポの妻ヘロディア
と結婚しており、そのことで人をやってヨハネを捕ら
え、牢につないでいた。

 ヨハネが、「自分の兄弟の妻を娶ることは、律法で
許されていない」とヘロデに言ったからである。


     ジョヴァンニ・ファットーリ画

 そこで、ヘロディアはヨハネを恨み、彼を殺そうと
思っていたが、できないでいた。

 それは、ヘロデが、ヨハネは正しい聖なる人である
ことを知って、彼を恐れて保護し、その教えを聞いて
、非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていた
からである。

 ところが、良い機会が訪れた。

 ヘロデが自分の誕生日の祝いに高官や将校、ガリラヤ
の有力者などを招き、宴会を催すと、ヘロディアの娘が
その場に来て踊りをおどり、ヘロデとその客を喜ばせた。


  『サロメ』フランツ・フォン・シュトゥック 1906年

 そこで、王は娘に、「欲しいものがあれば何でも言い
なさい。 お前にやろう」と言い、さらに「お前が願う
なら、この国の半分でもやろう」と固く誓ったのである。

 娘が母親に、「何を願いましょうか」と訊くと、母親
は「洗礼者ヨハネの首」と言った。

 娘は大急ぎで王のところに行き「今すぐ洗礼者ヨハネ
の首を盆に載せて、いただきとうございます」と願った。

 王は非常に心を痛めたが 誓ったことではあるし、また
客の手前もあって、娘の願いを退けたくなかった。

 そこで、王は衛兵を遣わし、ヨハネの首を持って来る
ようにと命じた。


    『洗礼者ヨハネの斬首』部分 カラヴァッジョ(1608年)

 衛兵は出て行き、牢のなかでヨハネの首を刎ね、盆に
載せて持って来て、娘に手渡し、

 娘はそれを母親に渡した。


  ヘロディアとサロメとヨハネの首 www.wikiwand.com

 ヨハネの弟子たちは、このことを聞いて遺体を引き
取りに来て、墓に納めた。

     (マルコ 6章14-29節)

 ということですが、 

 何かモヤっとして、スッキリしません。

 それは文章に一貫性がなく、辻褄合わせに腐心した
様子が窺えるからです。

 ヘロデは自分の兄弟の妻を奪い取った不道徳な行為
をヨハネに厳しく批判されたので、彼を捕らえて牢に
投じたが、そうした非難に妻のヘロディアのプライド
は痛く傷つき ヨハネを殺したがっていたけれど、


     ジョヴァンニ・ファットーリ画

 ヘロデは彼を恐れて保護していたので殺せないまま
でいたが、そこに願ってもないヘロデの誕生日祝いの
宴会の場という格好の舞台が用意されたとしています。

 『マタイの福音書』14章にも、ほぼ同じ内容の話
が書かれていますが、

 『マルコの福音書』6章との違いは、ヘロデは、

 「ヨハネを殺そうと思っていたが民衆を恐れた。
 人々がヨハネを預言者と思っていたからである」

        (マタイ14章5節)

 こちらでは、あきらかに、

 ヨハネを殺す意思がヘロデにはあったが、彼を慕う
民衆の暴動を恐れて殺せないでいたことがわかります。

  

 詰まるところ、

 『マルコの福音書』や『マタイの福音書』では、

  

 唐突に、サロメのおねだりという「流れ弾」
飛んできたかのように見せていますが、

 ダ・ヴィンチの推理は違いました。

 アンチ・クリスチャンであった彼の思考は、後世の
ニーチェのそれや、『黙示録』に言う反キリスト的な
それではありませんでした。

 本来の救世主(メシア=キリスト)は洗礼者ヨハネ
であって、イエスではないという確固たる信念のもと
に仕組まれた3つの大いなる「罠」の目的のうちの
のひとつを構成するものがそれだったわけです。

 ちなみに、

 先述したニーチェは、1889年に『反キリスト者』と
いうタイトルの著作を書き、キリスト教の教義を批判
していますが、彼はキリスト教を批判したのであって
イエス・キリスト自体を批判したわけではありません。

 また、

 『ヨハネの手紙』2章22節で、イエスがキリストで
あることを否定する者を〝反キリスト〟であるとして
いますが、その点にのみ関して言えば、ダ・ヴィンチ
も〝反キリスト〟であると言えなくもありませんが、
『黙示録』における〝反キリスト〟とは、本質的に
違うものであることは言うまでもありません。

 さて、 

 ダ・ヴィンチの考える『福音書』の記述とは違う
推理の内容については、次回に触れることにして、
「遺言状」における「罠」についての 
解説のまとめを遅ればせながら始めたいと思います。

 まずは、問題となる文書部分を箇条書きにします。

① 遺骸は、同教会付きの神父たちの手によって運ばれる
② 同教会の教区長や主任司祭及び聖ドニ教会の副司教と
  礼拝堂の司祭、同フランチェスコ修道士に随行される
③ 助祭 副助祭による3回の大きなミサと30回の読誦ミサ
④ 聖ドニ教会や聖フランチェスコ会で同様の儀式を行う
⑤ 60人の貧しき人たちの手で60本の松明がささげられる
⑥ この役務によって、貧しき者たちに金銭が付与される
⑦ その松明を、4つの教会に分けることを希望している 

 次に、文章から導き出せる数字の意味を列挙します。

 「3」は、三角形、3つの目的、3枚の絵
 「4」は、4つの教会、4つの窓、4分割、4分の1
      4つの編成、4人の人物、4線譜
 「9」は、反転、重ね、繰り返し
 「30」は、フィボナッチ数列、連続性、偶数
 「33」は、掛け合わせ、重ね合わせ
 「60」は、仕掛けられた罠の数、解答 
 「90」は、偶数、直角 etc

 
 最初に大枠から説明すると、

 ★ 大いなる「罠」目的は、3つあります。

 1⃣ 人類はによって、創造されたのでは
  なく、異星種との交配により、作られたこと。 

 2⃣ 預言されていた救世主(メシア)はイエスでは
  なく、洗礼者ヨハネであること、

 3⃣ キリスト教(ローマ・カトリック教会)が世界
  を腐敗させる元凶であるとの告発をすること。

 ★ 「罠」の種類 (グレードとレベルの違い)

 その目的によって多種多様なかたちで構成されて
いるために多岐にわたる仕掛けが施されています。

 そのことを暗示するのが、①,②,③ 文言です。

 ④ は「罠」が複合的に仕組まれていることを
示唆していて、

   

 ⑤,⑥ では、

 全作品の60箇所に「罠」が巧妙に仕組まれていて、
60通りの解答が用意され、その役務(問題の解決)に
よって、金銭(幸福な未来)が付与(約束)されると
いうように締め括っているわけです。

 そして、⑦ では、

 「松明(たねあかし)には、全作品を4つの教会
(種類別カテゴリー)に分類・仕分けすることから、
まずは始めましょう」と、サゼッションしています。

 その他にも、

 4人の人物、4つの窓、4つの編成、4分の1、
4分割、に関連する「罠」「謎」が作品の
なかで躍動していることを暗示しています。

    ふむ      ふむ      ふむ

 

      画像元  www.pinterest.jp

 

 さて、次回では、

 これらを踏まえたうえで「遺言状」の中身と
『福音書』の相違について、つぶさに分析して
みたいと考えています。

    ところで、

     
      「奴は、出っ歯のデバ亀じゃな!」

   
   ピーピング・トムじゃないの?」

    
    それは「覗き魔」だっちゅうの ! 

  ・・・ っておいおいおい、     

   
   マジかょ!         なるほどね  (^▽^;)(^^ゞ 

 

 告発されたキリスト教は有罪です!

 ダ・ヴィンチはキリスト教に対し、これまで告発人が
 口にしたすべての告発のうちで、もっとも唾棄べき腐敗
した告発を「罠」の中に仕込みしました。

 どんな腐敗でも、キリスト教以上に腐っているものは
ないからです。

 キリスト教は、周囲にあるすべてのものを腐らせます。

 あらゆる価値を無価値にして、真理からは虚偽や欺瞞
を、正直さからは卑怯な心や卑劣な嘘をでっちあげます。

 人々の弱みにつけ込み、自分たちの組織を永遠化する
ために、数々の不幸を作り上げてきたのです。

 それでもまだ、教会による「人道主義的」な偽りの
祝福について語りたいのであるならば、ダ・ヴィンチに
よる「罠」の出番はありません。

    

 それどころか、

 現在も、未来も、真っ暗な光のない世界がこれからも
ず~っと続くことになるだけなのです。

       Herodias with the Head of St. John the Baptist - Paul Delaroche - Wallraf-Richartz Museum - Cologne - Germany 2017.jpg
  (ホンマかいな)  ヘロディアとサロメとヨハネの首(Wikipedia) 

 
出典 レオナルド・ダ・ヴィンチの小部屋 洗礼者ヨハネとイエスが入れ替えられている


   『エジプトへの逃避行』カルロ・マラッタ

『幼児キリストと洗礼者ヨハネ』(貝殻の子供たち)ムリーニョ画
 
  『幼児キリストと洗礼者ヨハネ』(貝殻の子供たち)部分 ムリーニョ画  

    イエスと洗礼者ヨハネ(ヴォイチェフ・ゲルソン画)
         出典:www.diwanmsr.com

          獄中のヨハネと弟子たち wol.jw.org

     … to be continued !! 

コメント一覧

小吉
そういえば、英語の動詞の過去形のdは動詞の原型であるDoの略だとかなんとか。
あと、シュメール人のことも思い出した。
彼らは文明を「誰かから教えてもらった」と言っていたそうだ。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「ノンジャンル」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事