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透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 垢と埃

 さて、今回の
 ★ タイトルである『垢と埃』についてですが、

 一般に言う「垢」は、人間の身体の表面にたまったり、
こびりついたりした汚れなどを意味していて、ここでは
十二使徒のひとりでありながら、主イエスを裏切ったと
されているユダを便宜上、暗示させています。

 しかし、

 同時に「アカウント」の略称として用いられるネット
スラングでの「本垢」とは別の目的で使用・運用される
「裏垢」という性質を兼ね備えて表現しているのです。

「埃」は、塵などの小さなゴミを指しますが、ここでは、
俗世間や俗事、娑婆(しゃば)など、精神的な世界では
ない求道・修行に無関心なる世俗の煩悩や苦しみの多い
この世、すなわち現世を意味しますが、


      埃(とんでもないものまで飛んでくる)tenki.jp

 突き詰めて言えば、イエスを救世主(メシア)と崇める
キリスト教の大いなる欺瞞性を示唆しています。

 要するに、

 ここでの「垢と埃」は、ユダとイエスとの関係や
ユダとパウロの存在を示していると同時に、キリスト教
の偽善と欺騙(ぎへん)を意味すると理解してください。 

 キリスト教は、我々人類にとっては「垢」であり「埃」
そのものなのです。 

 キリスト教によって生じた老廃物や分泌物をそのまま
にしておくと、人類は単に穢れるだけでなく、破滅して
しまうかもしれません。

 
     イエスの真実          出典:www.jizai.org       

 その元凶『聖書』です。

 と言っても、

 ダ・ヴィンチは、『旧約聖書』には一定程度の信頼を
置いていたのですが、イエスを救世主(メシア)である
と証しする目的で編纂された『新約聖書』には疑いの目
を差し向けていました。

 もちろん、そこには彼にとっての救世主(メシア)が
洗礼者ヨハネであったことから、それに反発する気持ち
が強くあらわれた結果であると言えなくもありませんが、
とにかく、ダ・ヴィンチには『新約聖書』の粗が見えて
仕方がなかったのです。

 たとえば、

 『新約聖書』の最初に置かれている『マタイの福音書』
を見てみましょう!

 1:1 アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図。
 1:2 アブラハムがイサクを生み、イサクがヤコブを生み、
   ヤコブがユダとその兄弟たちを生み、
 1:3 ユダがタマルによってペレツとゼラフを生み、
   ペレツがヘツロンを生み、ヘツロンがアラムを生み、
 1:4 アラムがアミナダブを生み、アミナダブがナフションを生み、
   ナフションがサルマを生み、
 
1:5 サルマがラハブによってボアズを生み、
   ボアズがルツによってオベデを生み、オベデがエッサイを生み、
 1:6 エッサイがダビデ王を生んだ。
   ダビデがウリヤの妻によってソロモンを生み、
 1:7 ソロモンがレハブアムを生み、レハブアムがアビヤを生み、
   
アビヤがアサを生み、
 1:8 アサがヨシャファテを生み、ヨシャファテがヨラムを生み、
   ヨラムがウジヤを生み、
 1:9 ウジヤがヨタムを生み、ヨタムがアハズを生み、
   アハズがヒゼキヤを生み、
 
1:10 ヒゼキヤがマナセを生み、マナセがアモンを生み、
   アモンがヨシヤを生み、
 1:11 バビロン捕囚のころ、ヨシヤがエコンヤとその兄弟たちを生んだ。
 1:12 バビロン捕囚の後、エコンヤがシェアルティエルを生み、
   シェアルティエルがゼルバベルを生み、
 1:13 ゼルバベルがアビウデを生み、アビウデがエルヤキムを生み、
   エルヤキムがアゾルを生み、
 1:14 アゾルがツァドクを生み、ツァドクがアキムを生み、
   アキムがエリウデを生み、
 
1:15 エリウデがエレアザルを生み、エレアザルがマタンを生み、
   マタンがヤコブを生み、
 1:16 ヤコブがマリアの夫ヨセフを生んだ。
   キリストと呼ばれるイエスは、このマリアからお生まれになった。
 
1:17 それで、アブラハムからダビデまでが全部で十四代、
   ダビデからバビロン捕囚までが十四代、
   
バビロン捕囚からキリストまでが十四代となる。
         (マタイの福音書1章1-17節)
         

 『旧約聖書』には、アダム、ノア、アブラハム、ヤコブ、
ヨセフ、モーセ、イザヤ、エリヤなど、多くの預言者たち
が登場します。

 彼らは、後に誕生するイエスのひな型として深い関わり
を持つ存在とされたのです。

 『旧約』のアダムの時代から「神」は人類を救済する
計画を準備していて、イエスの誕生をもって、その計画が
実行に移されたわけで、最終的に十字架上での贖いという
シナリオが、『福音書』によって展開されているわけです。

『マタイの福音書』の書き出しは、アブラハムからイエス
までの系図から始まります。


      アダムからアブラハムまでの系図 blog.goo.ne.jp

 マタイは、なぜイエスの系図から始めたのでしょうか? 

 約束の救世主(メシア)がイエスあると示すためです。

 ユダヤ人は系図をとても大切にしています。


   イエスの系図における4人の女性(タマル・ラハブ・ルツ・バテシバ)sandacc.org

 それは、神の選民であることが彼らユダヤ人にとって
の大きな誇りになっていたからです。

 しかも、救世主(メシア)がユダヤ人の中から生まれる
ことを彼らは知っていましたし、そう信じてもいました。

 ですから、

 イエスが救世主(メシア)であることを示すためには
、まず系図によって証明する必要があったのです。

 まず最初に、

「アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図」
と書いたのは、イエスこそが『旧約聖書』に約束されていた
救世主(メシア)であることを強調するためだったのです。

 詳細は省きますが、

 ● 救世主(メシア)は、アブラハムの子孫から生まれる。
 ● 救世主(メシア)は、ダビデの子孫から生まれる。

 これらの預言は、来たるべき救い主(メシア)の預言で
あるとユダヤ人たちは理解していました。

 マタイは最初の1章1節で、イエスこそがイスラエル王国
を引き継ぐ正統な血筋を持つ、約束の救世主(メシア)で
あることを証明したつもりでいたのですが、


            イエスの系図 jp.quora.com

 なんと、この要件に当てはまる人物が、イエス以外にも
もうひとり存在していたのです。


     ユダヤ教・キリスト教・イスラム教とイエスの関係 weekly-economist.mainichi.jp

 もっとも、そのためにはいくつかの条件を篩(ふるい)に
かける必要がありますが ・・・

 ● 救世主(メシア)は、アブラハムの子孫から生まれる。

 この条件には、

 イサク(ユダヤ人)の子孫も、イシュマエル(アラブ人)
の子孫もいるので多くの人間が対象者になりますが、次の

 ● 救世主(メシア)は、ダビデの子孫から生まれる。

 という条件によって、対象者はそれなりに絞られます。

 ユダヤ人の社会では、ダビデの子孫とは、父方の系図に
ダビデ王が入っていなければならないわけですが、


      『ダビデとゴリアテ』 gamemarket.jp

 そうなると、聖霊によって懐妊したとされているイエス
は明らかにダビデの子孫であるヨセフの子ではないことに
なり、イエスは「ダビデの子孫」ではないと、ファリサイ
(パリサイ人)や律法学者から非難されていたはずです。

 ところが不思議なことにイエスを嫌っていたファリサイ
(パリサイ人)や律法学者たちでさえ、イエスはダビデの
子孫ではないと言って、騒いだという形跡がないのです。

 これは、一体全体、どうしたことでしょう?

 イエスの系図は、『マタイの福音書』1章に記載がある
ほか、『ルカの福音書』3章23-38節にも載っています。

          エスの系図】
 3:23 イエスが宣教を始められたときはおよそ三十歳であった。
    イエスはヨセフの子と思われていた。ヨセフはエリの子
    それからさかのぼると、
 3:24 マタト、レビ、メルキ、ヤナイ、ヨセフ、
 3:25 マタティア、アモス、ナウム、エスリ、ナガイ、
 3:26 マハト、マタティア、セメイン、ヨセク、ヨダ、
 3:27 ヨハナン、レサ、ゼルバベル、シャルティエル、ネリ、
 3:28 メルキ、アディ、コサム、エルマダム、エル、
 3:29 ヨシュア、エリエゼル、ヨリム、マタト、レビ、
 3:30 シメオン、ユダ、ヨセフ、ヨナム、エリアキム、
 3:31 メレア、メンナ、マタタ、ナタン、ダビデ、
 3:32 エッサイ、オベド、ボアズ、サラ、ナフション、 
 3:33 アミナダブ、アドミン、アルニ、ヘツロン、ペレツ、ユダ、
 3:34 ヤコブ、イサク、アブラハム、テラ、ナホル、
 3:35 セルグ、レウ、ペレグ、エベル、シェラ、
 3:36 カイナム、アルパクシャド、セム、ノア、レメク、
 3:37 メトシェラ、エノク、イエレド、マハラルエル、ケナン、
 3:38 エノシュ、セト、アダム。そして神に至る。
       
『ルカの福音書3章23-38節』 
 
 この書き方からすると、表現的にはマタイにある系図と
は辿り方(遡り方)が逆になっていることがわかります。

 さらに、

 マタイでは、王家の系図がほぼ含まれているのに対して、
ルカではダビデの子(ナタン系統)から大きく異なります。

 マタイでは、イエスからアブラハムまでを、ルカでは、
イエスからアダムまでを、遡っているようです。

 然は然りながら、

 マタイとルカでは、まったく違う系図を辿っているよう
に思われます。

 たとえば、

 マタイはヨセフの父をヤコブとしていますが、(マタイ1:16)
ルカはヨセフの父をヘリ(エリ)だとしています。(ルカ 3:23)

 マタイは、ダビデの子ソロモンの家系を辿っていますが、
ルカはダビデの子ナタンの家系を辿ります。 (ルカ 3:31)

 2つの系図で、ダビデからイエスまでの間で共通する名は、
シェアルティエル(シャルティエル)とゾロバベルだけです。
      (マタイ1:12、および、ルカ 3:27)

 この違いを指摘して、福音書に間違いがある証拠だと主張
するつもりはありません。

 ただし、ユダヤ人は、特に系図に関しては非常に注意深く
記録する人々ですので、マタイとルカが、まったく矛盾した
2つの系図からひとつの同じ家系の系図を作り上げることは
考えられません。

 しかし、

 ダビデからイエスまでの系図はまったく違っています。

 シェアルティエル(シャルティエル)と、ゾロバベルは
同じ名前でも違った人物を指しているのかもしれませんが、

 マタイは、シェアルティエルの父をエコンヤ(エコナヤ)
とし、ルカは、シャルティエルの父をネリにしています。

 こうしたことから考えられるのは、

 マタイは、ヨセフの家系を辿り、ルカは、マリアの家系
を辿って記録したのだろうということです。

 つまり、  

 マタイはダビデの息子ソロモンを通して、イエスの法的
な父であるヨセフの家系を、ルカは、ダビデの息子ナタン
を通して、マリアの遺伝上の家系を辿ったわけです。

 要するに、

 ヨセフはヘリの娘マリヤと結婚することで、ヘリの息子
であると考えられたのです。

 どちらの家系を辿っても、イエスはダビデの子孫であり、
救世主(メシヤ)としての資格があると言いたいわけです。 

 通常では母方の家系を辿った系図はありえないわけです
が、処女降誕(懐妊)も普通では、絶対にありえないこと
ですから「推して知るべし」「さもありなん」なわけです。

 しかも、『ルカの福音書』では、

 イエスはヨセフの息子「と思われていた」というように
書かれていますよね。  (ルカの福音書3章23節)

 ここで「ヨセフの子と思われていた」というのは、人々
はイエスをヨセフの子だと思っていたが、事実はそうでは
ないというのが『ルカの福音書』の意図していることです。

 それは、決して、

 イエスがヨセフの子ではないと言っているわけではなく、
確かにイエスはヨセフの子どもではあるけれど、実際には
「神の子」であるということを暗に指しているのです。

 要するに、 

 血のつながりはないが、みなし的な法律上の父親である
ヨセフの系図と正式な系図ではないマリアの父につながる
系図によって、イエスは救世主(メシア)としての要件を
満たしていると強弁しているのです。

 しかし、

 そうだとすると、マリアの父は、ヘリ(エリ)でなくて
はならないわけですが、マリアの両親について聖書は何も  
記していません。

 ですが、

 キリスト教の伝承では彼らの名前がヨアキムとアンナで
あったことと、その生涯の物語を伝えています。

 ヨアキムとアンナの物語は『聖書』には出てこないので、
初期の偽福音書の文書の中で、ヨアキムは度々、ヘリとか、
サドク、ヨハキル、クレオパスなどの名で呼ばれています。

 ちなみに、wikipedia によると、

 ヨアキム(Joachim)は、古い伝承によれば 聖母マリア
の父で、妻はアンナ、ユダ族の出身で、ダビデ王の家系に
属するそうです。

 さて、ここまでを要約すると、

 ヨセフにつながるアブラハムからイエスまでの系図の
すぐあとに次のような聖句があります。

 イエス・キリストの誕生の次第はこうであった。
 母マリアはヨセフと婚約していたが、まだ一緒
 ならない前に、聖霊によって身重になった。

     (マタイ福音書1章18節)

 イエスの母マリアが「聖霊によって身重になった」
いうことであれば、イエスはヨセフの子ではないという
ことになります。

 イエスがヨセフの子でないのならば、イエスはダビデ
血統ではないことになってしまいます。

 そこで出てくるのが『ルカの福音書』の系図です。

 マタイとルカのそれぞれの系図は、記載の順序が反対
になっているので、比較しづらいのですが、

 見比べてみると、ダビデ以前の先祖はほぼ同じですが、
ダビデの後から最後のヨセフまでは別人物になっている
ことが分かります。

 その理由として『ルカの福音書』の系図の最初にある

 「イエスはヨセフの子と思われていた」と言う言葉が
ひとつのヒントになっているのです。

 この聖句は「多くの人はヨセフの子だと思っているが
実際には違う」ということを示唆していて、この系図は
母マリヤの系図であると考えられるわけです。

 つまり、

 上記の聖句の「ヨセフはヘリの子」(ルカ 3章23節)
の「ヨセフ」は母マリアのことで、その父がヘリ(エリ)
であるという主張です。

 この系図では、

 母マリアの先祖を辿っていくとダビデにつながるので
、その母マリアから生まれたイエスはダビデの子孫だと
いうわけです。

 確かに、遺伝的には血のつながりが認められるわけで
すが、それでは男系で記録されてきた家系図は何だった
のでしょう!

 しかしながら、だからこそ、

 ここに、もうひとりの救世主(メシア)に対する条件
が満たされる理由が出来上がるのです。

 ダ・ヴィンチの推理では、イエスの父は洗礼者ヨハネと
同じ「祭司ザカリヤ」であり、ザカリヤはユダ族とレビ族 
の両方の血統を受け継いでいて、ヨハネとイエスの関係は
異母兄弟の間柄であるとのことでした。

 この腹違いの異母兄弟というのが、前述したもうひとり
の救世主(メシア)の条件であるダビデ王の子孫と密接に
関連してくる話になるのですが、もう紙面がいっぱいです。

 タイトルの「垢と埃」の遠因も そこから派生して
きた老廃物や分泌物であるわけですが、その解説を始める
と紙幅が持ちませんので、この続きは、次回となります。

 それでは、

 ここまでのところを、ザッとまとめておきましょう。

 ■ 『福音書』にはイエスの系図が2つ用意されている。
  「マタイの福音書」の系図はヨセフの系統であり、
  「ルカの福音書」の系図は母マリアの系統である。

 ■ 母マリアの父親は伝承ではヨアキムとされているが、
  ヘリ(エリ)であるという説と、ヨアキムとヘリは、
  同一人物であるとする説がある。

 ■ イエスの父親は祭司ザカリヤであって、ザカリヤは
  
ユダ族とレビ族の両方の血統を受け継いでいる。


    (ん !!

 どうやら、この男は、何も、

    気づいていませんな

 聖母マリアは、アロン家の  出身者?

 聖母マリアの父親がヨアキムでもヘリでも、母マリア
から生まれたイエスはダビデの子孫になりますが、

 同じダビデの子孫でも、ユダ族としてではなくレビ族
としてのダビデの子孫がイエスであり、洗礼者ヨハネで
あるというのが、ダ・ヴィンチの導き出した結論です。 

 母マリアはアロン家の娘エリサベツと親族なのだから、
アロン家の出身であり、レビ族の子孫だということです。

 しかし、

 そうなると、母マリアから生まれたイエスは、レビ族
ということになり、『旧約聖書』の預言どおりではない
ことになってしまいますが ・・・


         イエス・キリスト計画 shiogamagrace.com

 さあさあ、まだまだ、

 symbol2 ダ・ヴィンチの推理は続きます。

     ま、まさか、お前さん!
 
「アロン家の娘じゃないよな?」
   
 
 「だったらなによ! 文句あるの!」
 
      ほんまかいな?
 
 ・・・ って、おいおい、
 
  なんだかなぁ       う~む  (^▽^;)(^^ゞ
 

 はてさて、

 次回は、一体、どういうことになるのでしょうか? 


          画像元 domani.shogakukan.co.jp

    
    『幼児キリストと洗礼者ヨハネ』(貝殻の子供たち)ムリーニョ画

   
   『幼児キリストと洗礼者ヨハネ』(貝殻の子供たち)部分 ムリーニョ画

    

     … to be continued !!

 
     イエスの真実         出典:www.jizai.org   

    
     キリスト教イメージ(Photo Adobe Stock)出典:diamond.jp

コメント一覧

小吉
どうしてそうまでしてキリスト教を作り上げたかったのか。

甚だ疑問である。
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