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透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 邪魔者(改)

 「邪魔者」、まさに、そんなブログの引っ越し作業の結果、

100を超える記事の画像が表示できなくなり、非公開としました。

記憶を呼び起こしつつ、漸次、復活・再生させるつもりですが、

正直、皆目見当のつかない画像も多々あります。

ダ・ヴィンチの罠 邪魔者 - 透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 邪魔者 - 透明人間たちのひとりごと

このページの画像は、故あって表示されませんが、連続性を担保する意味合いからも、そのままで公開し、別途、新しく作り直すことにしました。同じ内容ですが、画像はその限...

goo blog

 

 url『ダ・ヴィンチの罠 邪魔者』

 上記のように、連続性を維持することは、このシリーズの

重要なファクターですので、時間がかかっても復活・再生を

果たさなければならないのですが、漸くこれで57作目です。

 さてと、それでは、ここからが、

『ダ・ヴィンチの罠 邪魔者(改)』

 の記事になります。

 (以下、本文)

 

 洗礼者ヨハネイエスは、下級祭司
であったザカリヤに、エリサベツ
マリアをそれぞれのとして、この世界
に登場するに至ったとする推理・構想が、
レオナルド・ダ・ヴィンチの「罠」を構成
するプロットのひとつなのですが ・・・


『幼児キリストと洗礼者ヨハネ』(貝殻の子供たち)ムリーニョ画

 symbol2 ダ・ヴィンチによる推理はこうでした。

 クムランの共同体のなかで幼少の頃より
一緒だった二人は、互いが兄弟であること
を知らされないままに育ちます。

 
  『幼児キリストと洗礼者ヨハネ』(貝殻の子供たち)部分 ムリーニョ画

 クムラン宗団にはユダヤの解放に際し、

 車の両輪の如き「愛」「義」
テーマに、ローマからの解放独立
推進する「二人のメシア」による
ユダヤ解放計画がありました。

 その二人メシアとして白羽の矢が
立ったのが、ヨハネイエス兄弟
だったというわけです。

 『旧約聖書』の預言における真の意味で
の「救世主」は兄である「アロンのメシア」
(洗礼者ヨハネ)であり、「後継者」として
彼を補佐(サポート)し、 護衛(ガード)
する役目を「イスラエルのメシア」として
の弟イエスが担うという計画でしたが、



 本格的な行動を起こすまでの期間は、
それぞれが独自の宣教を行って、互い
の活動には干渉しないとの約束でした。

 それは、

 自動車のスロットル・バルブ(エンジン)
に直結するアクセルとしての「武」
有する「イスラエルのメシア」



 ドライブを制御するステアリングと
しての「愛」「義」に裏打ち
された「アロンのメシア」との
相互作用によって、ローマからの
解放と独立を勝ち取る『旧約聖書』に
準拠した預言的なクーデターの色彩が
極めて強い「メシア計画」だった
のです。

 クムラン宗団の企図した狙いは、

 
  イスラエルの三種の神器

 失われたアーク(聖櫃)に納められて
いるとされる「三種の神器」のうちの
「マナの壺」が「愛」で「十戒の石板」
が「義」に相当し、「アロンの杖」が
「武」を象徴していて、主にアクセルと
としての「武」をイエスが担い、舵取り
(ステアリング)としての「愛」と「義」
を洗礼者ヨハネがコントロールする。


   イスラエルの三種の神器 nazo108.sblo.jp

 そうした宗団の宗教クーデターから
社会変革(革命)を惹起しようとした 
「二人のメシア計画」であったものが
 単独の、それも、当初の計画とは違う
「贖い(自らが犠牲となること)
によって人々をその罪から救うという
予定外の「イエス・キリスト計画」が
発動されることになるのですが、

 その端緒としては、まず、

 ガリラヤ領主ヘロデ・アンティパスに
よる洗礼者ヨハネの投獄があり、

 次に、

 タイミングを見計らっての処刑(謀殺)
によって、イエスの前に「神」の道を
整える「先駆者」としてのヨハネ像を
定着させることが急務な課題でした。

 『新約聖書』の四福音書の中で、最も
古く、最初に記されたとみられる 

  
 『マルコの福音書』www.paulus.jp

『マルコの福音書』では、冒頭から
こう書かれています。 

 神の子イエス・キリストの福音の初め、
    (マルコ 1:1)

 預言者イザヤの書に「見よ、わたしは
 あなたより先に使者を遣わし、あなた
 の道を準備させよう。 (マルコ 1:2)

 荒れ野で叫ぶ者の声がする『主の道
 を整え、その道筋をまっすぐにせよ』」
 と書いてあるように、 (マルコ 1:3)

 バプテスマのヨハネが荒野に現れて、
 のゆるしを得させる悔い改め
 バプテスマを宣べ伝えていた。
    (マルコ 1:4)

 つまり、イザヤ預言した通りに
洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、


      預言者イザヤ wikipedia

 罪の赦しを得させるために悔い改め
「洗礼」を宣べ伝えていたとして、

 「主が来られる前に使者を遣わして、
道を整える」とされる預言実現

 洗礼者ヨハネにおいて成就した
と言いたかったわけですが、

 しかしながら、この洗礼者ヨハネ
登場を『マルコの福音書』1:2では
「預言者イザヤの書」としていますが、

   
   火で唇を神聖にする預言者イザヤ
   (ベンジャミン・ウエスト画


 厳密には、2節は『マラキ書』3:1
『出エジプト記』23:20の引用で、


         『出エジプト記』message-station.net

 3節だけが『イザヤ書』40:3からの
引用となります。

 要するに、

 マルコは「見よ、わたしは使者を送る。
 彼はわが前に道を備える。 云々 ・・・」

 と続く、『マラキ書』3:1の使者と、

  
       『マラキ書』

 「見よ、わたしは大いなる恐るべき
 のが来る前に 預言者エリヤ
 あなたたちに遣わす。 彼は父の心を
 子に、子の心を父に向けさせる。

 わたしが来て、破滅をもって、この地を
 撃つことがないように」 (マラキ 3:23)

 と記された預言者エリヤの再来が、
いかにも洗礼者ヨハネによって実現
されたかのように仕立てたかったのです。

 それを補完するように、

 『マルコの福音書』1:6では、

 「このヨハネは、ラクダの毛衣を身に
 まとい、腰にを締め、イナゴと
 野蜜とを食物としていた」とされていて


           『エリヤ』www.newlifeministries.jp

 この独特なるスタイルエリヤ
それとまったく同じものであることから、

  「彼らが、『毛衣を着て、腰に皮帯を
締めた人でした』と答えると、アハズヤは
『それはティシュべ人エリヤだ』と言った」
    (第二列王記 1:8)

 この毛衣革帯という風貌を聞いた
だけで、誰もが「それはエリヤである」
と分かるように仕組んでいるわけです。


 『預言者エリヤ(またはエレミヤ)の肖像』レンブラント画
  (こちらのエリヤは随分とオシャレですが)

   
  『洗礼者聖ヨハネ』 1513-1516年
身体の線とラクダの毛皮が観察できる赤外線リフレクトグラフィー

 こうして、新たに

 イエスがプロデュースする片肺(単独)の
「イエス・キリスト計画」なるものが
始動することになったわけですが、

 その実態は当初より予定されていた「武」
によるダビデ的な解放者としてのイスラエル
の救世主である「イスラエルのメシア」
ではなく、「愛」「義」をもって人々
から救い出す「アロンのメシア」
としてのものでした。  

        ふむふむ。

       
      画像元 www.pinterest.jp

 こうして

 「アロン」と「イスラエル」という二人の
救世主(メシア)のうちの 

「アロンのメシア」になるはずだった

「洗礼者ヨハネ・キリスト計画」
は無惨にも頓挫してしまうのですが、


 

 果たして、その端緒、キッカケとなった
洗礼者ヨハネの投獄の裏に謀略
を見つけ出していたのが、我らが、


       出典:windychaple.com

 レオナルド・ダ・ヴィンチだったのです。



 『マルコの福音書』を要約すれば、
    (マルコ 6:14-29)

 イエスの名が世間に知れ渡り、ヘロデ王
(ヘロデ・アンティパス)の耳にも入った。

 数々の奇跡を行うイエスについて人々は
「洗礼者ヨハネが死者の中から生き返った
から、彼には奇跡を起こす力がある」とか、
「彼はエリヤだ」とか「昔の預言者のような
預言者だ」と言う人もいたが、

 ヘロデは自分が「首を刎ねたあのヨハネ
が、生き返ったのだ」と言った。

 実は、ヘロデは自分の兄弟フィリポの妻
ヘロディアと結婚しており、そのことで人を
やってヨハネを捕らえ、牢につないでいた。

 ヨハネが「自分の兄弟の妻を娶ることは、
律法で許されていない」とヘロデに言った
からである。


     ジョヴァンニ・ファットーリ画

 そこで、ヘロディアはヨハネを恨み、彼を
殺そうと思っていたが、できないでいた。

 それは ヘロデが、ヨハネは正しい聖なる
人であることを知って、彼を恐れて 保護し、
その教えを聞いて、非常に当惑しながらも、
なお喜んで耳を傾けていたからである。

 ところが、良い機会が訪れた。

 ヘロデが自分の誕生日の祝いに高官や
将校、ガリラヤの有力者などを招き、宴会
を催すと、ヘロディアの娘がその場に来て
踊りをおどり、ヘロデとその客を喜ばせた。


  『サロメ』フランツ・フォン・シュトゥック 1906年

 そこで、王は娘に、「欲しいものがあれば
何でも言いなさい。 お前にやろう」と言い、
更に 「お前が願うなら、この国の半分でも
やろう」と固く誓ったのである。

 娘が母親に、「何を願いましょうか」と訊く
と、母親は「洗礼者ヨハネの首」と言った。

 娘は大急ぎで王のところに行き、「今すぐ
洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、いただき
とうございます」と願った。

 王は非常に心を痛めたが 誓ったことでは
あるし、また客の手前もあって、娘の願いを
退けたくなかった。

 そこで、王は衛兵を遣わし、ヨハネの首を
持って来るようにと命じた。


    『洗礼者ヨハネの斬首』部分 カラヴァッジョ(1608年)

 衛兵は出て行き、牢の中でヨハネの首を
刎ね、盆に載せて持って来て、娘に手渡し、

 娘はそれを母親に渡した。


  ヘロディアとサロメとヨハネの首 www.wikiwand.com

 ヨハネの弟子たちは、このことを聞いて
遺体を引き取りに来て、墓に納めた。

     (マルコ 6:14-29)

 ということですが、
 
 何かモヤっとして、スッキリしません。

 それは文章に一貫性がなく、辻褄合わせ
に腐心した様子が窺えるからです。

 ヘロデは、自分の兄弟の妻を奪い取った
不道徳をヨハネに厳しく批判されたので、
ヨハネを捕らえて牢に投じたが、そうした
非難に妻のへロディアのプライドは痛く
傷つき ヨハネを殺したがっていたけれど


     ジョヴァンニ・ファットーリ画

 ヘロデはヨハネを恐れて保護していたので
殺せないままでいたが、そこに願ってもない
ヘロデの誕生日祝いの宴会の場という格好の
舞台が用意されたとしています。

 『マタイの福音書』14章にも、ほぼ
同じ内容の話が書かれていますが、

 『マルコの福音書』6章との違いは、

 「ヘロデはヨハネを殺そうと思っていたが
 民衆を恐れた。 人々がヨハネを預言者
 と思っていたからである」 (マタイ14:5)

 こちらでは、あきらかに、

 ヨハネを殺す意思がヘロデにはあったが、
ヨハネを慕う民衆の暴動を恐れて殺せない
でいたことがわかります。

  

 詰まるところ、『マルコの福音書』
『マタイの福音書』等では、唐突に

  

 サロメのおねだりという「流れ弾」
飛んできたかのように見せていますが、

 ダ・ヴィンチの推理は違いました。

 ヘロデが、異母兄弟のを奪い取る
という構図は、「二人のメシア計画」
から 単独の「イエス・キリスト計画」
に変更したことと同じ裏切り行為であって、

 その縮図が『福音書』のなかで暴露される
かたちで展開されているわけです。

 ここに、


        ヘロデ大王の家系図 zushikyokai.holy.jp

 「真実秘匿」表裏性があって、
異母兄弟としてのフィリポヘロデは、
洗礼者ヨハネイエス予型として
表現されていると推理したわけです。

    
    (ホンマかいな)

 時間を少し前に戻してみましょう。

 投獄されたヨハネは打開を模索する
べく弟子をイエスのもとに遣わします。


            獄中のヨハネと弟子たち wol.jw.org

 『マタイの福音書』11:2-6 より、

 獄中でイエスの起こす奇跡について
伝え聞いたヨハネは、弟子たちを彼の
もとに遣わして問いただします。

 「来るべき方はあなたですか、
   それとも他の人を待つべきですか」

  ― 曰く ―

 「(助けに)来る方はあなたですか、
   それとも他の人を待つべきですか」

 イエスは答えて言います。
              
 「行ってあなた方が見聞きしたことを
 ヨハネに伝えなさい。 盲人は見え、
 足なえは歩き出し、ライ病はきよまり、
 耳しいは聞こえ、死人は、生きかえり、
 貧しい人々は福音を聞かされている」

 「私につまづかない者は幸いである」
   (マタイの福音書11:2-6)

 つまり、ここでのやり取りを裏読みし、
穿った見方をすると ・・・

 イエスに対する救出の依頼(要請)と
考えられますが、イエスからの返答は、 

 すでにあなたの役目は終わったので、


              画像元:twitter.com

 「あとのことは自分に任せて 獄中での
   生活を甘んじて受け入れてください」

 と言うような非情な意味合いのもので
あったと読めてしまうわけです。


      画像元: tomoshibi.or.jp

 要するに、

 「行ってあなたがたが、見聞きしたこと
(奇蹟の数々)をヨハネに伝えなさい」

 「私につまづかない者は幸いである」

 あなた(ヨハネ)ではなく、私(イエス)
に躓(つまづ)かない者は幸いである。

 ここでイエスは、きっぱりとヨハネに
対して引導を渡しているわけです。

 あとは、「邪魔者」となったヨハネ
の処分をいつ如何なるかたちで執り行うか
のタイミングと、その手段や方法ですが、

 そこに ヘロディアサロメ

   Herodias with the Head of St. John the Baptist - Paul Delaroche - Wallraf-Richartz Museum - Cologne - Germany 2017.jpg
ヘロディアとサロメとヨハネの首(Wikipedia)

 都合よく絡ませているわけです。 

 そのことを端的に表現しているのが、

 

 『岩窟の聖母』に見られる
洗礼者ヨハネイエス入れ替え
(ポジションチェンジ)なのです。


 パリ・ルーブル版  ロンドン・ナショナルギャラリー版

 
  出典元 レオナルド・ダ・ヴィンチの小部屋


 ねえねえ、

 それって、昭和時代の日活映画、

 『邪魔者は消せ』
パクリなの

   邪魔者は消せ | 映画 | 日活
   画像元: www.nikkatsu.com

 いやいや、そもそも

 それが、1947年制作の英国映画、

 『邪魔者は殺せ』
     (原題 Odd Man Out)

 タイトルパクリなんじゃよ

   邪魔者は殺せ 〜 キャロル・リード監督らしいクライム ...
  画像元:nylife09.blog28.fc2.com

 それでイエス洗礼者ヨハネから
「メシアの証し」

   

 パクちゃったというわけね!!

 

 「だ・よ・ね !!

 でも、やはり「邪魔物」はキチンと
 処分しないとね

  

  断捨離、断捨離 ・・・

 ・・・ っておいおい

 
   マジか !?

 「膏そそがれた者(メシア)は
 断たれ、彼には何も残らない」

    (ダニエル書9章26節)
 
 そう預言されていたメシアとは、

  誰なのでしょう

 洗礼者ヨハネが、ガリラヤの領主
ヘロデ・アンティパスの手に落ちて


     『洗礼者ヨハネの斬首』カラヴァッジョ(1608年)



 斬首されるという悲劇に見舞われた
のは、AD28~29年頃のことでした・・・



 … to be continued !!
 

 果たして、

 本当子羊とは ・・・

   
    出典:muragon.com

 見よ、世の罪を取り除く神の小羊
    (ヨハネの福音書 1:29)

 
    出典:blog.livedoor.jp

           生贄にされる羊 webchapel.jp


『洗礼者ヨハネの首を受け取るサロメ』ベルナルディーノ・ルイーニ


 スケープゴート ボク、羊だよ、ヤギじゃないよ 

洗礼者ヨハネの頭を持つサロメ - Cesare Da Sesto | WikiOO.org ...
 『洗礼者ヨハネの頭を持つサロメ』チェザーレ・ダ・セスト


          『聖アンナと聖母子』部分 www.picuki.com

 「良い子ね、ヒツジさんをイジメちゃダメよ」

     
  画像元:www.mecadraft.com      出典:muragon.com


       『踊るサロメ』 フランツ・フォン・シュトゥック画 


 symbol2 ダ・ヴィンチの推理はつづきます。

コメント一覧

小吉
ヨハネとイエスが異母兄弟ということはわかった。

岩窟の聖母の絵の配置は興味深い。
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