龍の御歳後:徒然の記

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

私はまだ生きている。

2016-02-07 19:39:44 | 日記
師匠が逝去して、心は重い。でも、私は
まだ生きている。余り深く考えないで、
こなさなければならない日々の仕事をこなす
事を考えながら生きていく。考えても、考え
なくても、何時か順番は来る。
そんなに遠くない時期に。
しかし、高梨沙羅のように、あの歳で彼処ま
で活躍すると、人生、長いだろーな。
清原の人生も長いだろうけど。
人の注目を浴びながら、自分を見失わないで
生きるのは本当に大変。
高梨沙羅は、本当に凄いのですね。

私の師匠2

2016-02-07 18:16:28 | 日記
先程、逝去された。両親の死に目に会えなか
ったのに。初めてお会いしてから常に、しば
しば緊張しやすさは発揮していたものの、
高度な知能、強靭な体力、強い意志により、
世界の、、と言われ一時代を築いた人であっ
た。大衆受けした弟子や政治的に成功した
弟子はいたが、学問的には誰も彼を越えるこ
とは出来なかった。娘さんのご主人がノーベ
ル賞候補だそうですが、時期を失したらしい。
多分、孫たちが先生の夢を叶えてくれるの
だろう。立派な最後であった。

ただ、御冥福を祈るのみ。
本当に何時か人は死ぬのだ。

私の師匠は、

2016-02-06 23:04:46 | 日記
90才になり、MDSが白血病化し、熱が出て、
抗生物質が効かない。本人はとても優れた人だ
から、もう治療はいいと。緩和するだけなので、
それなりに辛い。やれるのはCDをいれたり、何
をやっているか分からない状況です。私の手は
冬はとても冷たい。毎回、お客さんには、手が
冷たいと小言をいわれる。まず、師匠を見舞う。
額に手を当てる。気持ちがよいと喜んでくれる。
仕事に出る頃は私の手もあたたまり、客の文句
も少ない。
36年前、初めて私を迎えてくれた彼は、やや
舌足らずの話し方でありながら、態度は堂々と
していた。勉強の基本は、当時でさえ、3000
ページくらいあった、ハリソン、セシルを基本
としてやってくださいと釘をさされた。とうと
う其処までは行けなかったけれど、今後も少し
ずつ前進しょうと思う。

講演のレベル

2016-02-06 22:22:48 | 日記
最先端のことを話せるほど勉強はして
いないけれど、研究者、実地家、一般人
に合わせてレベルを調整する必要がある。
いつも、最先端のことを、分かりやすく
解説することに意をそそいできた。
先日、時間がなくて、一般人に最も基本的
なことを確認させるような講演をしたとこ
ろこれまでで、最も反響があった。
人が何を求めているかを考えながら講演を
しなくてはならないことが良く分かった。

小保方本

2016-02-06 07:45:20 | 日記
晴子さんが言い訳本を書いたそうだ。
読んではいない。でも、色々な人の
話を聞くと、少し頭のよい、素直な
い言われたようにするだけの技術員
だったのだと思う。もう一度書くけ
ど、留学していたとき、アメリカで
は、一度に捏造論文を出すと、
the endと言われていたが、
バカンディ先生はどうだ。凄いね。
私のボスは、私がやった実験を7年間
塩漬けにしてしまいました。私の
執念も凄いから、諦めもせず説得して
漸く陽の目はみたけれど、掲載誌の
ランクは随分と落ちました。
うーん、残念。