8月25日撮影 平泉中尊寺
友達に誘われて、平泉に行って来ました。
中学の修学旅行で訪れて以来で、
覚えているのは記念写真に写っているこの場所だけ。
古いアルバムを取り出して見ると、
おそらくは石畳の手前、砂利道になっているところで
横に三列ずらりと並んで撮ったと思われるのですが、
石段が隠れてしまっているせいか、
両脇の樹木と覆堂が人物に迫って見えるのが不思議な感じです。
なにか嬉しいことでもあったのか、
私はとても機嫌よさそうな顔で写っていました。
さて奥に見えるのは金色堂新覆堂。
金色堂そのものは新覆堂内のガラスケースに収められており撮影禁止なので、
中尊寺の写真というと、今も昔もワンパターン。
覆堂を奥に臨むこの場所になるのですね。
金色堂の写真は中尊寺の公式ホームページで見ることが出来ます。
修学旅行の時は、友達とのお喋りが楽しくて、
たぶんまじめに見学していなかったと思うけど、
今回はじっくりと拝むことができました。
↑は移築された旧覆堂近くで佇む芭蕉翁。
『五月雨の 降残してや 光堂』は金色堂を訪れての句。
今は修復もされて、コンクリートの中で、
照明に照らされまばゆく輝く金色堂を眺めることができますが、
芭蕉の時代は木製の覆堂の中。
どのような光を見たのでしょう。
旧覆堂~阿弥陀堂~白山神社あたりを巡っている時に見かけたノシメトンボ。
このハスは金色堂の南側の道から見おろした窪地で咲いていたもので、
中尊寺ハスかと思いましたが、大池ハスなのかも。
草地に埋められたハス鉢で咲いていました。
中尊寺ハスは1950年の調査で藤原泰衡(奥州藤原氏四代)の首桶(!)から発見された
ハスの種子から育てたもの。
初めて開花に成功したのは平成10年。
種子の発見から開花までに50年かかったそうです。
大池ハスは大池跡の発掘調査で平成13年に発見された種から育てられたハスで
中尊寺ハスとは種類が異なるそうですが
800年の時を隔てて開花したハスであることに違いはありません。
どちらでしょう?分かりません。
友達に誘われて、平泉に行って来ました。
中学の修学旅行で訪れて以来で、
覚えているのは記念写真に写っているこの場所だけ。
古いアルバムを取り出して見ると、
おそらくは石畳の手前、砂利道になっているところで
横に三列ずらりと並んで撮ったと思われるのですが、
石段が隠れてしまっているせいか、
両脇の樹木と覆堂が人物に迫って見えるのが不思議な感じです。
なにか嬉しいことでもあったのか、
私はとても機嫌よさそうな顔で写っていました。
さて奥に見えるのは金色堂新覆堂。
金色堂そのものは新覆堂内のガラスケースに収められており撮影禁止なので、
中尊寺の写真というと、今も昔もワンパターン。
覆堂を奥に臨むこの場所になるのですね。
金色堂の写真は中尊寺の公式ホームページで見ることが出来ます。
修学旅行の時は、友達とのお喋りが楽しくて、
たぶんまじめに見学していなかったと思うけど、
今回はじっくりと拝むことができました。
↑は移築された旧覆堂近くで佇む芭蕉翁。
『五月雨の 降残してや 光堂』は金色堂を訪れての句。
今は修復もされて、コンクリートの中で、
照明に照らされまばゆく輝く金色堂を眺めることができますが、
芭蕉の時代は木製の覆堂の中。
どのような光を見たのでしょう。
旧覆堂~阿弥陀堂~白山神社あたりを巡っている時に見かけたノシメトンボ。
このハスは金色堂の南側の道から見おろした窪地で咲いていたもので、
中尊寺ハスかと思いましたが、大池ハスなのかも。
草地に埋められたハス鉢で咲いていました。
中尊寺ハスは1950年の調査で藤原泰衡(奥州藤原氏四代)の首桶(!)から発見された
ハスの種子から育てたもの。
初めて開花に成功したのは平成10年。
種子の発見から開花までに50年かかったそうです。
大池ハスは大池跡の発掘調査で平成13年に発見された種から育てられたハスで
中尊寺ハスとは種類が異なるそうですが
800年の時を隔てて開花したハスであることに違いはありません。
どちらでしょう?分かりません。
LUMIX GM5 + M.ZUIKO DIGITAL 14-150mm