カウカウタイム

日本で働くいち美容師がハワイでヘアメイクアップアーティストになるまでの日々の記録 2008〜2012

マンゴーの恐怖

2008-03-29 | 〜2011迄のハワイ生活記録
プランテーションのチャイナハウスの横には巨大なマンゴーの木がある。
マンゴーアレルギーの私にとって、奴は強敵だったので
いつも走って通りすぎていた。


これがその巨大な木


ハワイのマンゴーのポジションって日本の柿と似ている

と 私は思う。

わらわら やたらとなる所とか
よく家の庭に植えてあって、
遊びに行くとやたらもって帰れと勧められる所とか

決定的な違いは
ある種の人はマンゴーを食べるとかぶれる
と言うことだ。

日本で「マンゴーにかぶれる」と言うと、失笑をかうが
ハワイでは一般的らしく
「ああ、あなたもなの。残念ね」
と、やさしく同情してもらえる。

かぶれの状況は
まず唇がはれあがり、ちいさな水泡がびっしりできる。
いわゆるタラコクチビル状態

二、三日で収まるが
今度は、おしりが・・・・・

同じ体質の父が、友人のホームパーティーに招かれて
行ってみたら大きなマンゴーの木の下のテーブルで
ガーデンパーティだった
という笑えない話もある。
(次の日父は全身めんたいこになった)

一説によるとマンゴーは漆の仲間で
皮についている白い粉や
木からたれてくる白い汁が、かぶれを引き起こすとか・・。

それを聞いてから
木に近づくのも怖くなった。

でもマンゴーの味は大好きな私

何度もかぶれ覚悟でたべてみて
それでも体質は変わらなかったので
さすがに今は生のマンゴーは食べなくなったけど

マンゴープリンを食べるとき
どれだけ生の果肉が入っているかをチェックできる
人間バロメーター
の役割を果たしてます。
(何の役に立っているのか・・?)

そんな私の出した最終的結論

火を通した加工食品ではかぶれない

で、早速ミセスMの送ってくれたドライマンゴーをガッツリ食べて
次の日思い切りかぶれました。

旦那曰く
「普通、ドライフルーツってエキスが凝縮されただけで、火は通って無いだろう。」

ええ、そうですね。
気づかない私がばかでした。

そんな笑い話をしたら、友達がひとこと
「もう食べなきゃいいじゃん!」

納得・・・

というわけで最近はめっきり食べなくなってしまいましたとさ。




謎の料理 ヘカ

2008-03-21 | 〜2011迄のハワイ生活記録
突然ですが 鶏肉が好きです。
そしてすき焼きの甘辛い味も。
子供の頃はよく思いました。

「すき焼きの肉が、牛じゃなくて鳥だったらいいのに」


そしたらハワイにありました。
まんまの食べ物

それがヘカです。


具は鳥の他に、ネギ、タケノコ、椎茸、人参、マロニーなど
それぞれの家庭で若干異なるみたいです。

これをほかほかご飯にどばっとかけて
つゆだくで頂く。
はあ~ なんて幸せな味。

ボランティア先のプランテーションのランチに
日系2世のミセスMが作ってきてくれました。

Mさんいわく
「でもこれはハワイ料理ではない」
とのこと。

様々な人種の入り交じるハワイでは
お店や持ち寄りパーティーなどで
色んな国の食べ物を口にする機会も多い。

ただ どの場合も
これは韓国料理、フィリピン料理、と
出所ははっきりしている。
それは料理名を聞いただけで大体わかるという説もある。

では ヘカ(あるいはヘッカとも発音する)とは何語なのか

プランテーションには色んな人種のスタッフが出入りしていたが
「誰に聞いても解らない」と
ミセスMは教えてくれた。

材料からしてアジアなのは間違いない。
中国?タイ?はたまたマレーシアとか・・・?
とはいえマレーシア料理がどんなのかは知りませんが。

そんな小さな疑問もすっかり忘れたある時
日本の実家に戻ると
母が夕食にヘカを作ってくれた。

「懐かしいね、Mさんがよく作ってくれたよね」

一家でしみじみハワイの味を懐かしんでいたら
母がやはりあの問題を蒸し返した。
「でもこれっていったいどこの国の料理なんだろう・・・」

その時、思ってもない所からあっさり答えは返ってきた。

「へっかいうたら、広島の漁師料理じゃろうが」

恩年90歳の祖母がもぐもぐしながら続けた。
「懐かしいの、でも昔は肉はないけん、魚じゃったがの」

なんと!! 

考えてみれば
広島からはたくさんの移民がハワイへ渡っています。
その中にはきっと、漁師のせがれもいっぱいいたはず。

それが海を越え、少しずつ形を変えながら
ハワイのローカルフードとして定着していったのです。

まさか地元だったとは
不思議な気分だ。

ハワイから逆輸入されたヘカは時々
我が実家の食卓にのぼるらしい。

それから母は、その後ミセスMに再会した時
意気揚々とヘカのルーツを説明したらしい。



祝!開店

2008-03-14 | 〜2011迄のハワイ生活記録
もと同僚のK子さんが、17日にロミロミのお店をオープンすることになったので
他の友達と共同でお花を送ることにしました。



彼女とは2年前一緒にハワイに行って以来、県をまたいでお友達づきあいさせてもらってます。

一緒にハワイに行った目的は、お互いの友人に会う事と
これからの人生の方向を考えること(大げさだけど、平たく言うとこうなった)

当時私は自分が何をやったらいいか、考えすぎてわかんなくなってて
迷いつつもちゃんとした目標が見えているK子さんが
とてもうらやましかったのね。
彼女には彼女なりの迷いや悩みもたくさんあったと思うけど・・・。

毎晩、ラナイに椅子をひっぱりだして
遅くまで色んな事を話し合いました。
なんだか学生時代にもどったみたい。
ああ、前はよく朝まで友達と
しょーもないことしゃべってたなあ。なつかしい。

一緒に旅行をした関係って
不思議な間柄になる、と
私は思います。
同じ釜の飯を食うと言うか、ちょっと違うか。
少し家族っぽく感じてしまうのは、私だけでしょうか。

ともあれ
2年前、一緒に悶々とハワイの夜空を眺めていた友人は
無事、自分の夢の一歩を踏み出しました。
お店をやっていくって、すごく大変だと思うけど
がんばってほしい!!

わたしも負けずにがんばるっ!
何時か来るハワイ生活の為に
英語の参考書をめくるのでした。

ところで、改めて思うのですが
インターネットってホントに便利

ぴぴっと入力で好みのお花を手配できた。
世界各国贈れるらしい。
もしハワイ指定にしたら
アレンジや花束の他に
レイを贈るサービスとかあったらいいなと思います。
 

ghostとオバケ

2008-03-12 | 〜2011迄のハワイ生活記録
ほとんどの時間を
日系のおじいちゃん おばあちゃん(ごめんなさい)達と過ごしたせいか
私の中のハワイは古き良き日本文化とアメリカのカジュアルさ
アジアの熱気と島国独特のゆるーい時間がMIXされた不思議な所です。

前にボランティアで時々通っていた施設で
日系人のおばちゃんがなにやら英語でしゃべっていた。

「***OO=、おっばっきぃ!*O*O」
「OH!! おっばっけい?! *O*O~~!」

なんかいま おばけと聞こえたような・・・
あの~、おばっけって あのオバケですよね?
ゴーストって言わないの?と聞いてみたところ
「なに気取ってんのよ」と笑われてしまった。

ツナミ ベントー ゾーリ なんかはすでに定着した日本語英語ですが
「オバケ」は知らなかった・・・

そこへ偶然通りかかった若いスタッフにおばちゃん達が同意を求めた。
「ハワイじゃ常識だよね~」

ところが 彼女は
What?? I don't know.」
なんで?! どーして知らないのよっ!?!
と、攻撃の矛先は彼女に向けられてしまった。

でも知らなくて当然でした。
3ヶ月前にアメリカ本土からハワイに転勤になったばかりだったそうです。

おばちゃんたちいわく
「オバケを知らないようじゃ、まだまだだね」
だそうですが
やっぱりそれってハワイと日本でしか通じませんからっ!

ちなみに私は日本に帰ってから
英語の日記に何度も SHOYU と書いてしまい
その都度先生に赤ペンで思いっきりなおされていました。

だって・・ハワイじゃ誰も
soy sauce なんて言わなかったんだもん

はじめまして

2008-03-11 | 〜2011迄のハワイ生活記録
この木なんの木を下から見たところ
                   


今日からブログ始めることにしました。あぎこです。

ええと・・実はあんまりパソコン得意じゃないです。
ここまでつくるのにもかなり四苦八苦しましたが、
これから少しずつ毎日のことや、大好きなハワイでの小話を綴っていけたらと思います。


数年前、少しの間ハワイに滞在しました。
3ヶ月という短い時間にも関わらず、たくさんのヒトに会って
色んな経験をさせてもらいました。

そのひとつひとつを誰かに伝えたくて
私は毎日せっせと絵日記を描いて 日本の家族に送ったのですが

最近それらを読み返してみたらなんか楽しくって
家族以外の人にも 自分勝手ながらおすそわけしてみたくなりました。
このブログはそんな理由でできました。

今の私は、何とか大好きなハワイでの生活を手に入れる為に
やっと重い腰をあげて動き出したところです。

ホントに無事やっていけるのか
ちゃんと生きてるのか
私の家族や友達はこのブログを通して確認してると思いますが


単にハワイが好きな人
行ったこと無いけどちょっと興味ある人
または私みたいにいつか住んでみたいと思ってるハワイ中毒の人に、すこしでも楽しんでもらえたら幸いです。