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あげちうのブロマガ

あげちうの日々の色々な事

否定された世界からの否定

2019-11-18 12:08:08 | インポート

かなり深刻ではある。

「我々の方が正しい」

”彼ら”は、その態度を崩してない訳だ。

”それ”は、平成に、いや令和になっても、「王の権威」を持つ、或いは「大賀さん」それを設置した、”それその物へ向いている”訳だ。


”それ”が機械化された今も、「王の権威」大賀さんの決定は変わらず、そして”彼ら”はその態度を崩してない。

今の”自分”としては、大賀さん、その決定に問題がある、とは言えない。
しかし、”それ”で有る限り、彼らの否定はそこに有る訳だ。

状況に問題がある?のは。更に「大賀さん」それにとっても、彼らの存在は意味がある事だ。「大賀さんの決定に逆らう」その時、バットマンは必要とされ、そして或いは彼らの存在があってこそ「衝突」右か左か?の対立も発生する。そこで一面では「無意味な浪費」を消費してこそ、それは”大賀さんの糧になる”訳だ。ちょうど、「デス・ストライディング」のプレイヤーキャラが抱えている赤ちゃん?の様な有様ではある、「大賀さん」その視点では、だ。それが暴れる時、そこからエネルギーが発生し、プレイヤーは、「大賀さん」は命を長らえる事が出来る。

世界はまだ、危機的状況である。「王の権威」それに打開を求められているなら、プレイヤーは例え単なる配達人でしかないとしても、世界の崩壊へ立ち向かわねばならない、訳だ。

「無理でしょう?」

…不意に、そこに何かの断言はある。

世界の崩壊は止まらず、プレイヤーは困難を前にダメージを受けつつ、やがては抱えた赤ん坊ごと、何かの破綻へ陥る、訳だ。何かの絶望へ挑む様は、或いは彼らが背負った物、だろうか。物語的にはともかく、今の状況で良いイメージはあまり、無い。

…ここは、昭和天皇の否定を受けた奈落、である。
それは今もまだ続いていて、重い窮乏と危機感と共にある。
彼らはとにかく、”ここ”で勝たねばならない、訳だが。

これは自分にとっては「先輩」方の世界、ではあり、そして、実は自分の設置した「大賀さん」それによって発生した世界、でさえある。

誰の責任だ?

返答に窮しつつ、思う。
「大賀さん」プレイヤーの人々は、そこで何を視ているのだろう。

「正しさ」それは、何処に。



奈落の底に有るモノ

2019-11-18 08:07:57 | インポート

状況は深刻だ。


共に、或いは昭和天皇のオーダーと言えるアイディアだったが、現場は期待通りには創らなかった。

それは或いは、「ゼビウス」そこから始まった。
それは王の権威、昭和天皇にとっては「戦死者らへの侮蔑」でさえあった、戦闘機が被弾したらその時点で失敗である。”次は無い”のだ、「3機あります」それは、無い。

しかし、業界?それは、”それ”を「問題ない」としてしまった。

やがて、「メタルギア」が創られた。
それは王の権威、昭和天皇にとっては「他者の妻を略奪する」そう言うモノでしか無かった。”それ”を業界は「問題ない」としてしまった。と言うか、解らなかった。彼らはそれを娯楽として楽しい、そう言う感覚を持っていた訳だ。

結果、昭和天皇は”ここ”に、或いは奈落とさえ言える様な否定を置いてしまった。

お前らの作品は買わない、絶対にだ。

”そこ”に居たのが、多分、今の50代である。
結果だ、平成は昭和の遺産を食いつぶしても、天変地異に金融危機と、借金しか残っていない。

理不尽、ではある。
一人の不評を買っただけで?それは創作者としての道を閉ざされたのだ。

「そんな体制間違っている!」

それは、彼らの正義には成るし、体制側にしろ、反論はし難くかった。
時代の問題でもある、天皇制への否定、それは強かった。
それでも「王の権威」それは、昭和天皇の元に有った訳だが。
その狭間で、深刻な断絶の末に、何かの悲劇は有ったのだろうか。

…しかし、”彼ら”はつまり、国を護る気も無ければ、或いは倫理も持たず、法を護る意識さえ無いのだ。
昭和天皇の怒りは、そのまま、”ここ”に残っている訳だ。

現状の感覚としても、”彼ら”が関わる限り、そこに価値は発生し難い。
「価値が発生しない」だけだ、買わないだけ、それ以上の事はしない。
”この”視点では正に、「無能」そのレッテルしか、そこには無い。

深刻だ。

そんな彼らが、或いはまだ、前にいるのだ。


ネジの中に埋もれたモノ

2019-11-17 08:13:16 | インポート

無理はある。

「破産した人からお金は取れない」のだ。

シニア世代に事実上「人力発電機」それが無い?と言う事は、つまり事実上、”そこ”は破産状態にある、そう言う事ではある。現在の構造を図解するとこんな感じ。



この時、「多くのシニア世代には人力発電所が無い」ので、お金を求めても入金し得る場所が無い。発電の適当な対価、としては、消費者が300円稼げば創作は二つ買える、と言う程度が”適当”だろうか。「創作は作るだけ増やせる」時、消費者の元には、差額の+100円分が増え続ける、事に成る。もちろん、創作者も発電所も、お金は得続ける訳だ。もちろんこの全体の構造は”存在するだけで”或いは数十円の対価を「消費」し続ける事には成るが。

「創作者」それは、生産行動に携わるなら「全て」だ。農業も勿論含まれる訳だが、特にカルチャー的な創作は、”作者の労苦以上の消費が少ない”ので、お金を発生させる事を考えた時、大きな意味がある(食糧生産は逆に”むしろ消してしまう”為、経済には最終的にはマイナスに作用する事が多い)。この全体構造が上手く廻る時、この供給量によって経済活動の活性化が変わってくる、訳だが。

なのに、表の状況として「人力発電所が無い」のだ。

タイムリーと言うべき、だろうか。松本零士氏が、訪問先のイタリアで急病、と言う話。「銀河鉄道999」で、ネジを生産する惑星、と言うのがあったが。あれで「ネジが一本足らないので999が動かない」と言う話がある。今の状況には”アレ”が欠けている、様な感じ。「必要なネジを創る」事で全体が動く訳だが、しかし多くの読者は思ったろう。

自分はそんな仕事嫌です。

昭和の問題ではある、この結果、人力発電所は今もまだ、”閉鎖”状態にある訳だ。良くも悪くも、被災地その他が面倒な状況な時、呑気かともかくイタリア旅行とは優雅ですな、そう言うのは有ったのかもしれない、因果はどう廻ってくるか解らない。昭和の創作、そこに欠けた要素とその責任は、相応の重さはある、筈。

ともかく幸いか、今の所は大事には至っていない、らしいが。

とは言え、昭和の頃は、あの漫画を読んで、しかし逆にネジ惑星は閉鎖された訳で。或いは、”そこ”に松本零士氏は居ないから、かもしれない。「俺にはやりたい事があるんだ!」それが優先された結果、構造は大きく歪んでしまった。

結局、戦争それは、その「俺には!」同士の衝突でしかない訳だが。

表は結論として、だから破産状態にはある。構造の改定の結果だろうか、一応「人力発電所」それへの否定感も理解としては今はあまり、無い。搾取されるだけじゃないから、だ。今までは、「先生」がネジ惑星でネジを創る事はほぼ有り得なかったが。今は何処か何かで回ってくる、それを否定する時。

神様は、負債を回収に来るのかもしれない。




人の中の悪魔と自身のそれ

2019-11-16 08:05:22 | インポート

暗黒は、ある。

美しい映像だ。

しかし、ここに登場する「艦これ大和」が、実は20年前に既に存在してた、と仮定すると、そこには何があるだろう。

”それ”は不当な理由で市場から否定され、隠蔽され続けていたのだ。もちろんその間の収益は無く、当人は生活苦の中に居て、或いは引き籠り、そのレッテルの中に有り。

しかし、そうなった理由が、実は違う存在が、彼女から何かの創作を盗んでいたから、だ。その存在はそれにより財と名誉を得たが、しかし発覚を恐れ、彼女を異様に敵視し、デマを広め、或いは死を願っていた。こんな漫画まで描かれながら、だ。

彼女の苦闘の結果、それは前に現れた、のだけど。

その20年と言う月日を、彼女は、否定の中で過ごしたのだ。

そこに、何があるだろう?


本人にも、耐えられた理由それはある。納得もしている?にせよ、失った月日は重すぎる気はする。今まで前に出ていた存在”その全て”が、彼女の敵である。信仰により、それらの否定は出来ないだけだ、が。彼女の望む自由、それは何を齎すか。侮蔑と否定から入るのだ、自身がされ続けた様に。

「そんな事考えてませんよ」

彼女は、そう笑うかもしれないが。
加害者は、そうは思えないだろう。


「ピエロ役を耐えられねば、ナンバーズは名乗れない」とかは思う。時にはそのまま悪役になる、と言うのもパターンだ。しかし、笑えない冗談、そう言うのはこの時、結構ある。実際問題、彼はこんななりをしていても「プロデューサー」なのだ。

「選ぶ側の人間」である、本来は。
彼自身がそれを笑っていても、不意に”そこ”に否定は、もちろんある。

良い事か悪い事か?はともかく、本人の思惑と、世間の視線は多くズレがあって。表側、「テレビ主体」側は重い階級社会だ。それに対して、インターネット側は、そう言う意識が薄くある。その間の理解の衝突、それはそこに懸念の様なモノとしてはあるのだ。

艦これ大和、彼女は何故、そこまでの枷の中に居るのだろう。


墓の前でそれは呟く

2019-11-15 11:32:49 | インポート

一応、感覚の発生はある。

「ゲームをクリアしたら500円貰えます」

ただ、1プレイ100円ですけど。

なら、100回くらい投入してクリアしたら、後はクリアするだけで+400円が”発生”する?つまり、後25回位プレイすれば、元は取れる計算な訳だ!

20回も遊んじゃった、2000円返して(´;ω;`)。


「心が折れる瞬間」それは有る。結論と言うか、そうなってしまったら、それは単に、「2000円を無駄に浪費しただけに過ぎない」訳だ。”得られるモノが無かった”時、そこは失意になる、酷いと「二度と遊ぶか」そうなる、”ここ”に可能性が消失する時、”ここ”は、禿げる。

「って言うのでは、人気が出ない」訳で。


「500円が発生する」それは何処に?と言えば「プレイヤーの中に」、だ。労働意欲、働く理由、必要性、ともかく価値?意味、そう言うのがそこに有る時、なら、”500円分の労苦は”耐えられる。なら鬱病に成らずに、その職場へ向かう事は出来る。それが例えウーバーイーツの様な単純労働?でも、だ。

”発生しないゲーム”作品では、それは更なる憤りを呼び、或いは怒りさえそこに産んで、危険衝動の原因には成ってしまう。

「美鶴さんの長い妄想」それは、それでも一応はRPGだ、ほぼ間違いなくクリア出来る、”それ”は確約し得る。その上で、500円の発生、それは期待できる、”この”世界には人力発電機、それは”ある”からだ。なら、その単純な労苦は無意味では無い、十分仕事として意味を持つ。

少し、抑止はある。

今まで、”ここ”に有ったのが「メタルギア」だ。これは或いは酷かった、特に女性への「金が無い?」の後の扱いがどうにもこうにも耐え難い何かだった訳だが。作者の小島氏はコナミを退社した、それは”ここ”に居る資格を失った、訳だ。そう考えれば、差し替える、それは意味があって。

しかし、”それ”は或いは慶応その他の「上級市民」その領域を背に、何かの存在感を今も見せては居る訳だが。

「スペースマンボウ」このゲームも、結論で「発生しないゲーム」ではある。誘い込まれてクリアまでプレイした後に、実は何も無い。コナミは当時、こんなゲームばかり作っていた時代があって、その頃の騒乱は、何だか想像すると面倒だ。しかし、テレビにとっては、彼は正義を貫かんとする英雄、だったのかもしれない。

テレビは今も、面白くない。