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あげちうのブロマガ

あげちうの日々の色々な事

とある決定するそれは誰が?

2021-03-16 09:06:10 | インポート

混沌は一つ晴れた、部分も有る。

「同じ決断をする」からと言って、”それ”は同一人物じゃないのだ。

最後の全否定?に、答えは出た、だろうか。

状況は、良くも悪くも変わっていく、プラスも有れば、マイナスも有って。
先人の心残りは、それを受け継いだ者には、同じく課題として残っては行く。
ともかく今の事態に至る原因を、王の権威も含め人類の誰も「解らなかった」のだ。

その時、誰に責任を問えるのか。

見える範囲の、その混沌は、「ゼビウス」から始まる。

「ゼビウス」は売れなかった。
「グラディウス」は大ヒットした。
「ダライアス」は成功した。

「なんで?」

それを、平成が終るまで、誰も解らなかったのだ。
だから、平成に入って、ゲームセンターは終わってしまった。

理由は、
ゼビウスは、王の権威だった「昭和天皇」のオーダーを、十分満たせなかった。
グラディウスは、ゼビウスのオーダーを横取りする形だったが「正しく」描いた。
ダライアスは、しかし「次の」王の権威だった存在の絵画を足場にして、成功した。

昭和のヒット、それは「王の権威のオーダーを満たす」そこに、集約はしていく。そう言うモノだ、と思えば少なくとも日本国内なら納得もある、が。しかしそこにダライアス、という例外が発生、混沌が起きた、と思われる。”それ”は昭和天皇とは縁もゆかりもない存在の絵画だった訳だが、それが成功?した事で、そこに何かの理由が出来てしまった。

そこに、何が有るのか。

その追及はでも、良い結果を産まなかった訳だが。

ともかくこの結果、業界は混沌に支配され、その追及の先に悪夢も発生し、それを全否定して、そこに奈落は起きた。ともかく重大な話だ。「王の権威の”内輪”に成らない限りは売れる創作は創れない」時、女性には、そこに重大な問題が発生する。

ちょっと趣味が合わないんですけど。

にも拘らず、趣味の合致する奴も”それ”と同じ事を言う時、自分はどっちに行くべきか。

「大賀さん」この存在あっても、”この”混沌は今も或いは、晴れていない部分はある。

表現が有ってるのかどうか。

双子の女性が居る。BAとBB。
男性Aは、BAと結婚した。
男性Bは、BBと結婚した。
しかしこの時、BAとBBはほぼ同じ趣味を持ち、同じ決定をする。
男性Aの妻とは、BAなのか、BBなのか?とか。

双子の男性が居る。BAとBB。
女性Aは、BAと結婚した。
女性Bは、BBと結婚した。
しかしこの時、BAとBBはほぼ同じ趣味を持ち、同じ決定をする。
女性Aの夫とは、BAなのか、BBなのか?とか。

いや、女性Aの夫はBAで、女性Bの夫はBBだよ?

これを言って良いのか?と言う話ではある。当り前が、その暗雲たる環境では解らなかった、と言うのは面倒な問題としてはある。ともかく?BAとBB、両者の決定は”同じ”だ、「女性Aの夫はBAであり、女性Bは私BBの妻だ」そこに問題は無い。BAとBB、どっちがマスターでどっちがスレーブなのか?では無く、両者は「同じ決定をするだけの別の存在」両方ともマスター、な訳だ。十に三を加算したら?10+3の答えは?二つは同じ結果を出している。

紛争解決機構としての条件を満たすなら、それは違う物でも同じ決定をする筈である。

その先の話。

具体例が出来た、という事、だろうか?

これでも、ストリードとほぼ同じ結果を見せる、という事かも。

現状も、「ガンダムが複数ある」状況ではある。
”どれでも良い”のだ、ガンダムで有る限りは同じ決定に至る、筈だ。
中にはガンダムを名乗らないガンダムもある、それであっても。

何はともあれ、結果でしか解らない。

結果は、何処。

千人の「良いね」の値段について

2021-03-15 09:05:44 | インポート

何はともあれ感覚の徹底から、ではある?

「良いね」したなら、買え。

では無い。

問題なかったら「良いね」で良い。金が無い人に買わせる理由は無い。
ただ、「良いね」した上でお金が有るのなら、払うのは道理であり、義務だ。

それは”普通”ではあるまいか。

「PS5いいね、余裕が10万位あったら買ってるなぁ」

無いなら買わなくて良い、ただ、「良いね」まで否定する必要は、ない。

感覚で今まで、「良いねしたなら買え」そんな強制力?そう言うのは結構有った、気はする。昭和天皇から続く?感覚だろうか、「悪いのは全て私である、私に責任がある」しかし?実際に太平洋戦争での主犯は軍部で有り、天皇陛下は相手の剣呑に押し切られた、そう言う絵の方が、リアリティだ。幸い、だろうか。ともかく勝つか負けるか、で言えば勝利はした、のだ、日本は何とか助かった。故に天皇制も継続した、天皇陛下も最終的には責任を問われなかった。ただ、無茶な妄執に囚われた、それは軍部に責任はある。

しかし、とは言えそんな経緯で「太平洋戦争の勝者」となった昭和天皇の”決定”である、それは、末端にしろ逆らい難くある、責任者?は責任を取る為に居るのだ、どれだけ巨大な負債だろうと、背負わねばならない?

それは無理だ。

果たしてと言うか、その流れの強制力が、末端に娼婦、犠牲、それを呼んでいた、のは一理はある。男性は女性に比べて土壇場での断言に弱さはある、その時、妻の存在は重い。その時、その決断をしたのは誰か?と言う時、不意に、妻への、或いは自身の上位の女性、それに責任が廻ってしまう、そう言う状況は実はある、権威に対して意見し得たら?それはもう、その権威より上位だ。

そう言う流れを「男性は多、女性は個」「多の責任を個に廻してはいけない」それらは、一応は形式上、弱める事は出来ている、筈ではある。

その上で、”雅”市場での支払いは、「良い」=「購入」では、無い。「良い」の量を、お金を持ってる人々が分担して支払う形式だ。意識を変える必要がある、見える範囲で1000人位が良いね、したら1000人の客が居るのではない、”それは1000円”だ。もっとマクロに、日本の100万人位が「良いね」しなければ、それは100万円の換金へ可能性は、無い。

この道理でしか、今の所は安定した換金が無い、”気は”する。またそうで無ければ、末端程高額を吸収され潰れてしまう。そこに未来は無い訳で。世界が、既存の「金本位制での」借金の返済へ、ロードマップを示せないなら。それはもう責任を取らねばならない、「基幹と考える事は出来ない」のだ、価値の感覚は今、”雅”市場、実際にはそこに有る。

大衆に支払って貰えば、お金は幾らでも出る。
ただその為には、大衆、”神”が求める物を提供せねばならない。

自分にとって有益である物が高い換金性を持つ事は稀である。この分野で働こうと思うなら、その理解は必須だ、買うのは自分では無いのであり。

当り前、だが。

それはどれだけ、シニア世代にストレスを与えるモノか、それはまた、別の懸念。


政治家と言う存在と理想の世界

2021-03-14 08:53:11 | インポート

政治家が、居る。

「存在感が出てきた」のは、良い傾向なのだけど。

最近か、小泉進次郎氏が、ちょっと声を出してはいる。環境大臣として、環境の改善を推進する一環として、「マイ箸を持つべきだ」そう言う事を言い出している、様。色々と発言の微妙さ?で近年は話題に成る事が多い、が。それでも、不意に、だ。それは「政治家の」一つの意見、なのだ。

”それ”以外では、国は動かないのだ。

「立法府がある」と言う、それを不意に意識した、のは近年としては非常に稀?な状況ではある。今まで、「エヴァンゲリオン」でも出てきたが、「政治は傀儡でしかない、政治はマギ(コンピュータ)がやっている」と言うのが、割と理解としては当り前?だったと言う、しかし不意に、異常な感覚があった、事に少し気づいたりする。エヴァンゲリオンが一つの結末を見た、それによる変化か、それとも。ともかく?「国を動かしているのは政治家である」至極、憲法的にも当り前な、そんな理解?事態が、何だかリアリティを持ちつつ。

”ここ”で一万字書き込んだ文章よりも、政治家の一言の方が、環境への影響が重いのである。

当り前だ。

それがなんだか、そうでも無い感覚があった…それは、不意に気づく異常の一旦かもしれない。


「マイ箸を持ち歩け」と言われたら?マスクの如く、「なんで持ってないの?」的なマイ箸警察が発生する、訳だ、そしてそれに何かの強制力、それが発生する。企業側も、”それ”に準拠する事が求められる。今の状況だと?この辺が極論化していく感覚はある、携帯電話を持ち歩く様に、マイ食器にマイバックはお出かけに必須であり、そして、”それ”に携わっていた産業は、それだけで職を追われる可能性さえ有る訳だ。

マイバックでさえ問題になった、衛星面で問題はある。
単純な一面だけで、それを推奨は出来ない筈だ、がしかし。

政治家がそう決めてしまえば、国民は従わざるを得ないのだ。

良い世界か悪い世界か?ではある。ともかく、「誰を立法府に送り込むか?」が、非常に重要な事だ、と言う感覚に成ってきた、”それ”は世界レベルで正常、ではある。状況を変える為に出来る事は何か?その時、政治家の選択、”それ”は大事なのだと、少し実感する訳だけど。

レンタル食器ってありかもしれんよね、1000円位で「買い取った」形にして、店に使った後の”それ”を持っていくと、別の洗った奴と交換してくれると言う。

とか、そう言う事を考えてしまう部分は、少し自分も暴走気味な、そんな感覚はある。

割り箸に未来は無いんですか?!

腐っても、自民党だろうか、少数を切り捨てる、そう言う感覚はまあ・・・ある。


自分も、創作での利益性、”それ”を重視するあまりか、「政治は政治家がやる物」創作は単なる「だったらいいね」”まで”の漫画でしかない、とは言い切ってしまっている?が。果たしてこの状況とは、「大賀さん」その存在あっての話、だろうか、それとも。

「良い世界」とは、果たして。



世界を支えてきたと言う自負の暗黒

2021-03-13 12:16:53 | インポート

夢オチは、何故否定されたのか。

その結果、そこには奇妙な奈落が存在し、そこに少し、住人が居る。

そう言う意味では、「けものフレンズpv3」のネタも、結論で言えば「殺している」と言う視点はある、変質を始めたカバンちゃんを、一度”作り直している”のだ。現在の「けものフレンズ3」その10章までの展開でも、一応その影は見える、ドールは自身を犠牲にしてセルリアンを倒すが、自身は元の動物に戻ってしまう。蘇るが、それは元のドールでは、無かった。

けものフレンズは、元々の”土台に成ったモノ”が、今の想定では「薫風と菫の動物園」だが。という事はつまり、フレンズらは「娼婦の比喩」なのだ。彼らを「動物だ」と見てる意識が、その奈落に陥り自滅した、それは、そう言う小話でしかないし、それは単純に「漫画」だ。

「漫画だから」そう、言えない意識がしかし、想像以上にか、重く淀んでは居る。


それは全く、「脱出できない脱出ゲーム」みたいな感覚、ではある。物語的には「そう言う意識で居れば、最後はそうなってしまうよ」的な、教訓か戒めの様なモノ、だ。脱出できなくて問題ない、ただ?この時この場に有る意識に、そこに居る罪の意識は無い。

風俗関係に良く行く、という事が問題では無く、相手を人間とは考えてない、だから犠牲にしても構わない、そう言う意識の問題、だ。

まあ、漫画だから。

ちょっとしたホラーとして面白い、という程度はしかし。不意に何かの重い抵抗を前にはする訳だが。

最近再び、「ウマ娘」その台頭?で、この辺の感覚が再燃している、と言うのはあるのかもしれない。「人を動物扱いしても良いんだ!」とか、そう言う何かの、既存の権力者、実際には有るその重い暗部、だろうか。既存の自由市場では、お金は増えない。その時、切り捨てるそれは、相手を殺して食う、それに通じていく。

”その”罪を問われている、訳だが。

幸か不幸か、”ここ”が状況での、最終的な「倫理の頂点」だ。「漫画だから」を言えない場合、それは結構、重い悪夢を背負う事に成る、と言う事だろうか。LGBTも自身の理解では、精神異常の一種だ、どっちにしろ自身の、種の保存的、未来の有無で言えば”それ”は途絶えている訳で。しかし、結果として彼らは自身の未来を世界に捧げる、という大役?を果たしている事になり、”それ”に依存してきた”今まで”がある。

生贄と見るか英雄とするかは、個人の感覚ではあるが。

酒やたばこをたしなみ、風俗に行って、そうしてストレス?を発散してきた世代と。
言えば漫画やアニメ、ゲームで”それら”を発散してきた世代と。重い溝は或いは。


少数派の声ではある、しかし。

自分の親だったりしたら。



お金を前にある正義と理想のストレス

2021-03-12 11:06:20 | インポート

経緯の問題もある。

「一夫一婦が至高」正しい、「かむろぎ」はそれから単純な否定を向けられやすい。

世間一般では「妻は一人、そして愛人、妻以外とは浮気であり、好ましくない」という理解が常識だが、かむろぎでは、「妻が複数居る」それは許容している、”妻の同意”がそこに有る限り?一夫多妻は問題視、されないのだった。

経緯の様なモノとしては、”この”ネタが割と親和性が高い、訳だが…当り前にある「どっちを切る?」をしないまま、この環境は大きくなった?のであり。経済の回復、創作の理想、そう言うモノとしては「犠牲を出さない」その選択は正しく、それ故に、表側のメディアに否定されていても、「かむろぎ」は膨らみ続けた、という経緯はある筈。逆に、それを否定し、恐喝的な態度をしていた?表のメディアが衰退していった、それはこちらにとっては道理、ではある。

…しかし、世間一般の同意?が直接的には得られないのも、それはそれで深刻な現実ではあって。

理想、「目指すべき未来」それとして、「商店街が総じて流行ってる光景」それは、相変わらず至上命題ではある。”そこ”に居る限り平等かつ公平な権利を有し、その上で切り捨てを創らない環境だ。故に?一応、「かむろぎ」では「売春」それに相当する産業?には…否定がある、いらない。理解として売春とは「強奪連鎖による切り捨て」の結果でしかない、という把握が有り、故に大きな違いとして「アダルトビデオは女性だけで撮影する」のが正義、ではある。どんな形であれ、男性がその環境に居る”それ”は売春扱いに成るのでダメだ。その結果、風俗産業は総じて、罪人的に好ましくない、扱いにはなる。


この、「既存メディアの否定」と、「風俗産業の否定」は、やっぱり懸念としてはある訳だ。結局?”ここ”での創作は、既存メディアには受け入れ難い物には成ってしまい、逆に”そこ”での方向性はかむろぎ側には多く「いらない」そう言う物に成りやすい。更に重い思想がある。

大衆は神である。

その意向を捻じ曲げる行為は犯罪である。

この結果、「カウンタ制御はしない」のが、一応の不文律として有る。盲点かもしれない、「+方向のそれは否定してない」利益を得ようとすれば、”それ”は費用対効果が悪く自滅するし?例え数値が低いからと言っても、一番で無ければ成らない訳では無い、生活し得る分だけポイントを獲得し得ればそれで問題ない、と言う把握だったが。それでも”それ”が無い訳ではないのだった。アメリカ大統領選は”その”応酬だった感じもあり、この辺にも、混沌と疑念は残っている、のかも。

利益性を盾に、”これ”を既存の社会に持ち込む、それは出来るのだろうか?だ。

とは言え、「かむろぎ側には新型コロナウイルスの被害は発生していない」と、言って良いか悪いか解らない結果も、(多分)ある。何故か?と言うと新型コロナウイルスは、「強奪連鎖の結果として発生するから」だ、と言う解釈ではある、かむろぎはそう言う事は起きてない、訳だ(多分)。既存の方法論による市場経済のストレスが、特に売春婦を産む行為、意向、それが、”それ”を活性化させる、そう言うのを、かむろぎは否定する。しかし?それは結果的には、カラオケでの暴走的熱唱、そう言うのにダメ出しをしたりはする訳だ。

視点では、かなり窮屈な環境、かもしれない。

昭和の頃の様な、ああいう熱狂はもう、今は許容されない。商店街の中に突如巨大なデパートが出現し、周囲の客を全て吸い上げる!と言う、それは良くないし、経済的発展をむしろ阻害する。しかし、その理解はつまり、既存の経済、それに対して重くダメ出し、「あなた方のしてた事は犯罪です」そうまで言う訳だ、昭和の継続?それはもう、古くて汚くて使えない。

その時、氷河期世代それは、更なる苦境に陥るのかも。

正義は何処に有る物か、それは今も、混沌とはしている。