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あげちうのブロマガ

あげちうの日々の色々な事

優秀と幸運と不運とその他

2021-03-20 08:41:43 | インポート

少し疑念はある。

これは、古い方法論だろう。「大賀さん」がある事により、”それ”に不意に許容が出てきた、のだが。それでも、そこには問題もある。

「試行錯誤が必要だ、考えれば解る」

というテーマに対して、その作者?は、”解らないまま過ぎてしまった”事がある、場合。それは意味を持つのか。

「テーマに対して全体が調整される」と言う、「システム2基板」を土台にした理想?は、しかし。結局は経験則、”作者の”そう言うのを重視する事には成る、”そこ”こそが足場だ。目的に対して、そのテーマは意味を持っていたのか、その結果こそがこの場合の武器?であり。似て非なる、その時の大きな差であり、それが有るか無いか?は、あくまでもプライバシーの問題。

「為せば成る、なさねば成らぬ何事も」

ゲームを創る上で、パソコンと言う巨大なパズルの箱を前に、そこに必要なのは試行錯誤と諦めない意識、高い目的、責任を他者に廻さない感覚、そう言うのではあるのだが。なら、”それ”を唱える人は、その結果として自身の目的を達成したのか?と言う、そこに重い疑念。「それは出来ません」が、ぶっちゃけコンピュータのプログラム、である。熱意も労苦も意味が無い、鍵が合わなければ、それは先に進まないのだが。

実例として、ゲームセンターは何故、衰退したのか。

状況が変わり、鍵が変わってしまったから、だ。そして当時の、しかも「試行錯誤が必要だ、考えれば解る」それを唱える人さえ、”それ”を超えられなかった。

考えても解らなかったんですか?

最早。

「グラディウス」も、結論ではそこに陥った訳で。「良いモノを創れば売れます」売れましたか?と、平成に入って、問われる事が増えてしまった。時代が変わった、そう言うそれは、しかし。それをどう見るべきか、ともかくその結果、今までなら通った物の多くは、その価値を失ってしまった。

「アイドル」と言う、存在の意味、だろうか。

ともかくこの方法論は、今後も、このリスクと共に、”これ”で良いのか。

ともかく想定通りなら現状、「アダルトビデオは女性だけで撮影する物で、そうでないなら違法扱いに成ります」的な変化、それへ向かっても、問題は無さそうな感覚はある、本来は誰だってやりたくない仕事?である。「大賀さん」での衝突により、本来?アダルトビデオで発生したモノは、代替えし得る様になった、良くも悪くも「諦める」その感覚。犠牲が出た、その過失は誰に?が無ければ、或いは止まらなかった物は、何とか止まる感覚はあり…結果での、古き方法論の復活、な訳だが。

それまで積み上げたモノが、ある日破壊される、そのリスクと、100の失敗の先に有る、一つの栄光と。

しかしその成功は、「ストリードの連携」では産み出しえないモノ、かもしれない。

そしてそれを得た人と、そうでない人の間に、重い溝は創る、そんな。

騒乱は続く、それはそれでリアリティ、だろうか?



お祭りの意味と現状と状況

2021-03-19 08:05:42 | インポート


感覚の問題ではあるが。

東京オリンピックの、「オリンピックスタジアムのデザイン」は、”これ”を下敷きにしてる可能性が、何だか感じない事も、無い。


        「東京オリンピック2020エンブレムあげちう案」


もちろん投稿もしてませんけども。

その”前”のデザインもまた、ちょっと問題が起きてダメになったが。”これ”に無いのか?と言うと、何となく不安感は付き纏う。

デザイナーはデザイン料を貰ったかもしれないが、”土台”はそれを得ていないのだ。

”被せ”でも、無視出来なくなってきた話、土台が無ければその作品は無いのに、土台へのルートは閉じられて?いる…単純にそれでは盗品では。

倫理上、それはちょっと無視出来ない。

呪われた東京オリンピック、ではある。最初のオリンピックスタジアム、そのデザインも、自分の主観、理解、そして当時の感覚から言っても、結局はパクリ、或いは被せ、それをそう言わせない断言、だけで出来ていた…感じはある、結論で言えば弱者からの搾取、だ。デザイナーの女性は、何だかその後、病で亡くなってしまった。「成功者」そこに有る物、だったろうか。当時のそれは、デザイン領域は特に、略取でしか無かったかもしれない。

「多の責任は個に問えない」時、それは益々、”それ”を許容してきた世界その物へ向いている、のかも。うっかりしたら、新型コロナウイルスの問題の原始は、”これ”だったかもしれない訳だ、タイミング的な判断として。

自分もあまり、過去を詮索されるのは、良い気分のしない状況ではある。「マスコミ」と言うそれが持つ脅威、その原理と言うか。「マスコミ」にとって都合のいい存在が、”そこ”を握られて制御される、感じで彼らは前に居る、と言っても良い状況。「マスコミとは?」に、最近か多少は、感覚の変化はある、”ブログで有っても同じ事は出来る”訳で、そう言う意味では大手メディアだからと言って、結論はプライベートだ。

万難を排する、という感覚に成る時、”これ”もまた、無視出来ない問題の一つ、だろうか。

リアリティがある、としたら。”この辺”に関しても、世界全体の「理解」そう言うのは必要、かもしれない。下敷きにして、搾取してきた、そう言う事を無視してこの祭典は開けないなら、まずはこの辺を打開する、そう言うのは大事な話ではある。工業系デザインが、何となく娯楽?の環境では、良い結果を出せてない状況はある。デザインの良し悪しとは何か?と言う観点で、それは大きく道理を変えつつある、そう言うのはあるのかも。

中止か否かまで含んで、世界は戦いを続けているのだけど、それは果たして何処へ。




シンプルな悪夢と現実との境目

2021-03-18 08:46:53 | インポート

古い感覚ではある。

映画館の、チェーン店?がある、とする。映画関連の商品も一緒に販売する、という形で、しかも本部は「そこで配給する映画も作っている」そんな会社だった。客が喜ぶモノを自身らで創り、提供する、というその創始の絵には、今も何かの理想はある。

現状、経営難で有る。外部の会社に支援を求めねば維持出来ない状況。何とか、自立し得る所まで立て直したいがしかし。映画という文化自体の衰退もあり、そして、「映画館で見る」という形態への疑問もあり、状況は芳しい成果を出せないまま、じりじりと悪化を続けている。

良くも悪くも、経営者には一人娘が居て?状況では彼女が会社を継がねばならない事態で、しかし。彼女自身も以前は、或いは今も意欲はある、盛り上げんとする事は何度か試したが、解った事は「自分には才能が無い」その一点でしか無かった。それを言い出せば、社員、或いは外部のスタッフにしろ同じで、自社制作の映画でもヒットは中々出なかった、唯一のヒット作?は”外部”の企画による物で、それは今は独立し、”ネットを中心に”結構流行っている、という話。ひと悶着は有った、らしい、誰のおかげか?だ。現場主義だったそれは、その時、企画を否定する方向に入った。

という事態に対して、不意に接点がある。「昔よく映画を見に来ていた」と言う青年が、今はテレビで活躍する様な俳優に成っていた。映画の宣伝に来た事から少し交流があり、二人はそれから、知人、友人からそれ以上に親密には成っていく…が。結果、そこには重い不安が発生する。

会社は護らねばならないのだ。
この青年は、会社を守れるのか?だ。

悪夢がチラつき始めて、動きが鈍くなっていく。求めているのは「今の形態のまま」その理想のまま、維持する事だ、が。自分も含めて上手く行ってないからこその現状である、それを彼に求められるモノか?その上で、彼の目的とは何か。しかし外部の、親戚に近い血族による会社の支援も、何時まで求められるか解らない。話を聞けば聞くほど不安にはなる、俳優と言っても、監督に要求された通りの事、以上は出来ない。自分は今も、それほどの役を貰った事もない。という事はやっぱり、何か誰かの目的で、自分に近づいたのか?会社をどうするつもりなのか。

…この先に有るのは、何だろう?


こうやって「解らない事を神に聞く」と言う方法に、是非はどうも感じるのだが。この場合、自分の立ち位置は「以前に成功した作品の、外部の企画者」であり、自分も今の所、「独裁創作はお金に成らない」と言うほぼ断言を前に、”この”形態に未来を感じない、部分も有る。自身の「ストリードの連携」それは必ず、外部の企画書を必要とする。その辺も含め、この場合の女性には相性が悪い、趣味は合わないのだ。

単純さと、面倒さの混在したそれは、果たして。
方法論はストリードの連携だけでは無い、という一つの実証はある。
それは、この事態に何かの光明となるのか否か。

現実は、漫画の様にはいかないのだけども。



妄想と妄執と狂気の集う本

2021-03-17 16:46:32 | インポート

状況は、少し変化しつつも有る?

結局、経済を上向かせる!と言う意味では単純に、「原価50円の商品を100円で売る」事が出来れば良い、訳だが。その「利益としての50円」それは何処から出てきた?と言う点に、何を言うか?と言う事ではあって。

或いはこれは、テレビ局が一番言われたくない事、かもしれない。

広告料、”それ”は一体何なのか?ではある。

金本位制が、十分な利益性を見せる事が物理的に出来ない現状はある、金の総量、「価値」は一定なのに、人は増えていくから、だ。余裕がある頃は良かったが、金0.001gで1ドル、という規定をしてしまった時から、実際には見えていた破綻かもしれない。

キリスト教圏では、「ノアの箱舟」その辺の話はリアリティではある。
最後は、養い切れない人々を切り捨てて、新天地に逃げるしかない訳だが。

今更ではある?ともかく現状、金は人類を養い続ける上では不足有る物に成ってしまった。これに経済も依存して行く訳には行かない。しかし、金の様に明確に、0.001gで1ドル、という確定が出来つつ、「人間が生成し得る物」と言うのは物理的には今の所は、存在しない。その時、経済は本質的な”理由”を失う訳だが。

それでも現状でもまだ破綻していないのは、「違う感覚」が、後ろで支えているから?だ。既に金本位制はほぼ形骸化しており、現実的にはもう、違う感覚、それがその柱に成ってしまっている、と考えているのは、まあ自分だけ?かもしれない。

ともかく世界は現状を維持する為に、或いはかなりの”無理”をしている、気はする。

「価値とは何か?」

それに対して、納得し得る返答、それを曖昧にしたまま。


「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」でも感じた事、だが。まずあの世界に経済的な発展を齎す物、それは「無い」。クーデリアが如何に頑張ろうとも、”そこ”に価値は発生しない訳だ、意識の問題として。「MSは?」その理解がまず、この世界には?或いは制作側にか、存在しない。現場はその中で、何かの結果を出さねばならない…そんな苦境の中に、今も有る。

”それ”は、シンプルに悪夢だ。「MSを大量に創る事で世界経済は活性化する」のだ、ガンダムの世界では。もちろん”それ”に意味が無ければ成らない、”必要だから”それはそこに有る、故に。その為に、この世界は戦乱の火種をむしろ、歓迎する。戦争を求め、それを発起する存在に対して協力を惜しまない、もちろん最後は「責任を取って」破綻して貰うにしろ、だ。そうしてこの世界はMSを量産し、膨らんでいく…戦乱こそが、この世界を発展させる礎であって。

これはマンガだ。

その理解を、現場は或いは、持っていない?

「ここは仮想現実である」現実の戦争をここに追い出し、”ここ”で戦争をし、決着する為の領域である、と言う理解は、或いはコンピューターゲームの存在故、だったのだろうか。そう言う話は、この世界を或いは信仰する人々には重い疑念と否定と共にある、のだろうか。

これは現実だ。

物理的に無理だ、という理解を、この意識に求める事は難しい。アイドルのコンサートに熱狂する、”それ”を求める理解と同じで、それは幻だとしても、何だかそう思えなくなる境界線が有り、そして、現場の多くは、その先へ踏み込んでいる。

様な感じ。

「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」その問題でもある、クスィーガンダムはペーネロペーに勝てない、という感覚は”不動”だ。「売れる様に」考える結果、その結末こそ最善、という理解と感覚、それは。平成でも大きく否定されてしまった、様な気はする。

”あの”グラディウスが、高校生が学校祭で発表したゲームより低レベルだと?

この結果は、実際にはそう言う意味に成っていた、のだった。

「大賀さん」紛争解決機構、その結果は果たして、そして。

それは、何かの壁となるだろうか。



理想と現実と未来の帰結

2021-03-16 14:48:15 | インポート

汎用性は出てきた、と思うのだけども。

それでも、ネタの面倒さ、と言うのは相変わらずかもしれない。


タイトル
「キャプテン・アースR」

テーマ
「特別な存在なんか居ません」

ゲームデザイン
 疑似3Dを用いたVSロボット戦闘物。HP制、現れるアイテムを得て、とかその辺は普通に。
 ただし、搭乗から合体までにシークエンスがあり、合体までがゲームに成っている。その際に「合体までに費やす時間」でその後の戦闘時間が変わってしまう(可能な限り即合わせて合体する方が良い)。ただし、その際に「補正」ボタンを連打してれば、割とすんなり加速、合体まではしてくれる。ただ、”それ”がクリア時のボーナスポイントに成るので、スコアを目指すならそれは押さない方が良い。
3D戦闘中も、「補正」ボタンを押してる事で、一定時間の無敵&パワーアップが有る、しかし、同じくボーナスポイントを消費し、失うと使えない。ともかく使えば、結構あっさり勝てる。

物語
 「キャプテン・アース」のそれをトレースしつつ、細かく疑問を?埋めていく方向。
地球の特定のエネルギーを使う事でそのパワーは得られる。
が、そのエネルギーを利用し得るジェネレーターが駆動すると、反重力エンジンが使えなくなる。
しかも、帯電し得る時間は非常に限定的で、一日も過ぎると放電して消えてしまう。
敵は、宇宙から来るのだ。
という事から、地球からはエネルギーをチャージしたエンジン部分を原始的なロケットで打ち上げ、そこからマスドライバー加速しつつ戦隊を形成する、というプランが始まった。
とかなんとか。

もちろん、敵はそのエネルギーを求めに来ているのだ。


合体シークエンスはようつべで見ました(・・・)。

この作品の失敗?もまた、「王の権威のオーダーじゃ無かった」と言う、パイロットはキャプテンじゃ無かった(;_;)、単に”それだけ”な理不尽を抱えていそうな、そう言う何かは感じない事も無い。本人?に、意識もないし、無責任でも無いにせよ、結論ではいわゆる”被せ”に成ってしまう(多分、ガイキングに被せる感じになってる)、というそれは、結局はその、許し難い悪!への、”その”理由を失う、そう言う結果ではある訳だが。

ともかくかつて或いは、「影の伝説」その作品に対して苦言を提示した?人々の、その全ては或いは、同じ過失を背負う事にはなった、ろうか。理不尽は理不尽として、因果的な理由はそこに有る。

この先、王の権威は居ない。

はず、だが。