ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

Ⅱ列王1 お伺いを立てる神がいる

2021-02-27 18:45:17 | 列王記

今の私の虚血性腸炎を診断をして検査治療を検討してくださっているのはKドクター

水は飲めますか?  シャワーはできますか?  売店まで歩いて行っても良いですか?
一つ一つ、直接に、または看護婦を通してお伺いを立てている。

しかし、私の身体も、心も、霊も、知っておられるのは神ですから
そして神はどこにでもおられて、祈りを聞いてくださいますから
私は、神様にお伺いを立てて、みこころに従おうとしています

 

 


Ⅱ列王
1:2 さて、アハズヤはサマリヤにある彼の屋上の部屋の欄干から落ちて病気になった。彼は使者たちを遣わし、「行って、エクロンの神、バアル・ゼブブに、私のこの病気が直るかどうか、伺いを立てなさい」と命じた。
 1:3 そのころ、【主】の使いがティシュベ人エリヤに告げた。「さあ、上って行って、サマリヤの王の使者たちに会い、彼らに言え。『あなたがたがエクロンの神、バアル・ゼブブに伺いを立てに行くのは、イスラエルに神がいないためか
 1:4 それゆえ、【主】はこう仰せられる。あなたは上ったその寝台から降りることはない。あなたは必ず死ぬ。』」それで、エリヤは出て行った。

 

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ヨハネ17:1-5 神の栄光を現す入院生活

2021-02-25 17:02:42 | ヨハネの福音書

説教から学んだこと

十字架上の死は、神の栄光の究極的現われです
天地創造の前から持っておられた栄光をイエスは捨てて、地上に降誕された。
これから、イエスはみことばを父のみこころ通りに語り、神の子であることを証明する奇蹟をなさった。父なる神に復活させられたこと、人々の前に現われたこと、昇天されたこと、これらももちろん神の栄光の現われです。
もう一つ、聖霊降臨も、大きな神の栄光の現われです。

私の霊的状況

クリスチャンがキリストの栄光を現す時というのは、何か善いことをする時、上手く事が運んでいる時、人からハッピーそうに見られる時かと思い違いをしていました。
福音のために、迫害を受けたりして、苦しんでいる時、神を知らない人には見えない神の栄光が現される時です。
その最高レベルは殉教ですが、なかなか日本ではそのような機会はないが。

応答・恵み・あかし

土曜日の深夜から主日の未明まで、激しい腹痛と下血があったので、救急車を頼んで、病院に運んでもらいました。
絶食と安静で5日間、今は腹痛も下血もなくなって、回復食が始まるのを待っています。モーセ、イザヤ、イエス・キリスト、私の教会の牧師がなさった断食を、私も体験できて光栄です。


教会の兄姉が、家から必要なものを取り出して届けてくださってコロナで面談はできないけど、みごとに不自由はありません。昨日はポケットWi-Fi,今日はパソコンが届けられました。

祈られて、支えられてばかりではもったいないからと、一人一人から祈祷課題を送ってもらって、時間をかけて考えながら祈りました。どんな時も主がともにおられるので、楽しく嬉しい入院生活で、神様からの特別な賜物・恵みの時です。

祈り、分かち合い、入力奉仕。痛みや苦しみがあっても、任せ、ゆだね、仕える姿勢でいるから、神の栄光を神が現してくださることでしょう。二人の看護婦さんが、テーブルの上の聖書を見て、部屋にしばらく居て、真剣に話を聞いてくれたことは、とても嬉しいことでした。

神の栄光の現われとして、私は聖霊が内住してくださって神の神殿となったものですし、
召されたら、神の栄光を現して復活されたイエス・キリストにあずかって、私も復活させられて、天に入れられる希望を持っているのですから。神様を知らない人には決して見えないけれど、召されるその時まで神の栄光を現す生き方をしたいです

 

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成績の良い子と不登校の子

2021-02-20 10:07:47 | 列王記

教会の中には、いわゆる名門校と言われている学校に合格して通っている子供が何人かいる。
浪人した子供、何年も学校に通えていない子供もいる。

教会で祈祷課題があげられて、拍手されるのは前者の子供達の親であり
教会内で公に話すことはしないで、少人数で祈っているのが後者の親です。

上手く行っているのは、親の信仰の姿勢がはっきりしているから。
上手く行っていないのは、親の信仰や子育てに問題があるから。
このような評価が教会内であると、親はさらに苦しみます。

列王記のソロモンを見ていて、祝福の基準について考えます。
神様からの祝福・恵み・喜びは、どこにあるのでしょうか。

人が神のために働いているなら、問題・困難はあります。
本当の宝は天に積まれていますし、
神の最終的な評価は、地上では見ることはできません。


マタ 6:19 自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。 6:20 自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。
 6:21 あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。

ヨハ 16:33 わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。

神様からいただく最高の宝物、勘定もできない賜物は、神との和解・救い・永遠のいのち。

これら子供達は、現在教会生活をしている子供も、離れてしまっている子供もいますが
はっきり救われて、霊的に成長して、神に用いられる神の器に成長していくことを願います。

お母さんたちも、そして私自身も、主にあって天国にふさわしく整えられるプロセスの中にいます。
ですから、軽々しく他の人や子供を評価することは避けなくてはなりません。

しかし、いつ急死して、神の裁きを受ける場に出ることになるかはわかりません。
誰でも、行き着く先は、天国と地獄しかないことを、真剣に受け止める信仰は必要です。

 

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不登校の高校生のママと話して

2021-02-19 20:47:21 | マタイの福音書

学校を休んで家にいる日が多くなってもう3年ほどになる高校生が、教会には毎週来ています。
先日、そのお母さんクリスチャンと、ゆっくりお話しをする機会がありました。

 

「学校に行けないという問題は、心に受けた傷とか、病気だとか、何か根本的な理由があって、不登校はそれが表面に現われたことかも知れませんね
と言った私の言葉に、その後何日か考えさせられていると、お母さんは言われました。

そして、学校に行けていないことばかりを自分は心配していたと告白されました。

 

彼女は、「娘は病気ではありません」と、少し強い口調で返事をされたのが気になりました。

病院で診察は受けていないとのことです。しかし、娘さん自身、ネットで同じような症状のある人についての情報を捜したりしているそうです。

マタ 9:12 の「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。」と言われたイエスの言葉を思い起こします。

イエス様に癒していただくことを祈り願うのなら、病気かも知れないと謙遜に受け止め、心が丈夫ではないこと、弱さがあることを、認めてあげてはどうかなあ、と思います。

娘が可愛いくて心配なのはすごく理解できますが、
真実から目をそらして、強がっていては、神の恵みとあわれみを受けるところから遠くにいることになりはしないでしょうか・・・・・.

 

 

 

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祈りの分かち合い 色々

2021-02-18 22:23:31 | 喜び

ペテロは、伝道する時、イエスがどういう方であるかを証言したが、自分自身の経験については話さなかった。私はつい、自分のことを話す傾向があることに気付いた。人は基本的に他人の話には興味はないものです。神様の話をストレートに話せるように祈ろう。

 

十字架と復活、そして昇天がなされたので、聖霊が与えられるようになりました。十字架は信じても、復活までは信じらないという人には、聖霊が分からない。その結果、神、三位一体の神が本当には理解できていないことになります。はっきり伝えて真実がわかった人に洗礼を授けた上で、養い育てて行かなくてはならない。

 

教会は、聖霊に満たされた人が、一人一人語ることで、聖霊の働きとして拡大していくものです。特別な賜物のある伝道師だけが、御国の拡大に用いられるのではない。聖霊に満たされた私達、一人一人によることを学びました。私にも将来、そのような働きをする時が与えられることに信頼し期待します。

 

880歳以上の二人の姉妹に電話でインタビューした結果を、いくつかの祈祷課題としてまとめた。分かち合った兄姉がよくここまで聞き出せたと褒めてくださって、それを副牧師、婦人会長にも分かち合った。感謝の言葉を聞いたが、気づきました。その時の私は、神に栄光を帰すというよりも、自分自分の知恵を誇って、神の前で思い上がっていたことを。

 

教会の子供達の中には、春の訪れを屈折した思いで迎えようとしている子供たちがいます。
★学校に登校できていない子が三人。中学3年生の男の子。高校2年生の女の子。大検に合格はしたが体調が戻らない高校3年生。
★健康ですが、教会から離れてしまった中学生2人。高校生4人、大学生6人。そのうち二人は洗礼を受けている。
★自己実現に向けて一生懸命の人も三人います。海外の大学に留学した二人の女の子。国立大学を中退して医学部入学を目標に受験勉強をしている男の子。
それぞれの子供達とその親のために、この春を前にしたシーズンは特に、キリストの眼鏡とキリストのイヤリングをつけて、とりなしの祈りをします。

 

遠隔地に転居して、客員として通っていた地元の小さな教会が牧師の病気のために4月から無牧になるという。小さい二人の子供がいるので教会学校のある教会を捜して移りたいと言われた。私は、教会を選ぶ際のポイントを、教会学校の様子はどうかということよりも、、礼拝説教や祈祷会、信徒訓練がしっかりして両親が成長できそうかどうかという所が大切だと思います。ふさわしい教会に神の時に導かれるように祈ります。

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