起立の反対語は着席だろうか。私には、膝がくずれる。ひれ伏す。平伏する。そんなイメージです。
8:11 祭司たちは、その雲にさえぎられ、そこに立って仕えることができなかった。【主】の栄光が【主】の宮に満ちたからである。
主の栄光がどんなに輝くものであるか、想像することしかできないけど、立っていることができないほどの衝撃を受けるのではないかと思います。
ところが、ソロモンが一言、「主は、暗やみの中に住む、と仰せられました。13 そこで私はあなたのお治めになる宮を、あなたがとこしえにお住みになる所を確かに建てました。」と、主の臨在を宣言して、それから王は振り向いて、イスラエルの全集団を祝福した。イスラエルの全集団は起立していた。」
イスラエルの民は、主の栄光の前でも、王が祝福をする時も、ずっと立っていたのですか? 恐れ多いとひれ伏して、礼拝姿勢になったのではなかったのですね。民の心はどんな状態だったのでしょうか。
8:22 ソロモンはイスラエルの全集団の前で、【主】の祭壇の前に立ち、両手を天に差し伸べて、言った。
23節から53節まで延々と続けて祈りと願いをささげた。そして
彼はそれまで、ひざまずいて、両手を天に差し伸ばしていた【主】の祭壇の前から立ち上がり、 8:55 まっすぐ立って、イスラエルの全集団を大声で祝福して言った
ソロモンは、祭壇の前に立って、それからひざまづいて、両手を天に差し伸ばしてながい祈りをした後、まっすぐ立って、振り返って、イスラエルの集団を祝福したのだろう。
そこで、イスラエルの人々は、おびただしい数の和解のいけにえをささげた。全焼ではないので、肉を食べて宴会をしたのだろう。14日間の祭をした。民は王に祝福のことばを述べて、心楽しく彼らの天幕に帰って行った。満腹して帰宅したのだろうか。
神は、この状況を喜ばれたのでしょうか。民が、神の臨在を喜ぶ姿も、礼拝する姿も、神をほめたたえる姿も全く見えない。 神は誠実さを喜ぶが、いけにえを喜ばない。全焼のいけにえより、むしろ神を知ることを喜ぶ。とホセア6:6にあるではないか。
私は、自分の讃美する時の心の姿勢を悔改めました
COME, LET US WORSHIP & BOW DOWN