学校を休んで家にいる日が多くなってもう3年ほどになる高校生が、教会には毎週来ています。
先日、そのお母さんクリスチャンと、ゆっくりお話しをする機会がありました。
「学校に行けないという問題は、心に受けた傷とか、病気だとか、何か根本的な理由があって、不登校はそれが表面に現われたことかも知れませんね
と言った私の言葉に、その後何日か考えさせられていると、お母さんは言われました。
そして、学校に行けていないことばかりを自分は心配していたと告白されました。
彼女は、「娘は病気ではありません」と、少し強い口調で返事をされたのが気になりました。
病院で診察は受けていないとのことです。しかし、娘さん自身、ネットで同じような症状のある人についての情報を捜したりしているそうです。
マタ 9:12 の「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。」と言われたイエスの言葉を思い起こします。
イエス様に癒していただくことを祈り願うのなら、病気かも知れないと謙遜に受け止め、心が丈夫ではないこと、弱さがあることを、認めてあげてはどうかなあ、と思います。
娘が可愛いくて心配なのはすごく理解できますが、
真実から目をそらして、強がっていては、神の恵みとあわれみを受けるところから遠くにいることになりはしないでしょうか・・・・・.