ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

列王記6章 神は私達を見捨てない

2021-02-08 10:38:11 | 列王記

コロナで、教会堂で一緒に集まることが自由にできなくて、寂しい日が続いています。集会があっても終わったらすぐに帰ってしまいます。子供達やその他親戚・縁者と離れて、教会の近くに引っ越して来た私には、教会での礼拝や交わりだけが、楽しみであり生きがいになっています。

そこで、狭いアパートでひとり、昨日語られたみことばを思い起こし、神様とともに平安な時を過ごしています。

 

イエス様は、弟子たちがイエスの十字架に耐えられず、イエスを見捨てて去ってしまったが、イエス様には、そのご降誕の時から、十字架上の死によって罪の贖いの使命を果たして、昇天されるまで、父なる神様がご一緒におられました。

Joh16:32 見なさい。あなたがたが散らされて、それぞれ自分の家に帰り、わたしをひとり残すἀφίημι時が来ます。いや、すでに来ています。しかし、わたしはひとりではありません。父がわたしといっしょにおられるからです。

 

イエス・キリストの十字架と復活を信じている私達には、父なる神様が送ってくださった聖霊様が住んでいてくださっています。聖霊は、みことばを通してはっきりと語ってくださるので、私達もはっきりと大胆に神に近づいて交わることがゆるされています。

たとい、迫害の中で苦しんでいても、死に至る病の中であっても、神がともにいて励まし導き、永遠に祝福しくださることを確信できることは、すばらしいことです。殉教は最高の死に方ですが、そう簡単にそんな機会は与えられるものではないが。

 

ヨハネ14章で印象に残っていることば14:18 わたしは、あなたがたを捨ててἀφίημι孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。

捨てると、32節のひとり残すと言う言葉が、あなたがたを捨ててと同じ言葉でした。ἀφίημι。すべての人に捨てられたイエス様は、ご自分を信じる者を捨てることはなさらない。

 

たとい、一度は、落胆・失望して、イエスを見捨てて、離れて行った弟子達であっても、たとい、イエス様が話すことばが、正しく理解できなくてトンチンカンな弟子達であっても、イエス様はそんな弟子達を見捨てることはなさらない。


ヨハネ16:33 わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」

イエス様の言葉は時制を越えていますから、まだ十字架も復活も実際には起こっていない時でも、すでにそれが起こることを見据えて、勝利を宣言しておられます。

私達も、たといコロナやその他の患難があっても、勝利の主に信頼して、召されるその時まで、平安に生きることができます。主日メッセージからも、通読している第一列王記からも、同じ励ましをいただけたことが嬉しい。


Ⅰ列王
 6:12 「あなたが建てているこの神殿については、もし、あなたがわたしのおきてに歩み、わたしの定めを行い、わたしのすべての命令を守り、これによって歩むなら、わたしがあなたの父ダビデにあなたについて約束したことを成就しよう。
 6:13 わたしはイスラエルの子らのただ中に住み、わたしの民イスラエルを捨てることはしない

 

 


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