ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

モーセのマネジメントは上意下達?

2020-01-26 23:45:22 | 通読・出エジプト記
モーセは、出エジプト記18章で、イテロの助言に従って、
千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長を民の上に立てた。

これまで、ピラミッド型に組織化したのかと思っていたが、違うのではないか。
イスラエルの民は、利益を得るために会社で働いている人たちではないのだから。

各長の人たちは、モーセがするのと同じように、民に代わって神の前にいて、事件を神のところに持って行く。そして、民におきてと教えを伝えて、彼らの歩むべき道と、なすべきわざを彼らに知らせる。一人一人、一件一件、神によって解決がなされるので、指示命令を人から、トップダウンで受ける必要はないだろう。
相談したり、調整することはあっても、それは自由にできたのではないかな・・・

では、千人、百人、五十人、十人と人数に違いがあるのは、どういう意味だろう。

長となるために必要な資質は、
神を恐れる、力のある人。
不正の利を憎む誠実な人。

これらの人を捜し出す必要があった。見込み違いということもあっただろう。
力があると言っても、賜物に違いがあり、その力量にも差は当然ある
まず、少ない人数でやってみて、どれ程の力があるのか、見定めて、任命したり、担当を変えたりもしただろう。

だから、
問題の種類を分類して、適材適所に配置し
予想される問題の発生頻度を考えて、担当する人数を決定したのだろう。

トップダウンの組織を作るというよりも、もっときめ細かな配慮に基づいて、それぞれの長の割り振りを、モーセはやったことだろう。
ものすごい人数のイスラエル人、しかも、すぐにつぶやいたり、不満を表す人々。またエジプトから連れて来た奴隷や異邦人も交じっていたのだから、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長を置いても、それぞれマネジメントするのは、大変だったことだろうと想像する



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