前回のつづきになるが、命名書のお礼に、、とエジプト、コプト期の布をいただいた。
なんだかわらしべ長者のようである・・
写真うしろの額がそれ。
この布を見るたびに、僕は貴重な命の誕生を思い出すことになる。
布という「もの」を通じて、忘れがたき「ひとこま」をいただいたようなものだ。
ところでここに写っているものはどれも僕にとって大切なものばかり・・
澄んだ水のようなガラスの盛り皿、透徹した白が美しい磁器の壷、儚いペーソスを湛えた真鍮の葉っぱ。
すべてまだ若い作家による作品で、僕自身が気に入って買ったものだ。
常に眺めている。
そしてときどき手に取る。
ヒンヤリしたり、ぬるかったり、重かったり軽かったり・・・
同じものでも季節や体調によって、伝わる感触はいつも微妙に異なる。
手で触れると不思議と安堵し、またもとの位置にもどす。
大切なもの達から、大切な何かを分けてもらっているようだ。
同じように、僕の作品も誰かに何かを分け与えられたら・・・
なんだかわらしべ長者のようである・・
写真うしろの額がそれ。
この布を見るたびに、僕は貴重な命の誕生を思い出すことになる。
布という「もの」を通じて、忘れがたき「ひとこま」をいただいたようなものだ。
ところでここに写っているものはどれも僕にとって大切なものばかり・・
澄んだ水のようなガラスの盛り皿、透徹した白が美しい磁器の壷、儚いペーソスを湛えた真鍮の葉っぱ。
すべてまだ若い作家による作品で、僕自身が気に入って買ったものだ。
常に眺めている。
そしてときどき手に取る。
ヒンヤリしたり、ぬるかったり、重かったり軽かったり・・・
同じものでも季節や体調によって、伝わる感触はいつも微妙に異なる。
手で触れると不思議と安堵し、またもとの位置にもどす。
大切なもの達から、大切な何かを分けてもらっているようだ。
同じように、僕の作品も誰かに何かを分け与えられたら・・・