はなかげ おとかげ

日本画家・書家 足立正平のブログです。

ひいじいさん

2010年11月11日 | 過去のBlog記事

あるものを探していて、図らずも別の探し物を見つける、ということはよくある。

先日、昔撮った写真を探して本棚をひっくり返していたところ、偶然に数ヶ月前から探していた物が出てきた。

それは僕の父の母の父、つまり曾祖父が書いた巻物である。

20年くらい前に一度見たきりで、訳あって探していたのだが、仏壇の周りや茶箪笥の中など、散々探して見つからなかったものが、こんなところにあったとは・・・

内容は曾祖父が友人と二人、僧侶の恰好をして(もちろん曾祖父は僧侶ではない)伊豆方面を旅した時の様子を、スケッチ風の絵と文でつづったものだ。

大正6年、と書いてあるから曾祖父が25,6歳にあたる。

Saisho

布袋?の絵とともに「仏法は障子の引手、峰の松、火打袋に鶯の声」という所から始まる。

Shuppatu

出発。

「兄貴や 出て行く 妹が送る どうぞ おけがの無いように」

「私しゃ 坊主よ 毛が無い者よ」

これは落語「大山参り」の落ちで聞いたことがあるが・・

確かに曾祖父は結婚した時、すでに毛がなかったらしい。。

Koibito

「呼(?)ぶ音と 入り来りたる 旅の僧 笠とり見れば もとの恋人」

「破れ衣に 破れ笠 どれもだれゆえ 音丸ゆえ・・」

音丸とは芸者の名前だ、と母が言ってるが・・

どこかで馴染みだった芸者と騒いだのだろうか・・

Abekawa

「坊主はち巻き 尻まくり お顔青めて阿倍川を 渡れば毛ずねに 秋の風」

「打ち上げる 波に追われて はせ登る 大崩れ岩に 夕月出す」

などなど、道中のエピソードが諧謔味あふれるタッチで描かれている。

  

Saigo

そして最後は

「濁りも?知らぬ 岩清水 とわにつきせず 流れてよ

深き思いの叶うなら 八重の汐路の 果てまでも」

という文章で終わる。

両国生まれの江戸っ子で、酒は飲めないが芸者遊びが得意だった、という曾祖父の人柄がよく滲み出ているが・・色々複雑な事情があって、近々この巻物は我が家から離れることになりそうなのは残念である・・

それにしても特に手習いをしたわけでもないだろうに、昔の人というのは筆の使い方が本当にうまいものだ。

たった3世代前では、つらつらと迷いなく筆を走らせることが当たり前に出来た時代だったのに・・我々はこれを読むことにさえ苦労している有様だ・・・

目先の景気回復ばかりを叫ばずに「今日から教育現場では毛筆以外禁止!!」とかいう突飛な政治家が現れたなら、僕は迷わずに票を投じるだろう・・・

そこに何か大切なものが眠っている気がするから・・・