はなかげ おとかげ

日本画家・書家 足立正平のブログです。

「笑う」と「咲く」

2010年01月30日 | 過去のBlog記事

古民家での制作の日々

庭にある老梅

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もう幹が半分枯れているようにも見えるが、残された幹から身をよじるように伸ばした枝ぶりが好きだ。

サクラ切るバカ梅切らぬバカ・・

という言葉は母が教えてくれたが、この老木の場合は枝を掃わない姿が美しいと思う。

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たった一つ、先んじて花を咲かせた。

まもなく他のつぼみも後を追うだろう。

梅のほか、大きなツバキもあるがこちらはやや盛りを過ぎた感じ・・

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それでもまだこれから咲くツボミも多い。

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制作の合間に眺めては、目を楽しませている。

花が咲く。

「咲」という字、これはもともと「笑」の異体字。

だから当然「わらう」とも読む。

「笑」は古い時代の字が伝わっていないが、原義の通りに理解するとPhoto_5

こんなかたちだったと思う。

巫女が両手をあげて神を楽しませる神事。

「笑」の省略された形に「口」が足されて「咲」となった。

日本では笑う時に口もとをほころばせる様子を、花の開花にたとえて「咲く」意味で使うようになった。

中国では、、

辞書を引いてみたがやはり「咲」は「笑」と同字、としか出ていない。

「笑う」と「咲く」を結びつけた感性に、僕は「日本」を感じる。


あおによし・・

2010年01月17日 | 過去のBlog記事

ある専門学校から依頼された作品を描くために、年明けから築160年の古民家を改装したスペースで制作をしている。

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大きな作品なので自分のアトリエでは不都合があり困っていたところ、縁あってこの場を貸していただけることになった。快く場所を提供してくださったご夫妻のご好意に感謝感謝・・

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まだ何も手を入れていない白い画面。

差し込む光が眩しい。

しばらくの間お世話になります。

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毎朝、庭の脇にある井戸で水を汲むことから制作を始める。

なんだかイイ・

ふつう井戸はもちろん水を汲むために掘られるものだが、古くは絵の具の顔料を採るためにも井戸が掘られた。

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右は「丹」(タン、に)

井戸の中に「丹」(に・・硫黄と水銀の化合した赤土)があるかたち。「・」で表されている。

これをもとに朱色が作られたので「あかい」意味となる。

左は「青」(セイ、あお)

もともと「生(セイ)」の下に「丹」。地中から採れる丹のうち、青い丹のこと。

「奈良」の枕詞「青丹(あおに)よし」の「あおに」。

これをもとに青い絵の具が作られた。

いずれも地中のすきまを上昇して鉱脈がタテに伸びるため、タテ穴の井戸を掘って採取されたそうだ。

「丹青」(タンセイ)とは単に赤と青の絵の具のみならず「絵画」そのものを表す言葉だ。

そのくらい貴重な顔料だったんだろうな・・

汲み上げた井戸水で絵を描きながら、井戸と絵画の不思議な関係に思いを馳せる・・・


楷書の思い出

2010年01月09日 | 過去のBlog記事

新年も早1週間過ぎ・・

去年この場で書こうと思っていたことも放置したまま越年・・

スッキリしないのでそれを片付けることから2010年をスタートしよう。

楷書は、「楷の木」に似ていることからその名が付いた・・ということは学生の頃に教わった。

知識として知ってはいても実際に確かめることもせずにいたが、最近になって湯島の聖堂に「楷の木」が植えられていることを知った。

ということで紅葉も見頃を過ぎた12月のある日、湯島のギャラリーを見るついでに足を延ばしてみた。

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趣のある外壁が美しい。

Koushi

巨大な孔子像がそびえ立つ堂内を探すと、大正時代に中国の孔子廟から持ち帰ったという「楷の木」の苗が、今では巨木に成長して数本、あった。

地面に落ちた葉を拾ってみる。

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なるほど。

きれいに左右対称な配列で葉が並んでいる。

しかしよく見るとそれぞれ対になる葉の出どころが微妙にズレている。

この「ズレ」ることって意外に大事な事だ。

たとえば「南」の字・・・

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これは楷書の極致と言われている唐の欧陽詢が書いた「南」。

右上の活字と比べてみると、、

2画目のタテ画が「左」に流れている。

するとその分の埋め合わせをするように、4画目が大きく「右」に張り出す。

そして最終のタテ画をバランスよくいれると、結果としてタテの軸が少しズレることになる。

しかしこのズレこそが、この字の構造美を決定づけてもいる。

機械ではなく、人間だからできる不均衡の均衡。

子供のころ、真っ正直に書くことしか知らない僕の字を見るたびに、

「つまんねーなあー」

と師匠に朱墨で直しを入れられ続けた日々を思い出した。