マッタリ家庭教師のポシライフ

豊かな暮らしを求めます!

夏期講習が始まりました。

2006年07月21日 23時51分04秒 | 塾のお仕事
一年で最も忙しく、寿命を削る期間がやってきました。
それは「夏期講習」。

かつて受ける立場だったけど、今は提供する立場。
こんなにも苦しいとは。

初日でまだメイン週間に入っていないのに、平面で躓きまくる様ですよ・・・


こどもたちの成績を伸ばす、精神面を改革する貴重な期間と思って、
大量の予習も頑張るわけです。


やっぱり講習会手当が欲しいなぁ

怒鳴る

2006年07月16日 03時28分59秒 | 塾のお仕事
俺は生徒に対して怒ることが多々ある。

大学時代の連中はご存知かもしれないけど、
そんな時でも怒鳴り散らしたりはしない。
静かにただ静かに、淡々と言葉を並べるのである。

今までも生徒に対してはそうだったが、
昨日は違った。

事の始まりは社内メール。

ボスから電話がかかり、メールを確認した事に端を発した。
内容は中一の女の子からの相談メールで
「塾のクラスの子からヒドイ言葉を浴びせられたり、
消しゴムを投げられたりしていて、もう辞めようかと思っている」
というものだった。

授業を担当している俺は彼女からそういう話をじかに聞いた事もあった。授業の中で目を凝らしていた。
自分の授業ではそんな余裕もないくらいに、
皆を引っ張ったつもりだった。

でも、依然としてあるという。

このメールを見て、この内容を送った子のことを考えると、
本当に悲しい気持ちになった。
寂しい気持ちになった。
そして怒りが込み上げてきた。

「お前が辞める必要はない。そういうことをする奴らが辞めるべきなんだ」と声をかけたかった。

そして中一の授業。

いつもは長くても10分もかからないHR。

淡々と、いつものように語り始めた。
いじめが産み出すもの。
人間の汚さ。
などなど、自分の思いの丈を述べるうちに、怒りは高まってきた。

途中で関係ない話をしている生徒を見つけて、その時は来た。

「おどりゃー!!帰れや!!!」

建物のどこでも聞こえるような声で怒鳴った。
多くの生徒がビクッとしたのを見逃さなかった。
注意された生徒は本当に目が泳いでいた。


今後いじめを発見したら問答無用で辞めさせることを生徒の前で誓った。
そのことでたとえクレームになろうとも俺は気にしない、
とも誓った。

怒鳴った事よりもそういうことが平気で起こることに心底むかついた。
これを機に、そういうことがなくなることを望むばかりである。

中学受験②

2006年05月07日 13時32分01秒 | 塾のお仕事
中学受験が行われるのは新年明けてすぐの1月である。
ゆえに受験勉強はそこまでに完了しなければならない。

よって小6から志す=9ヶ月しか勉強が出来ない
ので、遅すぎる。
夏以降はやっぱり入試問題演習に割り当てないといけないので
非常に基礎を確立する時間は足りないのだ。

有名な難関中学でなくても中学受験を志すのであれば小5から勉強を始めて欲しい。
難関中学であれば、小4から始めるべき。

何せ、公立の高校受験よりはるかに細かくて難しく感じるのが中学受験だ。

よく小6の問題を中3に解かせてみたいと思うくらいですから。。。


そして「塾」は欠かせない。
中学受験ともなると、指導にもかなりの専門性が必要に感じる。
ことさら「算数」においてはね。

将来、方程式を駆使して解くような問題も使わずに解きますから。

かつて「平成教育委員会」というTV番組で見てた問題は大げさではなかったのです。


鼻歌交じりに解く子どももいますからねぇ。

やっぱり中学受験の核になるのは「算数」かな。
塾で学ぶのは大いに結構だが、計算練習は家で見てやって欲しい。
計算スピードを上げ、正確性を高めないとやっていけなくなるのは明白だ。

何か問題集を手にして計画的にこなしていく。

そういう練習をしながら力をつけていかなければならないかな。

ホント中学受験の道も長く険しいのである。

中学受験

2006年05月02日 00時33分48秒 | 塾のお仕事
少子化が進む今、子ども1人当たりにかける教育費の増加は当たり前のことだと感じる。
養育費がかさんでも、たった一人の我が子ならば、何不自由なく成長して欲しいと考えるも当然だと思う。

我が塾も中学受験には力を入れているようだ。
(俺にも中学受験チームに入るよう要請がきたくらいだから。)
名だたる良い先生は中学受験に多く配置されているということが物語っている。

俺も塾業界で生きていくためには避けては通れないと思うのだが、
要請を断ったのは中学受験自体をキライに思うから。

えぇ単なる我儘です。

なぜキライかと言うと、中学受験には
子どもの意思がそこにはないからである。
まぁ全てが全てではないが、
難関の中学を受けるのであれば、一歩を踏み出すのは小4から
また、一般的な中学でも小5から始めないと間に合わないことが多いだろう。

たかだか10歳くらいで、
ぼく、じゅけんするよ
なんて、よっぽど周りにそういう人がいるのか、はたまたそういうふうに育つ子だったのか・・・とにかく少数であろう。

つまり、中学受験は完全に「親のエゴ」によるものが多いと感じるからである。

一番腹が立つのは、自分がやってこなかったのに子どもに勉強を課しているのにもかかわらず、家庭ではなにもしていない。完全に塾に丸投げをして、事あることに塾にクレームをつけてくる親だ。

実際に何人もいるのだ。
「ついていけない・・・」
とか
「成績が上がらない・・・」
とか言うコメントを言ってくる人は。

そこで子ども達から色々聞き出すと、家では何もやっていない場合が多いのである。

もちろん、家庭でしっかりサポートしているにもかかわらず、成績が上がらない子もいる。それは完全に塾のせいにされても仕方ないし、事実そうだと思う。
我々の指導力不足がなせる業なのである。
だが、丸投げだとどうだろうか。
たかだか塾では1教科あたり週に100分勉強しているだけで、後は何も無い。
たとえエキスパートの先生が素晴らしい解法を解説したにせよ、
それをものにできるかどうかは自分で使って確かめる以外の方法は無いと思うのである。

そこにはもちろん個人差も存在するので、授業内で理解し、宿題でそれを使うことのできる子どももいれば、全く宿題で使えない子も出てくるのである。

そこで重要なのは「ノートチェック」だと思う。
家で子どもが宿題をしている時、ノートを見せてもらうのだ。
しっかり授業内容を取っているか、
それを見て問題を解くことが出来るか。

もちろん応用内容だと出来ないこともあるだろうが、
きっとそのノートどおりにやれば出来る問題もあるだろう。

それを家庭でチェックしてあげるのがまずやるべきことだろう。
ノートを見ても全く宿題を解くのに役に立たない、
意味不明なことしか書かれていない、
のであれば初めてクレームをつけてもよいと思う。

板書術も講師の力量の一環だから。

まぁ話はそれてしまったが、
俺は「親のエゴだけ」に付き合いたくないだけなのである。

塾は託児所ではないのだ。
受験させるのであれば、親子共々覚悟を決めて臨んでもらいたいと思うのである。

本気な人に本気で指導するのは楽しいんだよね。
だから予習に時間がかかっても苦じゃないんですよ。

良識

2006年03月07日 11時38分54秒 | 社会
本当に大人が子どもを悪く言えないことがある。
子どもに見せたくない大人。

車椅子マーク:駐車場に健常者 苦情急増

-毎日ニュースより-

本当に必要な人がいるのに・・・


自分の足でしっかりと動くことが出来るでしょ。
たかだかスーパーだったら1分もかからず店内には入れるでしょ。

車椅子に乗ったことありますか?
普段感じ得ない振動がダイレクトに襲い掛かってきます。
少しの段差もきつい。


こんなこと言われなくても、
警備員の手を煩わせなくても、
わかりますよね。


モラルって習うものじゃないですよね。
会得するものです。
感じ取るものです。

こういう記事を読む度に情けなく感じざるを得ません。

馬鹿大学生

2006年01月18日 10時25分13秒 | 社会

yahooニュースより

暴行:同級生にいじめ繰り返す、和大生3人を逮捕--和歌山北署 /和歌山


大学生にもなって「いじめ」ですか?
まぁ社会に出ても「いじめ」は存在しますが・・・

まったく嘆かわしいな。

明けましておめでとうございます

2006年01月03日 01時41分19秒 | ポシライフ
新年の挨拶までに。
しばらく書かないうちにジワジワと変わってきているここのブログ。

今年もマイペースに書いていきますのでよろしくお願いします。

塾講師に求められる素質

2005年12月13日 14時11分01秒 | 塾のお仕事
このたびの事件に関しては言及すべくものでもないと思うが、
塾講師の現状を述べたいと思う。
まずは必要とされる素養。

塾講師になるためには資格はない。
私の通う塾のとある責任のある立場の人の話では、
「前提は子ども好きであること」
だと言う。

これに対してまず異を唱えたい。
確かに子どもと関わる仕事ゆえに、子ども好きでないと勤まらない気がするが、それがゆえに起こる問題もあるのではないかと思う。

基本的に私の周りの子ども好きと自負する人たちの授業は
画一的でさえあるように感じるし、
子どもからの人気もイマイチな感じを受ける。

また子ども好きが本当に好きになる人もいるに違いない。
先生と教え子の結婚など、その一例であるように思う。

私から見ると子ども好き=主観的な評価
を下しかねない性質であり、
しばしば他を見えにくくする要因ではないかとさえ考える。

では塾講師に求められていることは何かと言えば、

子どもの状況を一人別に把握し、
成績向上のためにいかに具体的な方策を打ち出すことができるか、

ということではないだろうか。

一人別に子どもの状況を把握するためには、
個々のコミュニケーションも必要となるだろうし、
精神的に打ち解けないと不可能なことであろう。

ただそこには大人としての視点、
指導者としての責任を必ず固持していかなければならない。

決して子ども相手だからといって、自分を子どもレベルに貶めるようでは駄目なのである。

2005岡山大学祭

2005年11月20日 23時23分24秒 | ポシライフ
大学祭があった。
大学を卒業して3回目の大学祭ですが、やはり特有の緊張感を感じました。

またこの時期、OBやOGが集まって飲み会をします。
本当に楽しみにしているこの時。

今年は仕事柄、飲み会に最初から参加することは不可能でしたが、
途中で合流し、懐かしい面々との再会を果たしました。

また模擬店の方にも深く関わりました。
発案者の私がふがいないばかりに、周りの方に多大なご迷惑をかけましたが楽しい時間を過ごすことができました。

マイムマイムも踊ったしね・・・

来年のこの時期が早くも楽しみであります。

子供という免罪符

2005年11月11日 11時42分45秒 | 社会
子どものやることはかわいい。許せてしまう。
そんな気持ちになったことはないでしょうか?

私も子ども相手の仕事柄そういったことはあります。

ただ「子ども」だからと言って手放しに許すなんてことはしません。
よく叱っています。


テレビを見ていてもよく思います。
「○○選手権」みたいな、大人も子どもも入り混じって競う企画があったりしますが、
客観的な点数で競うものでない場合、子どもの方が多分に有利だったり思えます。


「子ども」というのは多分に特権階級のような扱い方がされます。

確かにその幼い風貌に愛しさを感じ、人生経験の少なさは仕方がないで片付くことでしょう。
ただ、過ちは過ちと注意しなければいけません。
将来、自分で良し悪しのモラルを身に付けてもらうために。

「仕方がないなぁ」

だけだと何の成長もないでしょう。


yahooニュースに

運転室に息子入れクビ…「厳しい」と抗議430件

という記事を読んでこのことを再認識しました。


自分の仕事を見てもらいたいという親の気持ちはわかります。
ただ、運転室に入れるのは大きな過失です。

その電車には何百人という人が乗っていたのではないでしょうか?
もし子どもを入れたことにより、注意力散漫になって
重要な信号標識を見落としていたら…
子どもが親の知らない間に機器を触っていたら…

どのようなことになるでしょうか?

尼崎の事故はまだ記憶に新しいはずです。


「自分の子どもをいれたくらい・・・」
と思う人がいるかもしれませんが、はっきり言って甘すぎます。

もし事故につながってしまっていても同じこと言えますか?


今回の東武鉄道の処置は当たり前のことですし、
乗客の立場に立って考えると安心感すら覚えます。


良いことと悪いこと。
その判断力が大人の中でも鈍っているのかもしれませんね。