Art&Blue-Liberalism:青き自由主義 復刻版 など 

アダム・スミスとマックス・シュティルナーの思想を参考にして自由に個人が生きる世を目指す!

3.4 宗教の復活と個人主義啓蒙の開花

2017-01-05 17:08:38 | 国民国家の黄昏にて
この社会移行の問題は、すべての人が幸いにも革新的な心で高い能力と特別な才能を授けられるわけではないということである。 アノミー化(無規範化)する社会で個人等が利己化する中で、お互いを助ける個人間の共同体の絆が弱くなり、生活手段を失った人々には生活の代替目的が与えられない。 故にこれから到来する時代から物質主義的な恩恵が享受されにくい不幸な人たちの援助は以前よりも少なる。そして、より多くの個人が余剰供給とみなされ、それがアノミー化された世界に放棄される。 デュルケムは過剰な社会のアノミー化と個人等の利己化は社会の歪を生み自殺率などの上昇を懸念した。

政治経済の新しい時代には、集団的利益のような利他的で規範的なものが政治的規模で存在しなくなる。故に個人等は団体的関心のために急進的行動を引き起こすことないが、彼らが無規範な情勢下で利己的な理由逸脱した行動を行うリスクは上がる。この資本主義に深刻に苦しんでいる人々は、以下の3つの行動のうちの1つを試みる傾向がある。最初の人は静かに自分の不幸な人生を終わらせるために自殺すること。第二のものは、書かれた法律と書かれていない法律の両方の規則を無視した、犯罪または逸脱する行為を行うこと。 3番目のものは、この物質主義から精神主義への逃避を行うこと。前者の2つの行動は、非合理的かつ非生産的なものであり、無視され当然とられるか、またはいくつかの否定的な制裁によって抑制される。三番目の行為は、地上世界の過酷な状態で生き続けるために有用な方法として成長し、繁栄すると予測されている。宗教を侮辱し、その衰退を予測した無神論者であるマルクスは、「宗教は民衆の阿片である」と言った。 それは皮肉にも正しく、物質的世界から得た喜びの欠如から敏感な痛みを緩和する軽い麻薬のような作用を果たす。

彼らの脱出の典型的な目的地は、マルクスと現代の多くの政治哲学者が最終的に消滅すると予想していた宗教として表現できるスピリチュアリズムな生活である。彼らは、宗教は個人が集まって互いに助け合う規範的なコミュニティの一形態であると予見する傾向がある。しかし、これは偏見であり、宗教の本質を説明することはできない。宗教は物質的科学的測定によって説明されないいくつかの超越的物質の信仰によって形成される。信じるか否かにかかわらず、それは各人の思考と考え方に依存している。この超越的な世界を信じる者は、超越的で非物質的なものを形成し、「スピリチュアリティ」と呼ばれる思考の心を発達させていると信じて考える。

宗教的コミュニティは、霊性を信じているこれらの忠実な個人のフォーラムに過ぎず、信念そのものの信念自体を得ることは各個人の意思決定と信念次第である。たとえば、多くの個人が共同体の研究所に入らずに宗教活動を実践する。伝統的な宗教も様々な宗派や捉え方があり、様々な形の信仰が存在する。今後も増加するであろうと思われる新しい形の宗教は、思考の心が物語の世界から切り離された精神世界に直接結びついていると個人が信じるものであろう。


前章で紹介したジェンレミー・ベンサムは部分的に正解だが、部分的に間違っていた。若干の個人は、喜びと引き換えに痛みを感じている。ベンサムは無神論者であり、霊的な世界を信じていないので、物質的でない物質から得られる功利(必要最大限の快楽と必要最低限の痛み)について考えるのはナンセンスであった。対照的に、霊的な世界を信じる者は、精神的な信念から喜びを得る。個人の快楽や苦痛の程度は、生物学的、物質的、社会的状況だけでなく心理的状況にも依存する。霊的世界の存在に関する論争とは無関係に、宗教と霊性の忠実な信念は、信仰に執着することによって信者の喜びを高める。彼らの霊的信仰による快楽は、地上生活の苦痛を軽減するのに十分に最大化することができる。

信仰は、個人が抱き続ける無敵の力を持っている個人的な霊的財産である。物質的性質は腐敗するにつれて永続的ではなく、失われたり盗まれたりする一方、宗教に対する信仰である精神的性質は永久に残ることがある。個人と市場がこれらの個人の存在を拒絶しても、個人は自分の存在と心に彼らの信念を保つかもしれない。個人は誰とでも何か他の人に中断されることなく、自分のために生きています。彼らが他の個人や物質的ニーズからより分離され、地上の世界で欲しいときに、彼らがコミュニケーションして生きるように命じるのは、自分の心である。

様々な普遍的な宗教が千年以上存在し、非常に長い生存と巨大な影響の強い知恵があるかもしれない。宗教およびそれに準じるものは物質的な世界に絶望している個人等に快楽をもたらすものを説明する効果的な方法を見つけたかもしれない。彼らの説明の一部はあいまいで科学的ではないが、宗教もしくは新しい個人のための自己啓発などを信じて喜びを得るようにな個人は増えるであろう。だから、合法性と妥当性に関する論争にかかわらず、信じたい人がいる限り、宗教とその信仰は繁栄し続ける。成長し続ける資本主義におけるアノミー化の増加は、マルクスと他の現代政治哲学者による予測にもかかわらず、宗教の需要をさらに増大させる。


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