そう考えると経済学は30年前ぐらいから文系ではなくなったかも。確かに小生の最初の経済学修士号もMScですし。だからそれ専門の数学だけにとどまりませんよ。まぁ経済学でも分岐がありますが、計量経済もしくはファイナンス系に行く場合は統計学だけでなく線形代数や微分積分とかもしっかり把握してないとヤバいです。だから後輩でログ関数知らずに経済学着た奴がいたときは驚いて「あー、ここから教えなあかんのかぁ!」って嘆いたことがあります。ちなみに、小生の場合は昔は経済学の数学だけでなく数学科も掛け持ちしていましたし、今現在は Mathematics and Data Science の修士課程で勉強中です。
社会学や心理学の方はもっぱらそれ専門の数学かもしれませんね。んでも社会科学だけでなく法学でもA ∪ BとかA ∩ Bの論理演算できないとヤバいですよね。西村ひろゆき氏のように心理学からプログラマーが出るのも、やはり学問を勉強するなら文系理系の垣根を超える必要があると思う今日この頃。
科学は天才にしか扱えないってのは、意味は解りますものの、やはり納得しえない部分はありますね。まぁ、問題は日本の教育に問題がありますよね。どうも先生の説明で理解できなければ落ちこぼれとして無視して、難しいこといっている渋りみせてそれで周りのカヤの外に追い出すというか。それで無意味な抵抗感を植え付けてしまっていますね。
数学は他言語であらせない物事を表す宇宙共通言語です。だからこれは万人が使用できることにこしたことはありません。難解に見える数式も実は分解して個別にみればそんなんでもないです。要は教え方の問題。
ただ数学できをつけなければならないことは、実は完全な客観ではなくかなり強力な主観も存在していること。特に、あらゆる実数の0条=1となるのもコンピューターの計算で代表される Numerical Method では証明できず Analytical Method になるんですよね。limit 累乗→∞無限であればそこに Converge 収束していくという Analytical になるわけです。あと0の存在もあらゆる実数÷∞無限と=イコールですし、1+1=2にならない場合も1(A)と1(B)が異なる場合は1(A)と1(B)の誤差εが異なる場合でありそれは既にAxiom公理において、どちらかの1は1にならないし、2も同じ自然数1を足したもの以外では0以外の自然数ならざるもの2つの要素にならざるをえない。つまり、ここで文系が重要になってきて、カントの哲学で紹介されていることは、最強の客観性を担保するには最強の主観性を伴うことになり、これは客観と主観どちらかというよりかは普遍的そして究極の存在はどちらも一蓮托生であると。・・・・久しぶりにマニアックな実数解析の話になってもーたw。
数学は必要に応じて理解して使用すればよいのですよね。日本の会社で一般職の事務員として働いていらっしゃる方々だってエクセルの数式使用しているわけですから。
社会学や心理学の方はもっぱらそれ専門の数学かもしれませんね。んでも社会科学だけでなく法学でもA ∪ BとかA ∩ Bの論理演算できないとヤバいですよね。西村ひろゆき氏のように心理学からプログラマーが出るのも、やはり学問を勉強するなら文系理系の垣根を超える必要があると思う今日この頃。
科学は天才にしか扱えないってのは、意味は解りますものの、やはり納得しえない部分はありますね。まぁ、問題は日本の教育に問題がありますよね。どうも先生の説明で理解できなければ落ちこぼれとして無視して、難しいこといっている渋りみせてそれで周りのカヤの外に追い出すというか。それで無意味な抵抗感を植え付けてしまっていますね。
数学は他言語であらせない物事を表す宇宙共通言語です。だからこれは万人が使用できることにこしたことはありません。難解に見える数式も実は分解して個別にみればそんなんでもないです。要は教え方の問題。
ただ数学できをつけなければならないことは、実は完全な客観ではなくかなり強力な主観も存在していること。特に、あらゆる実数の0条=1となるのもコンピューターの計算で代表される Numerical Method では証明できず Analytical Method になるんですよね。limit 累乗→∞無限であればそこに Converge 収束していくという Analytical になるわけです。あと0の存在もあらゆる実数÷∞無限と=イコールですし、1+1=2にならない場合も1(A)と1(B)が異なる場合は1(A)と1(B)の誤差εが異なる場合でありそれは既にAxiom公理において、どちらかの1は1にならないし、2も同じ自然数1を足したもの以外では0以外の自然数ならざるもの2つの要素にならざるをえない。つまり、ここで文系が重要になってきて、カントの哲学で紹介されていることは、最強の客観性を担保するには最強の主観性を伴うことになり、これは客観と主観どちらかというよりかは普遍的そして究極の存在はどちらも一蓮托生であると。・・・・久しぶりにマニアックな実数解析の話になってもーたw。
数学は必要に応じて理解して使用すればよいのですよね。日本の会社で一般職の事務員として働いていらっしゃる方々だってエクセルの数式使用しているわけですから。