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がん戦争 ~ポケットの中の2年戦争~

余命1年と言われたしがない28歳が綴る、放蕩と堕落に
充ち満ちた末期な日常。
(当ブログの無断転載を禁止します)

がん戦争13ヶ月突破とTS-1再開。

2005-09-13 | 闘病
さぼりまくりで、すみません(滝汗


市町村合併が近いので、仕事が忙しいです・・・。


そんな中でも、闘病は順調ですね。
TS-1再開しました。

今週末、胃カメラ飲んで、再来週にはCTで戦況を見極めます。



次はタキソールかなあ。
となると、本物のカツラを探さないとw





まだまだ生きれそうな悪寒。






「助からない」、は漏れの闘病の原点です。
全てはそこから始まりマスタ。

決起。

2005-09-01 | 闘病
またまた、本日も議員さんに発射しました。

いちごさんとかも、果敢に取り組んでおられるようですので、
参考のために是非、覗いて観て下さい。

また、シュウさんのブログも大変参考になりますね。



おまいら、決起。

単純ヘルペスウイルスHF10早期実用化要望プロジェクト

2005-08-31 | 闘病
http://www2.atwiki.jp/hf10/pages/4.html

遅くなりました。
リンクを張らせて頂きます。

このブログは1日約200名の方がご覧になっていると思いますが、
是非このリンク先を覗いて頂き、運動にご理解、ご協力を頂き、その素晴らしさに
ついて広く周知して頂けたなら幸いでございます。


現在、この運動をどうやって進めていこうか議論になっていますが、
モチベーションはあるものの、これといった具体的な方向性が示せない
状況にあります(涙


頭脳明晰な方や、有力者にコネのある方など、是非ともよろしくお願い申し上げます。




TS-1・4週間終了と次の選択

2005-08-31 | 闘病
TS-1による爆撃が終了した。
これといった民間人攻撃も無く、あとは悪の枢軸をぶったたいてくれれば
良いのだが・・・。

次はCTと胃カメラの検査をするそうである。
そんで、次の選択をするわけだ。

何も写ってませんように!


ところで、昨日久々にオカルト板を散策していたら、闘病中の某コテの
名前を発見した。

元気そうじゃないか!しかも、シンパまでいるじゃんww
入院中は無理しないで。
(漏れは怪談と心霊写真が好きです)

何が奇跡をもたらすのか?

2005-08-26 | 闘病
最新のアエラに「いずみの会」の記事があった。
まだ、よく読んでいないのだけど、会員の驚異的な生存率について
紹介されていた。
他にも大集会でパネリストで登場していた、フミさんの紹介記事もあった。




何が奇跡を起こすのだろう?



最近、様々な闘病記を読んでいるのだが、これといった共通点は
見つからないような気がする。
ただ、一つ言えることはありきたりだけど、「自分は生きる」という強烈な
意思が存在しているということだけだ。

漏れみたいに末期になってしまうと、その意思すら持ち続けることが
困難になってきたりするのだけどね。


周囲のサポートは必須だけど、結局は自分自身なんだよね。
だから、漏れは奈落の底まで落ちる、ということはある意味では絶対必要な
気がする。
底までたどり着いたら、それぞれ何かに気が付くはずだ、多少なりとも。




何を言いたいのか?って問われれば・・・





「優奈のママ、がんがれ!」

ただ、それだけ。

胃?いい?

2005-08-17 | 闘病
先日の下痢騒動以来、実は胃の調子もおかしかった。

具体的には、空腹時に「ぐー」と鳴らず、ちょっとした痛みが
あったのだ。


今は下痢も嘘のようにおさまっているのだが、胃が収縮していたのか、
空腹時には謎の状態に陥っていた。

しかしながら、ここ数日で目覚ましい回復をとげ、「ぐー」とうなりを
上げるようになったw


自分は胃をほんの少しだけ切除しただけなので、詰まるとかそういうことは
無いのだけど、ガンが広がり、胃が硬くなり、食物を消化出来なくなる
という恐れもあります。


ふー、不思議だ。
再開したTS-1効果だろうか?


人体は良くわからないな。
2歩すすんで3歩後退したり、またその逆もあったり・・・。



簡単にあきらめちゃダメだよ、皆様。
生存曲線のように、体調も急降下・・・(略 って安易に考えないで。

漏れのようなケースもあるわけで。

1年戦争総括(TS-1 14日目)

2005-08-15 | 闘病
遂に1年戦争終結したわけなのだが、雑感を少々。

まずは、漏れお疲れw
そして、死ぬと思われた皆さん、死ななくてすみませんでした(汗


正直な感想として、いまいち生への喜びとか、命のはかなさとか
実感として湧いてこないな。

確かに浮いたり、沈んだりして読者に迷惑を掛けたのだけど、
この1年はなんだか淡々と経過してきたような気がする。

一部、ドラマばりの展開もあったわけだが、総合的に振り返れば
そんな感じだ。


まあ、漏れがヴァカだから、哲学しきれてなくて、いまいちピンと
こないだけかもしれないけどね。
また、死というものが体感的により鮮烈になってくれば、
何かを見いだすことができるのかもしれないけれども。


体調のほうはというと・・・残念ながら体力は1年前に比べて落ちてきて
いるようである。
ちょっとしたことでも疲労が溜まるし、身体のあちこちに違和感を感じる。
抗ガン剤の副作用なのか、ガンの進行によるものなのかは不明だが、
今はそんな状況だ。



2年目に突入したわけだけど、この2年目は以前も書いたとおり、
生死をわけた戦争になると思う。
この1年をどう過ごすのか・・・自分の人生が決まるといっても過言では
あるまい。


治療を断念して死を受け入れ、残りの人生と静かに向き合うのか。
積極的な選択をし続け、数%の奇跡に掛けていくのか。
オルタナティブだなあ。



どこまで行けるのか未知数だけど、できる限り、1秒でも長くこの世に
とどまっていたい。



漏れには、彼女が連れてきた観音菩薩が憑いているから、
きっと・・・略



死を受容するには、小難しい理屈が必要なのか?

2005-08-10 | 闘病
さて、件の女史が書いたエッセイ、批評を読んでみた。

ふむふむ、なるほどね・・・こりゃひどいわw
すごいこき下ろされてますな、漏れら。

なんつーか、全体を通しての感想なんだけど、小うるさい小姑の小言の
ような感じだ。
わかってるよ、そんなことくらい、何を今更感が漂うな、あの文章・・・。

死に直面したら、他人にその経過を公表することなく、ストイックに孤高な
精神で独り考えることこそ、大切であると説いているみたいだけど、「自分自身で
あること」は様々な他人と交わってこそ、認識出来うるものなのではないのかな?


私はむなしかった・・・ってあったけど、漏れはそんなあなたこそむなしいと
思ったよ。
多様な価値観を受け入れ、時代の潮流を上手に取り入れながら進化してしくことが
必要な感じがするのだが、哲学とはどうやら、そうじゃないらしいw


じゃあ、人間は死に直面したとき、何に救われるのだ?
結局、自分自身だけなのか?