さて、件の女史が書いたエッセイ、批評を読んでみた。
ふむふむ、なるほどね・・・こりゃひどいわw
すごいこき下ろされてますな、漏れら。
なんつーか、全体を通しての感想なんだけど、小うるさい小姑の小言の
ような感じだ。
わかってるよ、そんなことくらい、何を今更感が漂うな、あの文章・・・。
死に直面したら、他人にその経過を公表することなく、ストイックに孤高な
精神で独り考えることこそ、大切であると説いているみたいだけど、「自分自身で
あること」は様々な他人と交わってこそ、認識出来うるものなのではないのかな?
私はむなしかった・・・ってあったけど、漏れはそんなあなたこそむなしいと
思ったよ。
多様な価値観を受け入れ、時代の潮流を上手に取り入れながら進化してしくことが
必要な感じがするのだが、哲学とはどうやら、そうじゃないらしいw
じゃあ、人間は死に直面したとき、何に救われるのだ?
結局、自分自身だけなのか?
ふむふむ、なるほどね・・・こりゃひどいわw
すごいこき下ろされてますな、漏れら。
なんつーか、全体を通しての感想なんだけど、小うるさい小姑の小言の
ような感じだ。
わかってるよ、そんなことくらい、何を今更感が漂うな、あの文章・・・。
死に直面したら、他人にその経過を公表することなく、ストイックに孤高な
精神で独り考えることこそ、大切であると説いているみたいだけど、「自分自身で
あること」は様々な他人と交わってこそ、認識出来うるものなのではないのかな?
私はむなしかった・・・ってあったけど、漏れはそんなあなたこそむなしいと
思ったよ。
多様な価値観を受け入れ、時代の潮流を上手に取り入れながら進化してしくことが
必要な感じがするのだが、哲学とはどうやら、そうじゃないらしいw
じゃあ、人間は死に直面したとき、何に救われるのだ?
結局、自分自身だけなのか?
最近の週刊新潮、彼女の書いたコラム
「人間自身」をお読み下さい。
どこからたどったか忘れましたが、ようやくまっとうな批評に行き当たって落ち着きました。
いいえ、言葉足らずですみませんでした。
ここは2ちゃんねるとリンクしてる部分が多々あるので、??って思う部分があるかもしれません。
葉っぱ先生
これは、なかなかの良ブログ、鋭い批評ですねー。
紹介してくださって、ありがとうございます。