コメントをgooユーザー限定にしたところ,嫌がらせのような書き込みはなくなりましたが,コメント数が減りすぎて逆にブログとしてはつまらなくなったかな,という感じもあります。gooユーザー限定にしたのは,スパムのコメント投稿者に対し投稿拒否できるようにするためで,現状でも法的措置などを取らない限り黒猫がコメントの投稿者を特定できるというわけでもなく,またするつもりもありません。
今回の記事に関しては,試験的にコメント投稿については特段の制限を設けないことにしますが,またスパムのコメントが増えるようであれば,設定を変更することもあります(コメントの許可については,記事毎に設定するシステムになっています)。
本題ですが,5月頃から9605-sak@mail.goo.ne.jpのアドレスについて,法科大学院に関するお悩み相談みたいなものを受け付けていたところ,現在までに結構な数のメールを頂きました。その中には,法科大学院の在校生または卒業者の方による体験談や情報も多く含まれているのですが,その中で個別の教員に対する批判という話になると,ほとんど全員が民事訴訟法の教員について言及するということに最近気付きました。
法科大学院の授業には,基本科目だけで憲法・行政法・民法・商法・民事訴訟法・刑法・刑事訴訟法の7科目があり,それ以外の発展科目などもいろいろあるのに,なぜ民事訴訟法の教員が叩かれるのか。今回はその原因について考察してみます。
1 旧試験時代の民事訴訟法
旧司法試験の時代,平成11年まで民事訴訟法は選択必修科目(民訴と刑訴いずれか1科目を選択)とされ,選択科目が廃止された平成12年からは必修科目となりましたが,民事訴訟法は「眠素」とも呼ばれ,授業はつまらないし司法試験でも受験生の出来が悪いという不人気科目でした。
旧試験の民訴法は論文と口述だけなので,憲民刑と異なり受験生も主要科目と位置づけていなかったという要因もありますが,科目自体も学生に教えるのは難しいという要素があったのです。
民訴法は訴訟手続に関する法律なので,訴訟手続のことを知らない学生・受験生には馴染みにくい,おまけに民訴法の用語は「固有必要的共同訴訟」だの「主観的予備的併合」だの,他の科目と比べても複雑怪奇でとても日本語とは思えないようなものが多く,一般向けに民訴法の概念を説明するのは極めて困難であるなどということはよく言われますが,さらに民訴法の世界は理論(理念・建前)と実務(本音)の乖離が激しいという問題も抱えています。
例を挙げると,民訴法では口頭主義という原則があり,民事訴訟の審理は口頭で行うものとされていますが,現実における民事訴訟手続の実態はどう見ても書面主義です。民訴法では「陳述」という用語が数多く使われていますが,実際の口頭弁論期日では当事者の主張が口頭で述べられることはほとんどなく,裁判長が「第1準備書面陳述」などと独り言のように呟くだけです(ただし,あまり的外れな内容の準備書面を書くと,裁判長からたしなめられて「陳述しない」という取り扱いにされることもあるので,「陳述」という概念自体は一定の意味を持っています)。
また,判決はその基本となる口頭弁論に関与した裁判官がするのが原則とされ(直接主義・民訴法249条1項),裁判官が代わった場合は従前の口頭弁論の結果を陳述しなければならず(同2項),これを実務上「弁論の更新」と呼んでいますが,実際には裁判官が交代しても,裁判長が「弁論を更新します」と呟くだけで,書記官が期日調書に「裁判官が代わったので,弁論を更新した」と記載すれば,有効な弁論の更新があったものとみなされます。
それすら行われなかった場合には絶対的上告事由になるというのが判例の立場であり,現場の裁判官や書記官はミスをしないように細心の注意を払っていると思いますが,一般人から見れば「絶対的上告事由にするほどの意味があるのか」と思うのはむしろ当然でしょう。この話をしてくれた予備校の講師は,「実務に染まってしまうと司法試験の問題はかえって解けなくなる」とも言っていました。
しかも,旧司法試験の論文で出題されていた民訴法の論点は,民事訴訟の実務を知らない民訴法学者が机上で議論している話であり,実務上役に立つのか疑問視されるような論点もありました。もちろん,「二段の推定」など実務上重要な民訴法の知識もありますが,それらは単に知っていればよいだけの話だったので,旧試験ではあまり出題されなかったのです。
要するに,存在意義があるかどうかも十分検証されないままに学者の論理が一人歩きし,それが司法試験に出題されるので一応受験生も付いていくことを余儀なくされているというのが旧試験時代の民訴法であった,と言っても過言ではないかも知れません。
2 新司法試験における変化
新司法試験では,民事訴訟法は択一・論文の両方で出題されるようになり(なお,口述試験は廃止されています),科目としての重要性は旧試験時代より高まっています。
また,論文試験の問題は他の科目と同様,長文の事例式問題が出題されるようになりましたが,民訴法の論文は一時期民法との融合問題とされていたこともあって,旧試験時代と異なり民法の基本的知識がないと答えられない問題になっています。また実務的思考・現場的思考が重視される問題であること,択一でも出題されることと相俟って,旧試験ではあまり重要視されてこなかった実務的な基本知識が不可欠となっている点も見逃せません。
黒猫のように,司法試験はとっくの昔に受かっているという人間から見れば,新試験の民訴法は実務に配慮した良い問題だと思えるのですが,出題形式は変わっても必要な知識の内容はさほど変わらないと評される他の科目と異なり,民訴法は要求される知識の範囲も旧試験と新試験とで大きく変わっているように思われます。少なくとも,旧試験時代のような論点主義の教え方は新試験では通用せず,法科大学院でも予備校でも,新しい教え方を一から考え直す必要があるでしょう。
教え方の一例としては,旧試験時代の前期修習で行われていたように第一審手続の概要を説明し,それから各種の基本的な概念をできるだけ実際の手続きがイメージできるように説明し,その後旧試験に出題されていたような応用的論点について説明するといった方法が考えられますが,もちろんそれで上手く行くとは限らず,どうしても試行錯誤を繰り返すことになるでしょう。
3 法科大学院における民訴教育の問題点
以上のような理由により,もともと新試験時代における民訴法の教育は,十分な能力と熱意のある教員でも決して容易ではないと考えられるのですが,法科大学院における民訴法教育はさらなるハンデを背負っています。
第一に,民法の基本的知識がなければ対応できない科目であるため,民法の教え方がしっかりしていないと,民訴法の教員だけではどうすることもできません。実際の法科大学院教育(特に下位ロー)では,民法も教員の関心がある狭い分野しか教えないなど非常に問題のある教え方がなされており,学生も民法の基礎をほとんど理解できていない例が非常に多いため,真面目な民訴法の教員は,おそらくスタートの時点で頭を抱えることになります。
第二に,法科大学院における民訴法の教育は,理論面を教える法律基本科目としての『民事訴訟法』と,実務面を教える法律実務基礎科目としての『民事訴訟実務の基礎』(名称は各校により異なる)とに分かれており,両者の科目を別の教員が担当しているのが一般的です。実際の手続きをイメージできないと理解しにくい民訴法を,このように理論科目と実務科目とに分断する教育上の合理性は乏しく,このようなカリキュラム編成(文科省によって事実上強制されており,各法科大学院で勝手に大きく変えることはできない)が民訴法を理解する妨げとなっている可能性も否定できません。
第三に,文科省の指導により,法科大学院では司法試験の受験対策に偏った教育をしてはならないものとされていますが,一部の法科大学院ないし教員の間ではこの点が曲解されているのか,むしろ司法試験ではやらないような教育をやるのが法科大学院教育の美徳であると勘違いしているような教員が結構いるらしく,例えば憲法の科目ではほとんど司法試験に出ない憲法9条の問題を延々と語り,学生に抗議されてもそれを悪いとは全く思っていないような教員もいると聞いたことがあります。
そして,学問分野における民訴法の守備範囲は結構広く,民事執行法や民事保全法,さらには仲裁法なども昔は民事訴訟法の一部であったという沿革があるため,『民事訴訟法』の講義で(司法試験ではまず出ない)民事執行法や民事保全法の話をすることも,それ自体が学問的に誤りであるとまではいえません。それをよいことに,民訴法の教員の中には,司法試験では絶対出ないような民事執行法や民事保全法のマイナー論点を延々と語り,期末試験にも民事執行法や民事保全法の問題を出す教員が実際にいたようです。
また,一応は民事訴訟法に関係する話をしていても,例えば新聞記事を題材に,ドラえもん(2012年9月3日川崎市に住民登録された)に当事者適格は認められるか,といった話を延々と語るような教員もいるようです。最大限善意に解すれば,民訴法の講義は学生にとってイメージしにくい退屈な話が多いので,できるだけ学生に身近な話を題材にした講義をしようと考えているのかも知れませんが,それでも努力の方向性が根本的に間違っていることは言うまでもありません。
法科大学院教育に関しては,例えば司法試験で出題される「司法試験民法」と下位ローで教えられる「下位ロー民法」は全く違う科目だ,などと揶揄されることもありますが,民訴法の分野ではいわば「旧試験民訴」,「新試験民訴」,「下位ロー民訴」,「下位ロー実務民訴」という4つの全く異なる科目が並立してしまい,他の科目以上に学生を混乱させてしまっている可能性がある旨を指摘する必要があるように思います。
4 法科大学院教員の人間性に関わる問題
もっとも,これで話を終わらせてしまうと,法科大学院の在校生やその卒業者の皆さんから,たぶん「それ以前の問題だ」などとお叱りを受けてしまうでしょう。
実際,ひどい民訴法教員の具体例として挙げられる話の多くは,必ずしも民訴法という科目の特殊性に関わるものではなく,例えば授業の内容がもはや法律の話ですらなく,単なる愚痴や他の教授等の悪口,法律とは一切関係のないスポーツや旅行,ペットなどの話であるとか,「単位下さい飲み会」に出席して教授の機嫌を取らないと単位をもらえないとか,成績は良くても予備校の本で勉強している学生は単位を落とすとか,女性ばかりえこひいきするとか,逆に女性でも自分の誘いに乗らなかった人には報復的に単位を落とすとか,もはや横暴ないし職権濫用と評するしかないものの方が多いくらいです。
ただ,上記のような行為は論理的には他の科目でもやれそうなことであり,それでも民訴法の教員がその代表例として叩かれるというのは,やはり前述したような民訴法という科目の特殊性が強く影響しているものと思われます。
すなわち,①科目そのものが分かりにくい,②他の科目と異なり,民事執行法や民事保全法など,予備校で司法試験向けの学習をしっかりやっている学生でも容易に対応できないマイナー論点が多数存在するので学生をいじめやすい,③民事系科目は法科大学院教育でも重視されており配当単位数も比較的多いので教員も威張っている人が多い,といった影響です。
逆に,行政法は学問体系自体が混乱期にあり,司法試験の必修科目の中では最も受験生に嫌われている科目であるとも言われますが,法科大学院教育の中では非常に軽視されており4単位くらいしか配当されていないためか,法科大学院で行政法の教員が特に嫌われているという話はあまり聞きません。
なお,教員に対する批判の中には,司法試験では到底使えないような自説(少数説)を延々と披露するとか,判例の批判ばかりしているとか,既に存在しない旧法や旧制度の話を含めた制度の沿革を延々と語るなどという話もありますが,これらは下位ローに限らず東大ローなどの教授にもみられる話です。
非常に残念なことではありますが,その程度であれば(一応法律の話をしているだけ)法科大学院の教員としてはまだマシな方です。会社法などは,まず旧商法の話をしてそれが会社法でどう変わったかを説明した方が分かりやすいとも言われており,既に廃止された旧法の話をすることが教育方法として間違いであるとまでは言い切れない面もあります。
ちなみに,在校生や卒業生の方々からどのようなお話があったか,より具体的な話を書ければ説得力も上がるのでしょうが,残念ながらこのブログであまり具体的なことを書くことはできません。法科大学院生は,平然と職権濫用を行う教員たちの恐怖政治に脅えきっており,在校生のみならず卒業生までも,教員による報復をとても恐れています。また,頂くメールを読んでも,かなり精神的に不安定な状況に曝されていると思われるものが少なくありません。
また,学生の不満が大きい不良教員は,授業内容の改善には全く関心を払わない一方で,自分のやっていることがネット上で曝されることには異常なまでの注意を払うという特性を持っているらしく,実際にこのブログなどで実態が曝されると,執拗に「犯人捜し」が行われるような例も稀ではないらしく,何とか下位ローの実態を世間に訴えようとしている法科大学院生やその卒業生も,ほとんどはかつての共産党員を彷彿とさせるような匿名での地下活動を余儀なくされているようです。
このような状況の下では,情報提供者様に多大なご迷惑をおかけするおそれがあるため,頂いたメールの内容をブログの記事に転載するようなことはとてもできません。また,記事で挙げている実例についても発信元の特定を防ぐため,本質を損なわない範囲で多少改変してお話しています。読者の皆様もその点はご理解,ご了承下さい。
最後に念のため書いておきますが,黒猫も民訴法の教員すべてが人間性を疑われるようなひどい教員だなどと主張するつもりはありません。平然と職権濫用をするようなひどい教員が多い中で,分かりにくい民訴法を何とか分かりやすく教えようと孤軍奮闘されている先生も少なからずおられると思います。
ただ,そのように良心的な教員がいるからと言って,他の不良教員や根本的欠陥を多数抱えた法科大学院制度が免責されるようなことがあってはなりませんし,また民訴法という科目の分かりにくさは,おそらく個人レベルの努力で解決するには自ずと限度があるように思われます。
今回の記事に関しては,試験的にコメント投稿については特段の制限を設けないことにしますが,またスパムのコメントが増えるようであれば,設定を変更することもあります(コメントの許可については,記事毎に設定するシステムになっています)。
本題ですが,5月頃から9605-sak@mail.goo.ne.jpのアドレスについて,法科大学院に関するお悩み相談みたいなものを受け付けていたところ,現在までに結構な数のメールを頂きました。その中には,法科大学院の在校生または卒業者の方による体験談や情報も多く含まれているのですが,その中で個別の教員に対する批判という話になると,ほとんど全員が民事訴訟法の教員について言及するということに最近気付きました。
法科大学院の授業には,基本科目だけで憲法・行政法・民法・商法・民事訴訟法・刑法・刑事訴訟法の7科目があり,それ以外の発展科目などもいろいろあるのに,なぜ民事訴訟法の教員が叩かれるのか。今回はその原因について考察してみます。
1 旧試験時代の民事訴訟法
旧司法試験の時代,平成11年まで民事訴訟法は選択必修科目(民訴と刑訴いずれか1科目を選択)とされ,選択科目が廃止された平成12年からは必修科目となりましたが,民事訴訟法は「眠素」とも呼ばれ,授業はつまらないし司法試験でも受験生の出来が悪いという不人気科目でした。
旧試験の民訴法は論文と口述だけなので,憲民刑と異なり受験生も主要科目と位置づけていなかったという要因もありますが,科目自体も学生に教えるのは難しいという要素があったのです。
民訴法は訴訟手続に関する法律なので,訴訟手続のことを知らない学生・受験生には馴染みにくい,おまけに民訴法の用語は「固有必要的共同訴訟」だの「主観的予備的併合」だの,他の科目と比べても複雑怪奇でとても日本語とは思えないようなものが多く,一般向けに民訴法の概念を説明するのは極めて困難であるなどということはよく言われますが,さらに民訴法の世界は理論(理念・建前)と実務(本音)の乖離が激しいという問題も抱えています。
例を挙げると,民訴法では口頭主義という原則があり,民事訴訟の審理は口頭で行うものとされていますが,現実における民事訴訟手続の実態はどう見ても書面主義です。民訴法では「陳述」という用語が数多く使われていますが,実際の口頭弁論期日では当事者の主張が口頭で述べられることはほとんどなく,裁判長が「第1準備書面陳述」などと独り言のように呟くだけです(ただし,あまり的外れな内容の準備書面を書くと,裁判長からたしなめられて「陳述しない」という取り扱いにされることもあるので,「陳述」という概念自体は一定の意味を持っています)。
また,判決はその基本となる口頭弁論に関与した裁判官がするのが原則とされ(直接主義・民訴法249条1項),裁判官が代わった場合は従前の口頭弁論の結果を陳述しなければならず(同2項),これを実務上「弁論の更新」と呼んでいますが,実際には裁判官が交代しても,裁判長が「弁論を更新します」と呟くだけで,書記官が期日調書に「裁判官が代わったので,弁論を更新した」と記載すれば,有効な弁論の更新があったものとみなされます。
それすら行われなかった場合には絶対的上告事由になるというのが判例の立場であり,現場の裁判官や書記官はミスをしないように細心の注意を払っていると思いますが,一般人から見れば「絶対的上告事由にするほどの意味があるのか」と思うのはむしろ当然でしょう。この話をしてくれた予備校の講師は,「実務に染まってしまうと司法試験の問題はかえって解けなくなる」とも言っていました。
しかも,旧司法試験の論文で出題されていた民訴法の論点は,民事訴訟の実務を知らない民訴法学者が机上で議論している話であり,実務上役に立つのか疑問視されるような論点もありました。もちろん,「二段の推定」など実務上重要な民訴法の知識もありますが,それらは単に知っていればよいだけの話だったので,旧試験ではあまり出題されなかったのです。
要するに,存在意義があるかどうかも十分検証されないままに学者の論理が一人歩きし,それが司法試験に出題されるので一応受験生も付いていくことを余儀なくされているというのが旧試験時代の民訴法であった,と言っても過言ではないかも知れません。
2 新司法試験における変化
新司法試験では,民事訴訟法は択一・論文の両方で出題されるようになり(なお,口述試験は廃止されています),科目としての重要性は旧試験時代より高まっています。
また,論文試験の問題は他の科目と同様,長文の事例式問題が出題されるようになりましたが,民訴法の論文は一時期民法との融合問題とされていたこともあって,旧試験時代と異なり民法の基本的知識がないと答えられない問題になっています。また実務的思考・現場的思考が重視される問題であること,択一でも出題されることと相俟って,旧試験ではあまり重要視されてこなかった実務的な基本知識が不可欠となっている点も見逃せません。
黒猫のように,司法試験はとっくの昔に受かっているという人間から見れば,新試験の民訴法は実務に配慮した良い問題だと思えるのですが,出題形式は変わっても必要な知識の内容はさほど変わらないと評される他の科目と異なり,民訴法は要求される知識の範囲も旧試験と新試験とで大きく変わっているように思われます。少なくとも,旧試験時代のような論点主義の教え方は新試験では通用せず,法科大学院でも予備校でも,新しい教え方を一から考え直す必要があるでしょう。
教え方の一例としては,旧試験時代の前期修習で行われていたように第一審手続の概要を説明し,それから各種の基本的な概念をできるだけ実際の手続きがイメージできるように説明し,その後旧試験に出題されていたような応用的論点について説明するといった方法が考えられますが,もちろんそれで上手く行くとは限らず,どうしても試行錯誤を繰り返すことになるでしょう。
3 法科大学院における民訴教育の問題点
以上のような理由により,もともと新試験時代における民訴法の教育は,十分な能力と熱意のある教員でも決して容易ではないと考えられるのですが,法科大学院における民訴法教育はさらなるハンデを背負っています。
第一に,民法の基本的知識がなければ対応できない科目であるため,民法の教え方がしっかりしていないと,民訴法の教員だけではどうすることもできません。実際の法科大学院教育(特に下位ロー)では,民法も教員の関心がある狭い分野しか教えないなど非常に問題のある教え方がなされており,学生も民法の基礎をほとんど理解できていない例が非常に多いため,真面目な民訴法の教員は,おそらくスタートの時点で頭を抱えることになります。
第二に,法科大学院における民訴法の教育は,理論面を教える法律基本科目としての『民事訴訟法』と,実務面を教える法律実務基礎科目としての『民事訴訟実務の基礎』(名称は各校により異なる)とに分かれており,両者の科目を別の教員が担当しているのが一般的です。実際の手続きをイメージできないと理解しにくい民訴法を,このように理論科目と実務科目とに分断する教育上の合理性は乏しく,このようなカリキュラム編成(文科省によって事実上強制されており,各法科大学院で勝手に大きく変えることはできない)が民訴法を理解する妨げとなっている可能性も否定できません。
第三に,文科省の指導により,法科大学院では司法試験の受験対策に偏った教育をしてはならないものとされていますが,一部の法科大学院ないし教員の間ではこの点が曲解されているのか,むしろ司法試験ではやらないような教育をやるのが法科大学院教育の美徳であると勘違いしているような教員が結構いるらしく,例えば憲法の科目ではほとんど司法試験に出ない憲法9条の問題を延々と語り,学生に抗議されてもそれを悪いとは全く思っていないような教員もいると聞いたことがあります。
そして,学問分野における民訴法の守備範囲は結構広く,民事執行法や民事保全法,さらには仲裁法なども昔は民事訴訟法の一部であったという沿革があるため,『民事訴訟法』の講義で(司法試験ではまず出ない)民事執行法や民事保全法の話をすることも,それ自体が学問的に誤りであるとまではいえません。それをよいことに,民訴法の教員の中には,司法試験では絶対出ないような民事執行法や民事保全法のマイナー論点を延々と語り,期末試験にも民事執行法や民事保全法の問題を出す教員が実際にいたようです。
また,一応は民事訴訟法に関係する話をしていても,例えば新聞記事を題材に,ドラえもん(2012年9月3日川崎市に住民登録された)に当事者適格は認められるか,といった話を延々と語るような教員もいるようです。最大限善意に解すれば,民訴法の講義は学生にとってイメージしにくい退屈な話が多いので,できるだけ学生に身近な話を題材にした講義をしようと考えているのかも知れませんが,それでも努力の方向性が根本的に間違っていることは言うまでもありません。
法科大学院教育に関しては,例えば司法試験で出題される「司法試験民法」と下位ローで教えられる「下位ロー民法」は全く違う科目だ,などと揶揄されることもありますが,民訴法の分野ではいわば「旧試験民訴」,「新試験民訴」,「下位ロー民訴」,「下位ロー実務民訴」という4つの全く異なる科目が並立してしまい,他の科目以上に学生を混乱させてしまっている可能性がある旨を指摘する必要があるように思います。
4 法科大学院教員の人間性に関わる問題
もっとも,これで話を終わらせてしまうと,法科大学院の在校生やその卒業者の皆さんから,たぶん「それ以前の問題だ」などとお叱りを受けてしまうでしょう。
実際,ひどい民訴法教員の具体例として挙げられる話の多くは,必ずしも民訴法という科目の特殊性に関わるものではなく,例えば授業の内容がもはや法律の話ですらなく,単なる愚痴や他の教授等の悪口,法律とは一切関係のないスポーツや旅行,ペットなどの話であるとか,「単位下さい飲み会」に出席して教授の機嫌を取らないと単位をもらえないとか,成績は良くても予備校の本で勉強している学生は単位を落とすとか,女性ばかりえこひいきするとか,逆に女性でも自分の誘いに乗らなかった人には報復的に単位を落とすとか,もはや横暴ないし職権濫用と評するしかないものの方が多いくらいです。
ただ,上記のような行為は論理的には他の科目でもやれそうなことであり,それでも民訴法の教員がその代表例として叩かれるというのは,やはり前述したような民訴法という科目の特殊性が強く影響しているものと思われます。
すなわち,①科目そのものが分かりにくい,②他の科目と異なり,民事執行法や民事保全法など,予備校で司法試験向けの学習をしっかりやっている学生でも容易に対応できないマイナー論点が多数存在するので学生をいじめやすい,③民事系科目は法科大学院教育でも重視されており配当単位数も比較的多いので教員も威張っている人が多い,といった影響です。
逆に,行政法は学問体系自体が混乱期にあり,司法試験の必修科目の中では最も受験生に嫌われている科目であるとも言われますが,法科大学院教育の中では非常に軽視されており4単位くらいしか配当されていないためか,法科大学院で行政法の教員が特に嫌われているという話はあまり聞きません。
なお,教員に対する批判の中には,司法試験では到底使えないような自説(少数説)を延々と披露するとか,判例の批判ばかりしているとか,既に存在しない旧法や旧制度の話を含めた制度の沿革を延々と語るなどという話もありますが,これらは下位ローに限らず東大ローなどの教授にもみられる話です。
非常に残念なことではありますが,その程度であれば(一応法律の話をしているだけ)法科大学院の教員としてはまだマシな方です。会社法などは,まず旧商法の話をしてそれが会社法でどう変わったかを説明した方が分かりやすいとも言われており,既に廃止された旧法の話をすることが教育方法として間違いであるとまでは言い切れない面もあります。
ちなみに,在校生や卒業生の方々からどのようなお話があったか,より具体的な話を書ければ説得力も上がるのでしょうが,残念ながらこのブログであまり具体的なことを書くことはできません。法科大学院生は,平然と職権濫用を行う教員たちの恐怖政治に脅えきっており,在校生のみならず卒業生までも,教員による報復をとても恐れています。また,頂くメールを読んでも,かなり精神的に不安定な状況に曝されていると思われるものが少なくありません。
また,学生の不満が大きい不良教員は,授業内容の改善には全く関心を払わない一方で,自分のやっていることがネット上で曝されることには異常なまでの注意を払うという特性を持っているらしく,実際にこのブログなどで実態が曝されると,執拗に「犯人捜し」が行われるような例も稀ではないらしく,何とか下位ローの実態を世間に訴えようとしている法科大学院生やその卒業生も,ほとんどはかつての共産党員を彷彿とさせるような匿名での地下活動を余儀なくされているようです。
このような状況の下では,情報提供者様に多大なご迷惑をおかけするおそれがあるため,頂いたメールの内容をブログの記事に転載するようなことはとてもできません。また,記事で挙げている実例についても発信元の特定を防ぐため,本質を損なわない範囲で多少改変してお話しています。読者の皆様もその点はご理解,ご了承下さい。
最後に念のため書いておきますが,黒猫も民訴法の教員すべてが人間性を疑われるようなひどい教員だなどと主張するつもりはありません。平然と職権濫用をするようなひどい教員が多い中で,分かりにくい民訴法を何とか分かりやすく教えようと孤軍奮闘されている先生も少なからずおられると思います。
ただ,そのように良心的な教員がいるからと言って,他の不良教員や根本的欠陥を多数抱えた法科大学院制度が免責されるようなことがあってはなりませんし,また民訴法という科目の分かりにくさは,おそらく個人レベルの努力で解決するには自ずと限度があるように思われます。
志願者数0を受け、とうとう潮時かと覚悟を決められたもようです。
ただ、来月の合格者数の増加でB日程に期待できるのではないか、という声がちらほら。
学生を集め、「君たちは、心を静かにして、日々の勉強をしてほしい。決して、ネガテイブなネット上の心ないロー批判など気にとめてはならない。信じるべきは我々教員である。また、ネット上に書き込みをする人間は本当はローが羨ましいのである。君たちは、成功者である我々教員を信じ、敗北者の詐欺的甘言にのってはならない。」だそうです。
詐欺的甘言は、どちらか?と思いましたが、まあ、そういうことです。
というのは、架空のお話ということにしておいてください。
防衛医科大学校。
学生は、毎月、給与をもらっている国家公務員であり、教育とは「業務」なので、欠席どころか、居眠りすら許されない。国家試験合格率は100%、留年もほぼゼロ。
法科大学院を再生させたいなら、学生に給与を出し、公務員として採用すべきでしょう。
医学部のように就職できるということが前提の単なるセレモニーでしかないというのなら、誰も文句はいわないでしょう。
まともな講義をするか野放しにしてくれるかどちらかにしてくれないと、迷惑なんです。
30人いても監視してますよ。
廊下であいさつしなかった、といちゃもんつけられた学生もいますから。それに、講義中、完全人権侵害の発言をされることもありましたよ。あれは、慰謝料請求できるでしょうね。
強制的に出席させても、学生は聞く耳持たないってのが、医学教育の常識ですが、10人程度の少人数だと、学生を監視することができるのでしょうかね。
国立K大ローのM。。セクハラ、パワハラ教授。
怨敵退散、怨敵退散。。。
司法試験のことなど頭になくて、自分に従わせることしか考えていなかったのが、本当に迷惑でした。
講義を欠席した学生を皆の前で叱責して、欠席した理由を言わせたときには、「ここは小学校か?」と思いましたね。
理由まで言わせるのはプライバシー侵害でしょう。
最初は、教授と学生との間に温度差があるんだけれども、学生の方がだんだん麻痺してきて、司法試験から遠のいて、教授や学校に合わせるようになるからおそろしいものです。黒に染まって、気がついたら、大きく脱線したまま、卒業して、放り出される。。
学者は、学生の合格など本当は関心がないのです。
自分のことだけ。。こんな制度にしたために、C級教授に
おもちゃにされて、受験生をどこまでばかにすれば気が住むんでしょうか。
ご講義のひどさは、百歩譲ってそういうことにしましょう。
一合格者にすぎない若者の方がまともな講義ができるということは、どういうことなのでしょうかねえ。
民事訴訟法の知識量だけだったら、圧倒的に学者が勝っているでしょうに。。
ご著書を強制購入させるのはやめてください。
定評のある基本書しか読む気がしません。
赤ら顔で廊下をふらつくのもやめてください。
まともな講義ができないのなら、予備校のDVDを放映してください。
女子学生を追いかけるのはやめてください。おさるさんのようで、みっともないです。
「尊敬しろ」と脅迫するのもやめてください。内心の自由まで侵害するのですか。
学部の先生の方が数百倍良かったし、ローの民訴教授が批判する予備校講師の方が数十倍良い。
民事訴訟法のおもしろさは、時系列の前後が少し変わっただけで、登場人物の登場時期が少し前後変わっただけで、法律構成ががらっと変わることにあるように思う。
ローの教授の欠点は、民訴のおもしろさを伝える術を知らないというか、何か個性的なことをやろうと個人的趣味に入りすぎていて、司法試験とも大学教育とも大きくかけはなれて存在自体が浮いてしまっていることにあるように思う。
ごくごく普通のことを普通にできないものだろうかと不思議に思う。
工夫や努力の方向性を間違えていることを自分が気付かなかったら、どうしようもなく、学生はあわせるしかないと思う。早く毒牙から解放されて、自分の途をいくこと、それしかない。
講義がまずかろうが、人間的にひどかろうが、権限もっている教授を非難するのが間違っているとローでそういうふうに教わっているので、不思議です。
たまに民訴教授に批判がきても、ロー全体で「あの先生は、学者としてすごい」とかばって終わりですよ。
ローに入るまで聞いたことのない先生でしたけど。。
学者のすごさって何をもっていうんですか?
黒猫先生、教えてください。
と感じております。
いい意味でも悪い意味でも。皮肉ではありません。
なぜ、下位ロー民訴という特殊なゾーンができるか、ですが、それは、下位ローの教授が、主要なテーマではなくすみの方の誰も手をつけないようなテーマを専門としており、自ずと講義もすみの方へすみの方へと偏るからです。
それを知ってたからといってそれでいったい試験の何に役に立つのか?実務でも使わない、机上の空論だと実務家がいってる、ということを平気で基本中の基本だと言い切ります。
ぶれすぎ、ずれすぎ、おまけに話下手ときたら、もう目が当てられません。
それでも、生き残っていけるということがすごいなあと関心します。自己愛バリアでがっちり脇を固めていますからね。これからの弁護士は、誰もが手をつけないすみの仕事をやって生き残れと身をもって教えてくださっているのだと解釈しています。
旧試時代の金太郎あめ答案は、すべて予備校の弊害であり、大学でもう一度正当な法学教育をし、自分の頭で考える真の法律家を育てようということだったらしい。
理念は理解できるが、じゃあ、以前から、学者がどれだけ進歩したわけ?とお尋ねしたい。
一部の学者を除けば、受験生は、学者と予備校講師であれば、当然後者をとるでしょう。
結局、ローにひきずられながら、予備校に通って、経済的、精神的に負担が増えただけという、この事実に目をそむけるのでしょうか?
全ローの学者の講義をサテライト方式で観ることができるようにするべきです。
それを各科目の大家により判定を下す等するべきではないでしょうか?
密室で行われ、単位認定という質をとられている学生だけのうわべの評価に委ねられているから、非難されずにすんでいるんだと思います。
講義中に自分を誇示して、自分はすごい学者だ、ひれふせという暗示にかけるようなことをするのは、やめた方が良いと思います。
本当に、民訴法の教授は、尊敬できる先生が少ないのは確かなようです。
寂しくなっちゃって米制限解除ですかw
予備校であれば、誰も講義に来なくなり、講座そのものを取るものがいなくなるという現実に直面しますが、受験資格を人質にしているロー教員は、そのようなことがありません。
平常点という名目で、出席を成績に反映させればどんな糞授業をしても人が来てくれます。
大学も本気で「教育」に手を出そうとするなら、学者の給料の半分でも学生の評価に委ねたらいいと思います(匿名で評価するとか、不合格判定の教授の成績評価は、注意深く監視するとか配慮が必要しょうが。)。
それくらいの覚悟もなしに、教育に手を出したのなら、その報いを受けるべきです。
※ロー関係者と思われる単なる誹謗中傷コメが無くなり、バカを相手にする必要もなくなったので、コメは控えめにして、先生の記事を楽しみにしたいと思っております。goo制限には賛成いたします。
ロー信者のチンカスどもも、すっかりケチ付けをできなくなったようですね。
今後も、がんばってください!
学生さえ黙っていてくれれば、何やってもOkと思っているらしい。。。
基本書などあけたことなければ、判例集をみたこともない、レジュメがあるでなし。素材は。。。
雑談を聴くことが我々に対する懲罰、おつとめ。
「実務に出たら大事なこと」という前置きのあと
「訴状を書き損じたときは、洗面器に水をはって、そこに訴状をひたして印紙をはがしたらきれいに剝がれる。」
と嬉々として何十分話をひきのばしたことか。。
印紙だけでなく切手をはがすのに誰でもやると思うのだが。
ペットやスポーツの話なら楽しいのでまだ良いのではないか。。もちろん皮肉である。
他の教授が講義参観に来たら、急に席を立ち、いつもは絶対にやらないメジャーな内容の講義を丁寧に語り始めた。
「こいつ、人間見た。」と思った。
でも、多くの学生は、文句をいわない。
自分が損したくないし、言ったところで変わるわけでなし、、こんなもんかと思いこむ。
結局、この世の中、権力持ってたら何しても許されるということ。
黒猫先生がおっしゃるように、手続法である以上、まずは第一審からの手続の流れを説明したあと、論点というか、
定評のある基本書、概説書に沿って説明していけば、批判される講義にはならないと思うのであるが。
教授自身が旧試も新試も経験しておらず、ローにおける教育もマニュアルがあるわけではなく、手さぐり状態なのかもしれない。
しかし、「コアカリキュラム」があるではないか。
何か指針になるものを持っていなければ、ただの個人的趣味のカルチュアースクール授業になってしまうのではないだろうか。
さらに、人に伝達するということを意識しておられるのだろうか?
学生に理解してもらえるようにはっきりとした明瞭な口調で、話すということができている先生がどれくらいいらっしゃるのだろうか?
およそ生業として教壇に立つ教員をやっていて、「何話しているのかきき取れない」といわれることほど、恥ずかしいことはないのではないであろうか。
ましてや、愚痴や他の教授の悪口など何をいわんやである。
明瞭な口調とオーソドックスな講義で教壇に立つということを心がけていれば、学生から批判されるはずなどない。
おそらく批判をされる教授というのは、学生の理解不足、勉強不足のせいにして、逃げるのであろう。
だが、もう一歩踏み込んで考えていただきたい。
法科大学院制度がなかったとしたならば、貴方の講義を
お金を払って、聴こうと思う人は一人もいないということを。