>>この回顧録で、主人公の少年は「学校に行かせてあげたい」という実母の望で中国軍の将校に預けられるが、その将校が少年に「新しい名前」として俊明(しゅんめい)という名前を与えてしまったことから、やがて少年は自分の実名、そして母のいる街を忘れてしまう。
やがて将校とともに日本軍の捕虜となった少年は「としあき」と呼ばれ、日本軍の兵士に可愛がられ、ともに従軍していくのだ。
敗戦後、バンコクの収容所に中国軍の使節が少年を迎えに来るのだが、中国語さえ忘れ、母の所在地も思い出せない少年は日本へ行くことを希望するのだ。
本書にはこの中国からインドシナへの行軍の間の日本兵について数多くのことが記されている。
一般に中国大陸での日本軍は「鬼」のようにいわれることが多いが、少年の見た日本兵は思いやりのある優しい大人たちであった。
先にマレーへ入っていた少年を可愛がっていた日本兵がバンコクで少年と再会すると号泣して「よかったな」と語りかけたという話には生きることの難しかった時代の心情を感じ、思わずぐっときたのである。
現在、神戸で貿易商を営む著者は1980年代になってテレビ局の力と国際機関を通じて中国の実母を探し求めたが、やっと見つけた母だと名乗る人物が、実母ではなく、未だに生みの母には再会できずにいることが書かれていた。
その母だと名乗った中国人の老女も戦中に子どもとはぐれ、常に探し求めているのだという。
そしてこのような中国人親子の離れ離れの話は無数にあり、社会的問題の一つだという。
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